24 王と、司祭と歌姫と(1)
もうすぐ、夏を前に嵐が来ようかという頃。レガートは難ありの国賓を迎えていた。
空はあいにくの雨模様。
車窓に映る水滴を眺めながら、エウルナリアは楽士団の本番とはまったく異なる緊張感に苛まれている。
(…猛獣と、同じ檻にいるみたい)
背には羽を詰めた天鵞絨のクッション。座面と足元の赤絨毯を通じ、ゆるやかな振動が伝わる。
レガート王室の金の紋章が装飾に用いられた箱馬車は黒塗りで、見目よい白馬の四頭曳き。御者の腕も優れているのだろう。足並みはみごとに揃い、嘶き一つない。
対向の馬車とも悠々とすれ違える、広々と舗装された石畳の車道。歩道を隔てる緑の街路樹はうっすらと霧雨にけぶり、主街道を等間隔に彩る。
ポックポック、カラカラカラ……と軽やかに響く蹄と車輪の音が、なんとも言えない車内の空気を和らげていた。
少女の対面に座る同乗者は青年と壮年、二人の男性。かれらが、今日、エウルナリアが付き添うべき客人達だ。
《外交府特使》の肩書きを持つとはいえ一令嬢が案内役に任命されるなど、常ならあり得ない。しかし、再三の向こうからの要求に譲歩してレガートが折れた形となる。
そんな少女の苦悩を知ってか知らずか―――正面に座る青年が車窓からふと視線を流し、いかにも不本意と書いてある花の顔を見て微笑った。
「どうした蝶々の姫。俺をもてなさねばならんのは気鬱か?」
「………気鬱など。わたくしが承ったのは教会および周辺を少々ご案内することのみ。どのようなおもてなしをご所望かは存じませんが、勿論、その全てにはお応えできませんわ」
妙なあだ名を付けられたなと困惑しつつ、エウルナリアは青い目で国賓―――ディレイを真っ直ぐに見据え、ぴしゃりとはねつける。
…が、なぜか機嫌良くにこにこと受け流された。
思わず眉をひそめる。
―――おかしい。このひと、こんなに笑うひとだった……? もっと投げ遣りで不機嫌なひとだった気がするのに。そもそも、どうして堂々と正面突破……???
(調子、くるう…)
黒髪の令嬢の混乱をよそに、小雨すら優雅な演出と思わせる貴人らを乗せた馬車は一路、島の最北の王宮からまっすぐ主街道を南下する。
* * *
「ようこそ、ディレイ王。お待ちしておりました。エウルナリア嬢も。同乗、ご苦労だったね」
レガートのほぼ中央、東西主街道と南北主街道が交わる区域は大円形広場と称される。
広々と確保された車道が中央の大噴水を囲んでぐるりと廻り、周囲は一段高い石畳の歩道。
車道の端、歩道側は露店が建ち並び、賑やかの一言に尽きる。観光街の中心地だ。
その南東区に位置する、見上げるほどに荘厳な白い石造りの建物を背に佇むアルユシッド皇子は、今日は司祭服。かれはサングリード聖教会レガート支部庁舎の長として、一見にこやかに笑んでいる。
ディレイ王はエウルナリアが馬車を降りる際、なんとみずから手を差し出して司祭の前までエスコートした。
……気のせいではなく、姫君の表情は固い。なんとか気力で困り笑い程度の微笑を心がけているようだった。
聖教会の周囲一帯は、近衛府の正騎士隊が警備をつとめているため一般の民は入れない。かれらは、その光景を遠巻きにざわざわと眺めている。
小雨降りしきるなか、聖職者らに傘を差し出された雄々しい異国の若い王と、可憐でうつくしい黒髪の令嬢が連れだって歩くさまはそれだけで、並み居る人びとにとっては心踊る見物だった。
白銀の髪の皇子に、令嬢は青い目を伏せて礼節どおり淑女の最敬礼をとる。
「勿体ないお言葉と存じます、司祭様。承りましたとおり、ウィズルの国王ディレイ陛下と近侍の方をお連れしました」
「久しいな、アルユシッド殿。今日は世話になる」
「いえ、ディレイ王。この度は貴国でもサングリードの御教えを国教となさる心づもりと伺いましたので。
宜しければどうぞ中へ。順にご案内いたします。エウルナリア嬢はこちらに」
「は、い……!?」
その場を離れようとすると、なぜか、かくん!とつんのめった。衣装の袖が何かに引っ掛かったらしい。
驚いてぱっと振り向くと、ディレイがそ知らぬ顔で、長く垂れた袖の裾飾りを握っている。
―――いつの間に?
エウルナリアは、困り果てた顔で控えめに首を傾げ、研ぎたての刃のような空気をまとい平然と佇む青年王を見上げた。
…正直、いろいろと怖い。
「あの……陛下。離していただけます…?」
「断る。どうせ役目の間しか俺の側にいる気はないのだろう?」
にっこりと笑うディレイ王の揺るがなさと、雨天の事情も鑑みて―――アルユシッドはさりげなくため息をこぼした。柘榴石の双眸に、ひやりと冷たい光が宿る。
「……とにかく中へ。客人である貴殿方と彼女に風邪をひかせるわけにはいかない。
それとも早速、わが聖教会での診察、施薬をお望みですか?民に先駆けての献体とは……ウィズルの民は慈悲深い王を戴いて、幸せですね」
若き司祭の挑発ともとれる言葉に、ディレイは愉しげに目を細めると、にやり、と口許を歪ませた。
やっぱりこちらが本性か…とエウルナリアは警戒しつつ目許にキッ! と、力を込める。
が、そんな視線も易々と受け流された。どころか――
「もちろん、よい王は心がけているとも。…あとはこちらの令嬢を妃にできれば尚、わが民は熱狂的に喜ぶだろう」
「!! な……っ?!」
「…」
…――――元将軍の青年王は、ささやかな小手調べとばかりに軽やかに、単騎でレガート陣営に切り込んだ。




