37 明けの月、歌う小鳥※
「お父様は、もうレインを私の夫とお考えなんですか?」
「八割方。だってきみ、ずっとレインが好きだったろう?」
「えっ。……う、はい……」
解せぬ。なぜ、こうも皆気づいてしまうのか。少女は一人、険しい表情になった。
アルムはそれすらいとおしいと言わんばかりに、くすくすくす……と笑い声を溢す。
そうすると、とても印象が和らぐ。仕事の時はぴん! と張り詰めた歌長の放つ気配が、娘と二人の時はまるで、のびのびと寛ぐ長毛種の猫のようだった。
「私もね、歌えなくなったときがあるよ」
「え!! 初耳です……いつ?」
「両親が他界したとき。きみにとっての祖父母だね。今だから言えるけど、あのときのレガートは弱腰外交だった。求められれば行かざるを得ない、皇国楽士団はそこまで貶められてたよ。待遇もひどかった」
「それは……国として危ういですね。私でもわかります。先代の御代ですか?」
こく、とアルムは頷く。手は寝台の上で組み合わされ、どことなく祈っているように見えた。
「そう。今上マルセル陛下の父君の御代でね。そんな苦難の時代で、私の母は歌長だった。つよい歌声の持ち主で、気丈な女性で……きみにも少し面影があるな。黒髪緑眼の美女だった。祖父はヴァイオリン独奏者。息子の私から見ても似合いの二人だったよ」
「お亡くなりになった、のは……?」
「私が十三のとき、東で。草原の都オルトリハスに夫婦で招かれたんだけど。そのとき殺されたよ」
「!!」
エウルナリアはひゅっと息を呑んで固まり、絶句した。心に描いた“まさか”が、望まぬ方向で確定した形となる。
アルムは右手をす、と胸の前まで上げ、狼狽の色を露に「ごめんなさい……」と謝罪を口にする娘を落ち着かせた。
「構わない。事実だし、今まできみに伝えなかったのは私の判断だから。まぁ……そんなわけで、私は心から歌えないままに学院に入学した。父母との思い出が濃すぎたから邸にもいられなくて。ダーニクだけ連れて寮に入った」
そっと、アルムはエウルナリアの頬に触れた。熱があるはずなのに血の気の失せた顔だった。
「でも、見ての通りまた歌えるようになった。在学中から、当時皇太子だったマルセルや留学中のジュードに、もう訳がわかんなくなるほど構い倒されたからね。何とか乗り越えられたし、きみのお母さん……ユナと会えたときには、歌うことは私の芯になってたよ。揺るがなかった。だから……ユナが息を引き取ったあとも、歌えた」
「……」
ぽたり、ぽた、と。
幾つもの雫が白いリネンのシーツに落ちる。頬を伝い、いつの間にか泣いていたことに漸くエウルナリアは気がついた。
ずっと、聞けなかった。
ずっと、聞いてはいけないのだと思っていた。
父の心の大切な場所に、今も住まう母は手の届かない天女のようで。聞けば父をいたずらに傷つけるのではないか――……と。怖くて聞けなかったのだと、泉のように溢れる涙にすとん、と理解した。
聞きたかった。知りたかった。
できれば……側に、いてほしかった。
そう告げるだけの勇気が持てなかったのだ、と。
泣き続ける水面のようになった娘の青い瞳に、やさしい眼差しのありったけを注いで、アルムは囁いた。
「きみの、ちょっと長い名前はね、ユナが付けたんだ。湖の民――……レガート島に昔から住んでいた古い、古い民の言葉でね。“暁月に歌う小鳥”って意味なんだって。きみが産まれたのは明け方だったし。秋の半月が、うっすらと明るくなる西の空に白く浮かんで、綺麗でね……まだ、日は昇ってなかった」
きし、と寝台が軋む。
椅子から立ち上がったアルムが寝台に腰掛け、嗚咽が止まらなくなった娘を抱擁したからだ。
「……愛してるよ。私達の大事な、大事なエウルナリア。大丈夫、時が至ればまた歌えるようになる。だって」
――好きだろう、歌が? ――というアルムの深く豊かに問う声は、pppで染み入るように、しずかに少女の胸を満たした。
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※レイン、エルゥ、ユナ、アルムのイメージです




