238 色づく耳に、口づけを※
――その後。
耳聡く皇子の声を拾ったレインが頭上を仰ぎ、「エルゥ様!!」と、声を張り上げるまでがワンセット。
以下、残念な青年二人のいがみ合いが様式美のごとく延々と続く。(※気を利かせた聖職者らの意向により、人払いはとっくに完了。だだっ広い礼拝堂で、三人ぽっちになっている)
「驚いた……! やんごとなき司祭の殿下が女性を連れ去り、あまつさえ泣かせるなんて。一体どうなってるんです!!?」
「『どう』……? 泣かせたのはきみだと思うけどね。そうだなぁ。抱き上げて自室に連れ込んで、口づけるくらいはしたよ」
「!!!」
「殿下、それはっ」
声なく固まるレインに、涙を引っ込めざるを得なくなったエウルナリア。
アルユシッドは、にっこりと笑んだ。
「事実だよ。隠すほうが性に合わない。それに、これくらいしないときみ達は永遠にわからないんだ。特にレイン」
「……何を、ですか」
眼光険しく問い質すレインに、皇子は呆れたように言い放った。
「考えてもみて。いいかい? 招かれた国で、そこの権力者にもしも二心あれば、彼女は簡単に引き離されるし奪われるんだ。あるいは、きみ自身さえも。
きみは、あの場で何としてもエルゥの安全を確保すべく交渉し、せめて一緒に居るべきだった。引き下がらずに」
「っ!」
途端に、打たれたようにレインの顔色が蒼白になる。
過去の経験を踏まえて『それは正しい』と、一瞬で認めた証だった。
「だから」
とん、と、レインに向けて隣の少女の肩を押す。
咄嗟のことでバランスを崩したエウルナリアは、慌てて駆け寄ったレインによって抱き留められた。
「もうさ、候補だなんだと中途半端なこと言ってないで、さっさと式を挙げるくらいしなさい。歌長からの返事、きみ、持ってるだろう?」
「なぜ」
ハッとするレインに、アルユシッドは束の間、無言で見返した。
「……わかるよ。陛下なら、どうするかくらい。私はもう戻る。エルゥ?」
「! はい」
「またね。二人で良く話し合うといい。でないと、また実力行使するから」
「えぇと……。それは、ちょっと!!?」
『本気だよ』と、くすくすこぼす悪戯な笑み。遠ざかる衣擦れ。靴音。
見送る主従を残してパタン、と、一階中央の扉が閉まった。
* * *
「レイン、お父様からの書簡って」
「エルゥ様、『実力行使』とは」
「……」
「…………ふっ」
そっくり同じタイミングで切り出した二人は、やっぱり同時に笑ってしまった。
――何だか、締まらない。
人差し指で涙の名残を拭いつつ、エウルナリアはレインに「どうぞ?」と、勧めた。
「たくさん言いたいこと、あったんでしょう? 聞くよ。聞きたい」
「それは」
ごく、と喉が鳴る。この期に及んで緊張する。
自然と下がる目線を拾うように、主の少女は近寄り、かれの手をとった。
「……私ね。さっき、レインの音を聴けて幸せだった。すごく、すごく気持ちが満たされたの。初めて聴いたときよりも。ずっと好き。きっと、これからも」
「……これ、からも……? 『ずっと』ですか?」
震える指。
それを、ほっそりとした手が包む。
エウルナリアは微笑んだ。いとおしさに溢れたまなざしだった。
「好きだよ。ずっと。命ある限り。……たとえどんなことがあっても。あなた自身が私には支えで光。あなたの音も。知らなかった?」
「――……知るわけがありません。エルゥ」
「うん?」
邪気なく、小首を傾げる少女を、堪えきれずふわり、と抱き寄せる。
折れそうな華奢さ。信じられないほどの柔らかさ。――――生きている。たしかな温もり。
(この、一分一秒が惜しい。僕にとっては、ずっと。それが)
「どうか……側に居てください。前は、貴女の夫になりたいと願ってた。でも今は違う」
「えっ」
狼狽の気配が伝わる。
それでまた、身を切られるような。
――あぁ、だから『切ない』というのかな、などと漠然と思う。
レインは、ようやく万感の想いを言葉に乗せた。
「貴女の残りの一生、残りの時間。すべてが欲しいです。我が儘かもしれない。強欲だと言われても」
黒髪に指を滑らせる。かきあげて、色づく耳に口づけた。びくっ、と少女が背を跳ねさせる。
「レイ……ン!」
「『実力行使』。……よくわかりませんが『させません』と、お伝えください。極力、二度と二人きりにはさせませんが」
「あ」
焦がれた肌に触れる。
頤に指を添える。
潤む青い瞳を至近距離に見つめる。誰にも。もう、二度と。
決然と意思と力を込め、レインは痛む背を無視して彼女をかき抱き、逃がさぬように唇をかさねた。
渡し損ねた書簡が、ぽとり、と指の隙間から逃げた。
“――いとしい娘、エウルナリアへ
前略。読んだよ。随分とレインを悩ませたようですまなかった。
実はあの夜、きみの母が短命の一族だったと私から教えてしまったんだ。きみは、ディレイ王に直接伝えていたから。
……『余計なことを!』と、怒ったかな?
ユナがいれば、間違いなく叱られたろうな。
でも。
幾つもの選択肢から迷わず『かれ』を選んだ、きみを誇りに思う。
どうか、幸せになってほしい。
麗らかな春も、灼熱の夏も実りの秋も。白く凍える煌めく冬も、朝も夜も。きみが想うレインとともに。
卒業は待たなくてもいいよ。せっかく決まったんだ。好きにするといい。
あ、でも仔細は私の帰国まで待って。一応、順序ってものがあるからね?
白夜にて。アルムより――
追伸:出来るだけ早く帰る”
236話のあとがきで「あと一話」と言いつつ、書いてみると二話に膨れ上がってしまいました。
たいへん申し訳ないです……(/-\*)
近日中に後日譚を書いて完結としたいです。
お読みくださり、ありがとうございます。




