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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
エピローグ

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239/244

239 とある朝の二人

 その年、皇歴1288年の暮れ間近。

 冬将軍の訪れはいつになく遅かった。雪は降っても積もらず、島国レガートも北方の白夜(びゃくや)も、常よりは過ごしやすい天候が続いた。


 それも効を奏したのだろう。歌長(うたおさ)の仕事は早かった。

 エウルナリアとレインが無事に仲直り(?)をした十一の月の終わりごろ。

 鷹便で届けられた書簡の通り、予定をかなり強引に繰り上げたアルムは十二の月の初旬に帰国し、さっさと二人の婚約を整えてしまったのだ。具体的には。



 ――――――――


『……まさか……、レインが私の弟になる日が来るなんてね。思いもしなかったよ』


『僕もです。ロゼル様』



 ――と。

 バード楽士伯家の隣、キーラ画伯家当主イヴァンの厚意により、すみやかに養子縁組が完了。“レイン・キーラ”として数週間をキーラ邸で過ごす。


 そして、年明け三日には内々で挙式してしまった。あっという間に“レイン・バード”の出来上がりだ。


 急遽、レガティアの聖教会を貸し切って式を執り行ったのは司祭のアルユシッド。かれを含む、国内における新婦の元・婚約者候補が全員揃うのもどうかと思ったが、おおむね和やかに晴れの日は過ぎた。


 もちろん、ロゼルを含むキーラ家の姉妹や、ゼノサーラ。キーラ夫妻に花嫁の父であるアルム。花婿の生家ダーニク家の面々も軒並み参列。

 エウルナリアの友人としては、幼いころ家庭教師を務めてくれた元・ユーリズ女史も駆けつけてくれた。(ユーリズは旧姓。結婚して姓は変わったものの、つい、そちらで呼ばれがち)


 新郎控室と新婦控室では、天と地ほども温度や様相が異なった。――が、それはまた別のお話。


 バード邸で行われた小宴は夜更けまで続き、何の嫌がらせかグランとシュナーゼンがなかなか帰ろうとしない、というハプニングに見舞われもしたが、二人はつつがなく結ばれた。



 その、二週間後。







「う、ん……」


「おはようございます、エルゥ。起きられますか?」


「無理……」


 すぅ、と、再び穏やかな寝息。

 レインは(たちま)ち真面目くさった顔となり、妻の起床後第一声をあらためて反芻(はんすう)した。


 『無理』。

 たしかに無理もない。

 時刻は午前五時前だし、外は真っ暗。さっき火を入れたばかりの部屋は暖まりきっていない。しかし。


 三十分前に起きて身支度を済ませたレインは、にこにこと寝台まで歩み寄った。

 靴を履いたままなので、行儀は悪いが膝で乗り上がる。そのままエウルナリアの元まで辿り着くと、そぅっと髪を撫でた。耳許で再び呼びかける。


「起きてください。エルゥ」


 反応は芳しくない。「んんん……」と、やる気のない甘い声だけが漏れる。


「……」


 かちん、と、レインのなかである種の嗜虐的欲求が頭をもたげた。世間的には悪戯心(いたずらごころ)とも呼べる(たぐ)いの。


 よって、無言。

 容赦なく寝具の上掛けを(めく)り、丁寧に夜着(やぎ)の細いリボンをほどくと、ぼんやりと青い瞳がひらいた。効果はてきめんだった。


「何してるの、レイン」


「脱がしてるんです。着替えるでしょう?」


「……いえ? そうじゃなくて」


 少女は、ぼうっとしつつも頬を染め、何ごとか懸命に言い募ろうとしている。

 レインは「しょうがないなぁ」と微笑み、胸下まで続く小さなボタンを手際よく外していった。口調は、あくまでも実直そのもの。


「そうじゃない…………? あぁ、()()()()()起こして差し上げるべきでしたか。でも、今朝は時間がありませんし。それはまた今度」


「は? え???」


 目をぱちぱちとさせつつ、されるがままなところが心底可愛いと思う。

 うっかり『違う方法』を実践したくなるのを鋼鉄の意志で押さえつけたレインは、潔く手を止めた。


 長い睫毛に(ふち)どられた、澄んだ瞳に見つめられている。

 剥き出しにさせた首筋から胸下までの、真珠色の肌の清らかさに、ぐっと目を瞑った。

 名残惜しいので、一度だけ珊瑚色の唇に口づける。中途半端に乱した服は直さない。


「昨夜は遅かったのでお辛いでしょうけど……。明日は第二回大陸会議です。今日は、丸一日かけて各国から船が到着しますから流石に起きないと。予定では午前にセフュラ。正午にジール。昼過ぎオルトリハス。夕暮れごろウィズルとなっていますが」


「!!!! 起きた! もう起きましたから! レイン退()いて。あの、着替えます。先に階下(した)に降りててくれる……?」


 真っ赤になったエウルナリアが、今度こそ完全覚醒の表情(かお)で叫び、わななく。

(よし)

 レインは達成感に満たされて、速やかに寝台を下りた。我ながら良い仕事をした。


「仰せのままに、エルゥ。では、姉を呼んできますね。食堂でお待ちしています」


「うぅっ…………。はい」


 ――――お願いします、と。

 はだけた夜着の胸元をかき合わせた少女は大変悩ましく、伏し目がちに潤む目許を赤らめたまま、答えた。




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