39 廻る輪との競争※(地図あり)
がたん! カラカラカラ……と、何かに乗り上げて跳ねたあと、車輪の廻る音。
スプリングの効いた四頭立ての馬車は軽快に夏空の下、見はるかす地平の彼方へと進む。
左右に広がるのは背が低く疎らな木立、遠目にきらきらと水面を輝かせる中規模な河。その流れはレガート湖から南下する大河とは比べようもなく、細く浅い。
なるほど、著名な旅行記などで散見した“レガートの東は船での長旅は不可能”――とはこういうことかと、エウルナリアは車窓越しの景色を興味深く眺めた。
進行方向を向く座席には、第三皇子シュナーゼンと第一皇女ゼノサーラが同乗し、何事か言い合っている。聞き取れなくはないが……
(ううん。乗せてもらってるのは、私達のほうよね)
ちら、と左隣に目を遣るといつもの従者服ではない、薄青を基調とした夏の旅装束に身を包んだレインが座っている。
主の視線にすぐに気づいて笑顔を浮かべる少年に、エウルナリアはつられて微笑んだ。
「ごめんねレイン。付き合わせて」
「? 何を仰るんですか。エルゥ様だけで行かせられるわけがないでしょう? これも外交府特使を兼ねた独奏者として必要なことです。招かれるばかりでは見えない、その国の側面を正しく捉えてこその役目ですから。……そう、学んだでしょう?」
アルム様から。
省略された箇所を正確に読み取った令嬢は、こく、と頷く。
そう。四名……正確にはかれら付きの護衛騎士や侍女、侍従を合わせると十二名は一路、大陸横断公路を東へと、強行軍にならないぎりぎりの速さで二台の馬車を走らせている。
―――件の草原の都、オルトリハスへ。
レガートの上空に停滞する嵐を伴う乱雲も遠く、ここには及ばない。湿った風が西から。乾いた風が東から。縦横無尽に遮るものなく吹きとおる国。
ゆえにここは、古い文献では“風と草原の民の領域”、近代以降の旅行記では“風紋国オルトリハス”と呼ばれることが多い。
さあぁぁぁあ……と、のびやかな涼風が渡り、緑の草地に波のような軌跡を幾重にも描いた。
たしかに、風紋が生き物のように動いているように見える。
ほぅ……とため息をつきつつ、エウルナリアは珊瑚色の唇から呟きを溢した。
「うん、学ぶのと見るのでは全然違うよね……空も、大地もすごく広い」
同時に、この道行きを決めた父の提案という名の決定事項を、まざまざと思い返した。
* * *
『もし、本気で戦乱を巻き起こす気なら必ず周辺諸国ではない、向こう側の国と手を結ぶだろうね。気性は荒ければ荒いほどいい。まずは、周辺としては例外に安定とは程遠いオルトリハス―――』
当主の執務室にて。
居並ぶ面々が囲む接客用の長机に、大きな地図が一枚広げられている。セピア色で、インクは赤茶色に変じているが丈夫そうな羊皮紙。明らかに値の張る年代物と見てとれた。
とん、と当主の指が一点を指し示す。
一同の目も釘付けになった。
レインが淡々と挙手し、鋭く発言する。
『他には? アルム様。僕なら、北と南の同盟国を抑えるために手を打ちます』
『だよね。私もだ。だから……オルトリハスとその向こう、砂漠の隊商都市ジールあたりは北の白夜国への牽制と考えた方がいい。南のセフュラは、順当な立ち位置としては大森林の向こう、薬学都市アマリナが担当しそうなものなんだけど……』
『穏やかですからね。レガート同様、サングリードを国教にしてますし。唆されて、どこかに牙を剥くような国じゃない』
会議ということで、アルユシッドもバード邸を訪れている。
『……』
難しい顔で黙り込んでしまった当事者のエウルナリアに、ふと視線が集まった。
『どうした? エルゥ。なにか気づいたなら話してごらん』
アルムのやさしい誘い水に、黒髪の少女が申し訳なさそうに発言する。
『あの……例えば、なのですけど。セフュラには南海諸島がありますよね。形式上は直轄地のはずですが』
『だね。――で?』
エウルナリアはトン、と白く華奢な指で南海の向こう、輪郭のみ簡単に描かれた南方大陸を叩き示した。
それまで腕を組んで地図を凝視していたアルユシッドが、ハッと目をみひらく。
『……! そうか、そっちに持ちかけるか……大事にはなるが、なくはないな』
『はい。それに、以前ジュード様は海賊にも困らされる、とお嘆きでした。なのでその線も考えられます。セフュラは海も河も水軍が強いですし、ディレイ王は、かなり警戒しているのではないかなと……ん? あの……私、おかしなことを言いました?』
しん、と静まり返った執務室の面々に、わたわたと焦るエウルナリア。
ふ、と最初に笑い声を漏らしたのはアルムだった。
『いいや? ちっともおかしくはないよ。むしろ、とても順当な考えだ。ウィズルには遠隔地でのやり取りに適した“鷹便”があるから、――……三ヶ月もあれば可能かな。今エルゥが言った方法も』
言いながら、くるくる……と地図を丸めていく。傍らに控えていた家令のダーニクに『はい』と、あっさり手渡した。
『じゃあ、セフュラには私が行こう。サングリードと白夜はユシッド殿下に。草原のオルトリハスと砂漠のジールは、……エルゥとレイン。君達に頼もうか』
『!!』
『わかりました。アルム様』
熱が下がったばかりのエウルナリアは、はくはくと口を動かした。が、声になっていない。それを知ってか知らいでか、アルユシッドが軽く挙手する。
『待ってください歌長。それなら、うちにも暇を持て余している外交要員が二人います。かれらにも経験を積ませたい』
『うーん……ちょっと小回りが厳しくなるけど、そうだね。それくらいの規模があったほうが安全か。わかった、そっちへの采配は任せたよ。日程は明日微調整して城に届ける』
『わかりました』
――斯くして。
対ウィズルを想定した前哨戦となる、身分を隠しての諸国遊説の旅が始まった。
夏の間にできるだけ早く、確実に“ウィズルの誘いには応じない”と、盟約を結ぶのが主目的だ。そして、もう一つ―――
「せっかくの初めての外国廻りですからね。……きっと、良いきっかけがありますよ」
蹄と車輪の音が間断なく響く車内で、未だ歌声を封じられたままのエウルナリアを気遣い、思案げなレインの声がやさしく届いた。
ウィズルの建国祭までは三ヶ月とあと少し。
――……時間との競争だなと、誰かが心で呟いた。
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※大陸のおおまかなイメージです




