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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 疾く過ぎる夏

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39 廻る輪との競争※(地図あり)

 がたん! カラカラカラ……と、何かに乗り上げて跳ねたあと、車輪の廻る音。

 スプリングの効いた四頭立ての馬車は軽快に夏空の下、見はるかす地平の彼方へと進む。


 左右に広がるのは背が低く疎らな木立、遠目にきらきらと水面を輝かせる中規模な河。その流れはレガート湖から南下する大河とは比べようもなく、細く浅い。

 なるほど、著名な旅行記などで散見した“レガートの東は船での長旅は不可能”――とはこういうことかと、エウルナリアは車窓越しの景色を興味深く眺めた。


 進行方向を向く座席には、第三皇子シュナーゼンと第一皇女ゼノサーラが同乗し、何事か言い合っている。聞き取れなくはないが……


 (ううん。乗せてもらってるのは、私達のほうよね)


 ちら、と左隣に目を遣るといつもの従者服ではない、薄青を基調とした夏の旅装束に身を包んだレインが座っている。

 主の視線にすぐに気づいて笑顔を浮かべる少年に、エウルナリアはつられて微笑んだ。


「ごめんねレイン。付き合わせて」


「? 何を仰るんですか。エルゥ様だけで行かせられるわけがないでしょう? これも外交府特使を兼ねた独奏者(ソリスト)として必要なことです。招かれるばかりでは見えない、その国の側面を正しく捉えてこその役目ですから。……そう、学んだでしょう?」



 アルム様から。


 省略された箇所を正確に読み取った令嬢は、こく、と頷く。

 そう。四名……正確にはかれら付きの護衛騎士や侍女、侍従を合わせると十二名は一路、大陸横断公路を東へと、強行軍にならないぎりぎりの速さで二台の馬車を走らせている。


 ―――(くだん)の草原の都、オルトリハスへ。


 レガートの上空に停滞する嵐を伴う乱雲も遠く、ここには及ばない。湿った風が西から。乾いた風が東から。縦横無尽に遮るものなく吹きとおる国。

 ゆえにここは、古い文献では“風と草原の民の領域”、近代以降の旅行記では“風紋国オルトリハス”と呼ばれることが多い。


 さあぁぁぁあ……と、のびやかな涼風が渡り、緑の草地に波のような軌跡を幾重にも描いた。

 たしかに、風紋が生き物のように動いているように見える。


 ほぅ……とため息をつきつつ、エウルナリアは珊瑚色の唇から呟きを溢した。


「うん、学ぶのと見るのでは全然違うよね……空も、大地もすごく広い」


 同時に、この道行きを決めた父の提案という名の決定事項を、まざまざと思い返した。




   *   *   *




『もし、本気で戦乱を巻き起こす気なら必ず周辺諸国ではない、()()()()の国と手を結ぶだろうね。気性は荒ければ荒いほどいい。まずは、周辺としては例外に安定とは程遠いオルトリハス―――』


 当主の執務室にて。

 居並ぶ面々が囲む接客用の長机に、大きな地図が一枚広げられている。セピア色で、インクは赤茶色に変じているが丈夫そうな羊皮紙。明らかに値の張る年代物と見てとれた。


 とん、と当主の指が一点を指し示す。

 一同の目も釘付けになった。

 レインが淡々と挙手し、鋭く発言する。


『他には? アルム様。僕なら、北と南の同盟国を抑えるために手を打ちます』


『だよね。私もだ。だから……オルトリハスとその向こう、砂漠の隊商都市ジールあたりは北の白夜(びゃくや)国への牽制と考えた方がいい。南のセフュラは、順当な立ち位置としては大森林の向こう、薬学都市アマリナが担当しそうなものなんだけど……』


『穏やかですからね。レガート(うち)同様、サングリードを国教にしてますし。(そそのか)されて、どこかに牙を剥くような国じゃない』


 会議ということで、アルユシッドもバード邸を訪れている。


『……』


 難しい顔で黙り込んでしまった当事者のエウルナリアに、ふと視線が集まった。


『どうした? エルゥ。なにか気づいたなら話してごらん』


 アルムのやさしい誘い水に、黒髪の少女が申し訳なさそうに発言する。


『あの……例えば、なのですけど。セフュラには南海諸島がありますよね。形式上は直轄地のはずですが』


『だね。――で?』


 エウルナリアはトン、と白く華奢な指で南海の向こう、輪郭のみ簡単に描かれた南方大陸を叩き示した。

 それまで腕を組んで地図を凝視していたアルユシッドが、ハッと目をみひらく。


『……! そうか、そっちに持ちかけるか……大事にはなるが、なくはないな』


『はい。それに、以前ジュード様は海賊にも困らされる、とお嘆きでした。なのでその線も考えられます。セフュラは海も河も水軍が強いですし、ディレイ王は、かなり警戒しているのではないかなと……ん? あの……私、おかしなことを言いました?』


 しん、と静まり返った執務室の面々に、わたわたと焦るエウルナリア。

 ふ、と最初に笑い声を漏らしたのはアルムだった。


『いいや? ちっともおかしくはないよ。むしろ、とても順当な考えだ。ウィズルには遠隔地でのやり取りに適した“鷹便”があるから、――……三ヶ月もあれば可能かな。今エルゥが言った方法も』


 言いながら、くるくる……と地図を丸めていく。傍らに控えていた家令のダーニクに『はい』と、あっさり手渡した。


『じゃあ、セフュラには私が行こう。サングリードと白夜はユシッド殿下に。草原のオルトリハスと砂漠のジールは、……エルゥとレイン。君達に頼もうか』


『!!』

『わかりました。アルム様』


 熱が下がったばかりのエウルナリアは、はくはくと口を動かした。が、声になっていない。それを知ってか知らいでか、アルユシッドが軽く挙手する。


『待ってください歌長。それなら、うちにも暇を持て余している外交要員が二人います。かれらにも経験を積ませたい』


『うーん……ちょっと小回りが厳しくなるけど、そうだね。それくらいの規模があったほうが安全か。わかった、そっちへの采配は任せたよ。日程は明日微調整して城に届ける』


『わかりました』



 ――()くして。

 対ウィズルを想定した前哨戦となる、身分を隠しての諸国遊説の旅が始まった。

 夏の間にできるだけ早く、確実に“ウィズルの誘いには応じない”と、盟約を結ぶのが主目的だ。そして、もう一つ―――


「せっかくの初めての外国廻りですからね。……きっと、良いきっかけがありますよ」


 蹄と車輪の音が間断なく響く車内で、未だ歌声を封じられたままのエウルナリアを気遣い、思案げなレインの声がやさしく届いた。



 ウィズルの建国祭までは三ヶ月とあと少し。

 ――……時間との競争だなと、誰かが心で呟いた。




―――――――――――――

※大陸のおおまかなイメージです

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 地図のイラストもいいですねえ。 ちゃんと世界観が具体的に見えます。 何か…古紙に手書きでしたためられた地図のような…そんなイメージもあります。 本作が、単なる音楽恋愛モノでもないことがわか…
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