27 王と、司祭と歌姫と(4)
サングリードの聖職者らは皆、治療術の習得をこそ第一の旨とする。祭司を執り仕切るのは基本的に治療術を修めた者のみ。
もちろん、最初は誰もが初心者だ。ゆえに――
「現在、この棟で学びつつ生活する者は……百人余りですかね。ここや、北岸のサングリードで研修を受けて各国に派遣される場合が多い。
ご覧になればわかるかと思いますが、位は司祭服の飾り帯の色で判別できます。
サングリードの総司祭を除けば、銀色が最高位……レガートの場合は私。つまり支部長の立場ですね。次位は青。三位は緑。四位は黄色。五位は帯なし。つまり見習いです。
帯の色は治療術の修得の度合いも表しています。民は、このこともよく知っている。自分達の癒し手に関することですからね」
石造りの棟は三階建て。一階は広く学習や共同生活のための場で、二階と三階が居住空間らしい。今回の視察は一階のみだった。
アルユシッドに案内され、一行は建物内をそぞろ歩く。
事前に言い含められているのだろう。特に騒がれることもなく、反応はレガート支部庁舎前の時よりは余程落ち着いている。行き会えば誰もが会釈をしつつ通路を脇に退き、静かに道を譲ってくれた。
――幼い見習いなどは予め、この時間帯は二階や三階にいるよう徹底されているのかも知れない。
「奥に、私の執務室もありますが。とりあえずはそちらに参りますか? 雨で体も冷えたでしょう。特製の薬草茶を振る舞いますよ」
「……そうだな。蝶々の姫も大分、濡れただろう? 袖の色が変わっている」
はた、と気づく。確かに―――空色だった衣装の袖と裾は雨に濡れ、青紫に変わっていた。
側にディレイが立ち、再び袖の飾りを手に取る。
(?)
エウルナリアが首を傾げ、広い通路で衆目が見守るなか。なんとディレイはそのまま袖飾りを手繰り寄せ、色を変えた袖に口づけを落とした。
「……っディレイ様っ……!! なにを…!」
一国の王が一令嬢の衣装の裾に口付けるなど本来あり得ない。それを堂々とやってのけられた―――してやられた感覚に、エウルナリアは激昂した。つい、異国の王を名で呼んでしまう。
ディレイはそれに、濡れた袖に唇を触れさせたまま上目使いに、にやりと笑った。
「やっと呼んだな。……俺も、“エルゥ”と呼んでも?」
「いいわけ、ないでしょう……? 離してください」
「いいな。もっと怒らせたくなる」
「……!! 貴方という、ひとは――」
「そこまで。ディレイ殿、戯れが過ぎましょう。エルゥも真に受けるんじゃない」
ぱしっ!
軽い打擲の音とともに、ディレイの手からエウルナリアの衣装の袖が払われる。
青年王は気にした様子もなく、唇の端を歪めた。
「つまらんな。口説くのもなしか?」
「当たり前でしょう。なぜ、この条件付きでなら彼女と会えたのか。少し考えればお分かりになるかと思いましたが……?」
アルユシッドのかなり辛辣な物言いにもディレイは動じない。代わりに謝罪もない。しばし両者、無言で視線を交わし合うが―――あやうい均衡は意外なところから崩された。
す、と。
睨み合う両者の前に白くたおやかな手が差し出される。
王と司祭が揃って視線を腕の先へと辿らせると、終着点にはエウルナリアのしずかな怒りを灯す、青さを深めた瞳があった。
「もう……面倒です、お二人とも。右をディレイ様、左をユシッド様にお預けしますから、そろそろお茶に参りませんか? 淹れ方さえ教えていただけるなら、私が淹れます。僭越ながら」
通路に響く、うつくしい鈴の音のような声。
ディレイは若干、毒気を抜かれたようにまじまじと少女を眺めたあと―――その手をとった。
反対の手は、渋面のアルユシッドが既にやんわりと受け取り、支えている。こちらは差し出されると同時だった。
司祭の思惑から外れ、異国の王と歌姫の会話はえんえんと続く。
「姫は、茶も淹れられるのか」
「その呼び方もなしです。同じ国王陛下でも、あの方とは似ても似つかない。ジュード様の欠片ほどの分別がおありなら、よろしかったのに」
「ジュード……なるほどセフュラか。姫は信奉者が掃いて捨てるほどいるな。嘆かわしい。どうだ? そんなに面倒なら浚ってやろうか」
「ユシッド様、参りましょ。この方、ちっともお話を聞いてくださいません」
―――令嬢なりの、腹に据えかねた苛立ちゆえの行動ではあったのだが……
ディレイの近侍や正騎士二名を含め、周囲は水を打ったように静かだ。固唾を飲んで見守っている。その緊張感を察し―――アルユシッドは、ふっと微笑った。いささか困り顔で。
「そうだね。うん……いっそ、きみの言うことなら聞くよう、この際きっちり言い含めてもらうのも有りかもしれない。
皆、見せ物は終わりだ。持ち場に戻りなさい。……騒がせて悪かったね」
エウルナリアに対しては愛しむような顔を。周囲に対しては隙のない笑顔を向けてにっこりと指示を出す。
幼い頃からここに出入りしていた白銀の皇子の言葉に、聖職者らは一も二もなく従った。潮が引くようにさぁっ……と、それぞれの職務に立ち返る。
「いいだろう。これでちょっとは姫と話せる」
「ですから、“姫”は、おやめくださいと申し上げております……!」
先程よりは弛んだ空気のもと、一行はその場からようやく動いた。
誤字が、多すぎて……! 恥ずかしにそう、と今日も呟いています。




