29 言伝て
お久しぶりです。
すこし、閑話的な雰囲気でどうぞ。
薬草茶を煎じている間に雨は上がったらしい。
エウルナリアは、給湯室に備えられた硝子の小窓からふと外に視線を移した。
正方形に区切られた空。灰色に垂れ込めていた雲間からは、白い光が射している。
木々の葉や窓辺の水滴が小さなダイヤモンドのように光を弾くさまは室内に慣れた目に眩しく、思わず青い目を細めた―――が。
(はっ……! いけない。お仕事お仕事!)
束の間の逃避のあと、幸いにも自力で戻って来れた楽士伯令嬢は、すこし慌てて後ろを振り向いた。
既にアルユシッドが脱いでいた司祭服の上着を手に取り、客人たちに穏やかに声を掛けている。
「では、ディレイ殿こちらへ。お付きの方もどうぞ。お待たせしましたね」
「いえ、こちらこそ恐縮です司祭様。私までご相伴に預かるなど……」
待機していた中背の男性は、本当に申し訳なさそうに実直そうな眉を下げていた。人の好さそうな人物だ。
対するアルユシッドは、にこっと人好きのする笑顔で応えている。
「お気になさらず。折角の遠国からのお客人ですからね。おもてなしさせて下さい。
……すまない、エルゥ。あとは任せても?」
「はい、殿下。こちらの……薄緑の茶器でよろしいですか? ご着席のころ、お持ちしますね」
にっこりと、先に湯を注いで温めておいた東国風の小ぶりな茶器を胸の前で掲げて見せるエウルナリア。
意図的に『殿下』呼びに戻したことは伝ったらしい。アルユシッドの秀麗な眉がぴくり、と上がる。
―――が、何も言われない。
「そう。合ってる……じゃあ、よろしく」
皇子自身は、親しげに戻した口調を改める気はないらしい。す、と微笑みつつ印象的な暗紅色の流し目を残し、客人らを連れて行ってしまった。
「……エウルナリア嬢。では、我々は執務室の入り口、外側で待機しておりますので」
廊下の出入り口にほど近い場所から声を掛けられ、反射で少女はどきっとした。レガートの正騎士だ。
「あっ……はい。わかりました。あの―――」
見上げる高い上背。
赤い髪。
……やはり、どことなく似ている。
エウルナリアは思いきって声をひそめ、小首を傾げて騎士に問いかけた。
「勤務中、大変申し訳ないのですが――ええと、グランの兄君?」
「はい?」
ちょっと驚いた瞳は焦げ茶色。色こそ違えど目許のきつい表情に、馴染んだ少年の面影がある。
そのことに、つい嬉しくなった令嬢は視線を真っ直ぐ騎士に合わせると、柔らかに微笑みかけた。
「よろしければ、弟君にお伝えいただけますか。『がんばって。待ってるね』……と。
本当は、いろいろお話を伺いたいのですけど。我慢いたしますわ」
「えっ……! あ、はいっ。確かに」
騎士は若干頬を染めて狼狽えていたが、隣の同僚から鋭い肘鉄をもらい、ハッと我にかえった。
「……たしかに、伝えますね。あいつが仏頂面で内心、狂喜乱舞するさまが目に浮かびます。感謝と」
す、と騎士の礼をとると、そこには既に勤務中のレガート正騎士の姿があった。
「エウルナリア嬢にも、ご武運を」
「……ふふっ、そうですね。有難うございます。何とかやってみますわ。このあとも、どうぞよろしくお願いしますね」
両者、妙にほのぼのと打ち解けた様子で目線で頷いたあと。
合図はなかったが同時に視線を断ち切り、それぞれの勤務へと立ち返った。
――――……騎士寮に戻ったかれが同僚から事の顛末を暴露され、やっかみ羨望その他もろもろで面々から小突き回される羽目になるのは、もう少々あとのこと。
どつき倒す勢いの先頭はもちろん、グランだった。




