244 鳥の名を持つ姫君
『“覇王の相”? 俺が?』
『えぇ。かの、レガート帝国の創始者。御名さえ消されてしまった初代皇帝が、“封じられた兵器”を用いて現在のアルトナ近辺を蹂躙したときと、貴方がウィズルを統一したときの星が全く同じなんだ』
『……会議でも話していたな。天文学、とやらか?』
『新しいよね。そう呼んでくれて構わない。歴代の星読みはただ“星”や“相”と、呼び倣わしたみたいだけど』
くすくす、くすくすとキオンは笑っていた。
* * *
会議が終わり、与えられた部屋に戻ってすぐ、エウルナリアが客分を連れて来た。それがこいつ――オルトリハスの星読み。草原の民には“北極星の君”とも崇められる男巫、キオンだった。
エウルナリアは自国に戻り、伴侶を得てより瑞々しく、楚々として目を奪う美女になった。香気かぐわしく。輝きと落ち着きが違う。
――正直。
幾ばくかの喪失感はある。
彼女を見ればまだ波打つ野心があるし、手を伸ばせば奪うことも出来るだろう。それでも。
(手放すことで『得られるもの』を、選んだ。おそらくあいつも)
「……」
悲しいことに、何やら怪しいカーテンがあるが、ディレイはつとめて視線を外した。ふと隣の男に覗き込まれる。
「つらいよね。今夜は飲もうか」
「……貴殿は、よく身内から『鬱陶しい』とか『面倒くさい』とは言われないか?」
充分な険しさを込めて眺めたつもりだったが、キオンはどこ吹く風だった。相変わらずにこにことしている。
「言われる。愛情表現だと思ってるよ。うちの王様は、とびきりの照れ屋さんだからね」
「よくわかった。俺は言わずにいてやろう」
「それはどうも」
グラスの中身をつつがなく空けてゆく。
目ざとく「どうぞ」と側のテーブルから新しい酒杯を渡され、ディレイは素直に受け取った。
ほんの、気まぐれだった。
「“相”と言ったか。それは辻占のようなものか?」
「辻占……、いや? 僕は、歴とした集計に根ざした緻密な学問だと思ってるけど。何? なにか、知りたいことでも?」
その気になれば干魃の予兆も、特定人物の基本的な性格ですら察せられるほど、膨大な資料が頭のなかに詰まっている。
キオンは、さらっと問いかけた。
ディレイは、素面のときと変わらぬ声音で答える。
「いや別に」
「そう? 相性みたいなものもわかるよ。エウルナリア殿の“星”も“相”も、面白いんだ。彼女は二代皇帝に似ている」
(!)
あまりの意外さに、思わず目をみひらいた。
レガートの初代皇帝は軍功が偉大すぎて、ウィズルではほぼ神格視されている。
ゆえに二代皇帝は、現在のレガート皇国の縮小を招いた凡物と侮られる気風があった。
「それは……、ある意味凄いな。二代皇帝も名前は伝わっていない。実在したとすれば、初代が手にした大陸の覇権を呆気なく手離した人物ということだろう。エウルナリアが?」
「実在したよ。うちの塔には全部残ってる。星の巡りと照らし合わせられるよう、膨大な記録も臣下が残した日記も。何なら名前も。知りたい?」
す、と、どこか遠いまなざしで語る男をまじまじと眺め、ディレイは吐息した。
再度カーテンの辺りに視線を流す。
今度は二人とも居た。
……ふいに、力が抜けて笑みが込み上げた。何というか。
『微笑ましい』と感じてしまう自分がいたので。
「いや、いい。意図して当人達が隠したことなら、そこまでは暴かんさ。…………あぁ、だが一つだけ」
「うん?」
今度はディレイのほうからキオンに向き直った。ちょいちょい、と指で招く仕草をする。(?)と、首を傾げたキオンが耳を寄せた。
「“封じられた兵器”というのは。詳細な記述は残っているのか?」
「……」
この男、心底気性が初代寄りだな――と、キオンはまじまじとディレイを眺めた。
「残念」
爽やかに笑い飛ばす。
「そこは、徹底されてるよ。形や製法の記録なんか、文字一片も残ってない」
* * *
それから、日々は平穏に過ぎて、大陸は戦火に焼かれることなく今に至る。
皇歴1290年、外国に南沿岸地帯を襲われる事態には陥ったらしいが、諸国は連携して速やかにこれを退けた。
国家間で多少の争いの種火はあったが、それが狼煙にもならぬうちに各地に招かれ、歌う姫君がいたという。
麗しく、うつくしい歌声で聴くものを魅了したという伝説の歌姫の享年は知られていないが、レガートでは今も語り草で、「エウルナリア」と女児に名付ける親が後を絶たない。
今もレガティアは湖の真珠、芸術の都と称えられ、人びとを惹き付けてやまず、愛されている。
――――これは、あったかもしれない物語。
とある大陸で。
歌と家族と友を、こよなく愛したとされる彼女の。
たった一つの物語。
fin.
連載期間、ほぼ一年と半年……
初めて書いた物語の女の子の「その後」でした。
書き終えられてよかったです。
お読みくださった方々、たくさんの応援をくださった方々。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
(2020.11.21 記)




