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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 西国の王

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25 王と、司祭と歌姫と(2)

 サァーーーー…と、細くしずかな雨の音。

 側に居るだけで、周囲を威圧するような空気をひしひしと感じる若き王に手を引かれ、エウルナリアは石の階段を昇った。

 背に、肩に、横顔に。まといつくような視線をたくさん感じる。(振り払うと、国際問題よね……)と、実にこっそりため息を漏らし、少女はこの場で手を振りほどくことを諦めた。


 かつん、と。

 上まで辿り着いたとき、自然と目が合う。ずっと見られていたのだろうか――なんとなく見つめ返すと、とても意外なことに、ふわりと微笑まれた。


 (……!!)


 よくわからないが、このひとは柔和な表情(かお)をしたときの方が衝撃がつよい。エウルナリアはつい、少しだけ狼狽した。


「―――あ…ありがとうございました、陛下。もう結構です。そこからは、建物の中ですし。足元も……平気です」


 濡れてはいないから。そう言外に告げたつもりだった。

 しかし青年王は殊更(ことさら)、ふ、と笑みを深めて少女を見下ろし、握った彼女の右手を離さない。


「そうか」


 ただ一言。

 それだけを溢し、ふいっと前方……聖教会の入り口へと向き直る。

 対するエウルナリアは「??……?」と、疑問符の泉が尽きることはない。


 ―――怖いひと。おそらくは何人も、数えきれないほどのひとを、殺めたひと。少女は、この遠国からの客人を正しくそう捉えている。


 レガートは皇国歴以降、戦火に巻き込まれたことがない。それは代々の王族や皇国楽士、或いは外交に携わったすべての貴族や官吏に言えることなのだが……そんな、努力を惜しまなかったであろう先人達あってこその“現在(いま)”なのだと、重々わかっている。

 その重責は楽士伯家に生まれた者として、エウルナリアの細い肩にも掛かっているのだから。


 ゆえに思う。

 (このひとにとって、レガートは……どう映るんだろう。(ぬる)くはないのかしら。そもそも…なぜ、私なのかしら)


 少女の疑問は、雨のただ中に置いてけぼり。

 妙にやさしく紳士的な足取りで、ディレイは白っぽい尖塔アーチ群が織り成す荘厳な建物の最初の通路を奥へと、彼女を(いざな)った。




   *   *   *




「ディレイ殿は、国家にとって聖教会の何を最も有益とお考えですか?」


「有益……そうだな、窮した民が駆け込める場所が増える。もっと直接的には病や怪我に対し、ぼったくられることなく正確な処置を望める。

 ――さらに言おうか? そのまま民の教育、人材の育成まで期待できるのだ。国教と定めたいという考えに、色恋は無しだ。この件にエウルナリア嬢は関与しない」


「……左様ですか。まぁ、後半の最後は聞き流させていただきますが」


「…」

「……」


 エウルナリアの口を挟む余地はない。

 白銀の司祭と砂色の王が一見にこやかに並び立ち、聖職者らの詰める棟へと向かうべく、歩きながら会話をしている。


 しかし内容は問題発言すれすれで、ディレイに至っては完全アウト。サングリード聖教会のレガート支部長であり、直系皇族でもあるアルユシッドに対し、不敬とまではいかないが丁重とは言い難い。


 (国際的には、かなり問題だと思うんだけど…)


 ちらり、と少女は左隣を歩く壮年の男性を窺った。ディレイが伴った近侍の事務官だという。

 そのわりには屈強な雰囲気で、中背だが堅実な佇まいと無駄のない足さばき。茶色の髪、黒っぽい瞳。―――言うなれば、穏健な武官と言ったほうが似つかわしい人物だ。


 その男性が、はらはらと主の青年を眺めている。

 『お願いですから、それ以上の失言は…!!』と雄弁に語る日に灼けた哀れな横顔に、エウルナリアはほんの少し同情を覚えた。


 護衛を兼ねる正騎士は二名。先導するアルユシッドの側に一名、あとに従うエウルナリアの右側後方に一名。

 どちらも私語は一切なく、無駄に気配を揺らしたりはしない。しかし主賓らの会話はすべて聞こえているので……《耳》も兼ねているのだろう。余計なことは言えないな、と少女は内心呟いた。


 (グランも……今、騎士隊でかなりしごかれてるんだろうな。『晩秋には正騎士の位を絶対もぎ取る』って言ってたから、様子を聞いてみたいけど。…任務中だし、だめよね……)


 今度は、右側にそろりと意識を向ける。斜め後ろを護衛の(てい)で付き従ってくれている騎士の髪は、大切な幼馴染みの――大事な、想いを捧げてくれた少年と同じ見事な赤い色。


 記憶に違いなければ、かれは六年前、セフュラ行きの皇国楽士団の護衛にも付いてくれた、グランの異母兄だ。


 (あとで……聞けるかな。あのひと達の空気がもう少し、緩んだら)


 それぞれの思惑を胸に。

 先導の騎士はカチャ、と突き当たりの扉をひらいた。


「失礼。こちらからが、聖職者の居住区および――あちらが、施薬の棟となっております。一旦中庭に出ますので、お足元にお気をつけください」


 静かに。しかし、きびきびとした物言いで騎士は仕事に徹した。


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