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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 西国の王

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31 奪われるに値するもの

「話になりませんね」


 ぞく、と背筋が凍えるような、しずかな声音。

 同じく茶器を置き、足を組んだアルユシッドの口許に冷笑が浮かんでいる。


 柔らかな目許。穏やかな口調。うつくしく弧を描く唇―――にもかかわらず、凄まじい怒りが隣に座っているだけなのに、直に届く。


「一部、不穏な発言もあったようですが。我らをただの小国、見たままの姿とは思わぬ方がいい。

 互いの民のためにも、聞かなかったことにしましょうか? ……あと、懸想と仰ったか。一緒にしないでいただきたい」


「―――……」


 エウルナリアと、もはや顔色が青を通り越して白になりつつある近侍の男性が見守る中。

 ディレイは感情の隠らぬ茶色の視線を白銀の皇子に、すっと戻す。

 口許を歪めるのみで、何も応えなかった。


「エルゥ」


「はい……殿下?」


 打って変わってやさしい呼びかけ。

 アルユシッドは右隣の少女ににこり、と綺麗に微笑みかけると、決定事項を告げた。


「わるいけど、先に劇場で待っててくれる? こちらの陛下は、ご執心の女性を()()()()()()()()()()()、取ってはくださらないようだからね」




   *   *   *




 (ユシッド様って、怒ると喋り方がお父様そっくりになるのよね……前から、似てると思ってたけど)



 結局、エウルナリアは施薬の棟の同行から外された。

 『君の落ち度ではないよ。ディレイどのの聞き分けがないから仕方ない』と、白銀の司祭がさらっと言ってのけた隣。

 当の青年王もまた、『俺は構わん。最初(はな)から、サングリード聖教の国教化について姫は関与しないと伝えている』―――などと、互いに応酬し合っていたが。

 アルユシッドのお陰で負担が減ったのは確かだ。


 少女は正面の姿見に映る自分に、(あとちょっとだから……!)と、改めて気合いを入れた。着替えたドレスの裾をさばき、カチャ、と扉を開けて衣装室を出る。

 すぐ、入り口の外側に控えていた長身の騎士と目が合った。


「お待たせ致しました。騎士様」


「いえ。……お似合いですよ、エウルナリア嬢。

 大丈夫、ディレイ陛下はまだおいでではありません」


 劇場支配人の厚意で雨に濡れたドレスを脱ぎ、代わりにやや細身のラベンダー色のドレスに着替えたエウルナリアは、菫の花精のよう。

 褒めことばを善意と捉え、少女は「ありがとうございます」とだけ、ゆるく微笑んで答えた。




 あれから、傍らにはグランの兄である赤髪の長身の騎士がずっと付き従ってくれている。

 建物の周囲は、ずらりと居並ぶ警護のための正騎士隊。


 (気のせいかな……雰囲気が、ものものしい)


 劇場前の大階段の(いただき)から通りを見下ろすと、その厳戒体制ぶりは否が応にも目につく。


 ここ、国立大劇場は入り口とロビーが二階部分にある。大理石をふんだんに用いた造りで、外観は神殿めいた雰囲気すら漂う、レガート観光では定番とも言える人気の場所だ。


 それを今日は一日、ディレイのための貸し切りにしている。

 万が一にも異国からの客人を害させるわけにいかない。当初は、そんな配慮かと思ったが―――


 (……ひょっとして、守られているのは“私”なのかも。万が一にも、自国の歌姫を連れ去られたりしないよう)


 幼い頃から徹底して行われた教育の賜物か、少女には自身をことごとく客観視する癖がある。

 《レガートの歌姫》としての危機は既に経験済みだが、自国においても同様とは思いもよらなかった。


「さっきの『本気』発言も。ただ意地で退けなくなっただけ、で済ませてほしいな……」


「? 何か仰いましたか?」


「あ。いえ、独り言を」


「……そうですか? 何でもお言いつけくださいね。出来る限りの助けとなるよう申しつかっております。無論、指示がなくともそう致しますが」


「……ありがとう。とっても心強いです」


 ぽつり、と呟いた言葉は、湖を渡った一陣の風にさらわれて行った。


 つややかに波打つ黒髪も流され、巻き上げられる。頬にかかった一筋のそれをほっそりとした指が払い、耳にかけ直した。


 遠くへと投げ掛けられる青い、凛としたまなざし。長い睫毛のけぶる、うつくしい横顔。

 その一連の所作に、ちらちらと視線を奪われる騎士も多い。


 菫色の衣装は胸高な位置で切り替えのある、直線的なシルエット。

 やや透ける柔らかな素材の肩掛けが付いており、風に飛ばされぬよう胸の前で片手で押さえるさまは、儚げな貴人そのもの。


 精霊めいた美貌、妖精じみた風貌。華奢で光をまとうように白く―――そのくせ、この上なく温かで柔らかそうな肢体を備えた美少女なのだと。この期に及んでなお、エウルナリアは気づかない。



 その澄んだまなざしの先に。

 やがて、黒塗りの馬車が到着した。


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