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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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236/244

236 細い塔の上で

 絶対、ここのはず。

(アルユシッド様の根城と言えば、サングリード聖教会。ここしかないだろ……!)


 勇み足でバード家所有の馬車から降り立ったレインは真っ直ぐ、まずは礼拝堂へと向かった。





 ――いっぽう。(くだん)の司祭と令嬢の間にはひと悶着起きていた。


「わけが、わかりません……!」


「どうして? この上なく私は素直に話しているのに」


 ブルブルっ、と幼子(おさなご)のように首を横に振ったエウルナリアは、アルユシッドの膝の上で激昂した。


「お話は、いいんです。ここが、ユシッド様が司祭候補だった頃過ごされたお部屋で、今もほぼ私室なのはわかりました。()()()()()()()()()()なんです……!!」


「あぁ」


 何だそんなこと、と言わんばかりにきょとん、と皇子は目を瞬いた。

 (わかってくれた)と安堵したのも束の間、今度は両手首を拘束された状態でやんわりと押し倒されてしまう。――長椅子に。

 呆然と、エウルナリアは呟いた。


「殿下。さっき『悪いことはしない』って」


「言ったね。でも……どうかな? 本当の『悪人』なら平気で嘘を()くよ。ね、エルゥ」


「…………うっ」


 ぎり、と、少しだけ手首を握る力が強められる。それだけで僅かに声がもれた。

 皇子は苦笑する。


「……参ったね。嫌になるほど、ディレイ殿の気持ちがよくわかる」


「!」


 ぎょっとした。

(あれ? ユシッド様は、私がウィラークで危ない目に遭ってたのは……知らないはずよね??)


 『危ない』のは、今も。

 客観的に見れば、礼拝堂脇の塔の最上階の小部屋でこの状態。余人はいない。

 未婚の、貴族家の若い男女ではあり得ない接触に至っている。


 救い(?)は、相手が話せばわかってくれそうな『アルユシッド』であること。

 現に、転がされたのは自分だけ。かれは普通に掛けている。上体を捻って片手ずつ手首を掴んでいるのに過ぎない。


 ……

 …………


(やっぱり、良くはないな……)


 考えが(ようや)くそこに行き着いた頃、見透かしたように至近距離で涼やかな声が降ってきた。


「どう? エルゥ。わりといつも危ないんだって自覚、できた?」


「そう……かもしれませんね。すみません、よくわかりました」


「よし」


 にこり、と細められた柘榴石(ガーネット)色の瞳に、瞬間、見たことのない光が浮かんだ。強いていうならば、理性と衝動のせめぎ合いのような。


 殿下……? と、ちいさく呼ぶと片方の腕を外され、両目の上に被せられた。


「?? …………ッ!」


 ゆっくりとなにか、唇に重ねられる感触。

 視界と息を奪われながらも、ひどく混乱する。身を(よじ)り、辛うじて空いた右腕でアルユシッドの肩の辺りを押しやった。


「や、め……、殿下!」


「うん。わかってる。――はい、どうぞ」


 あっさりと返事。離れる気配。

 視界が晴れて目を白黒させている間に手を引かれ、身体を起こされた。


「……あの?」


 まだよく付いていけてない。どき、どきとしつつ目線で問うと、困ったように微笑まれた。

 やさしい手が髪を撫で、絡まりを指で()(ほぐ)している。乱れたところを直してくれているのだと、数度瞬きする間に気がついた。


「きみが」


「はい?」


 髪からも手を離され、覗き込まれた。


「……何を、どうしても心を変えないのは分かってた。でも、私だって足掻(あが)いてみたかったんだ」


「で」


 殿下、と口にしそうになって躊躇した。いま。このひとは――


 ごく、と唾を飲む。告げなければならない、()()()()()()()()()()がもたらす痛みを思って、身がすくんだ。


「…………ごめんなさい。ユシッド様。わたし」

「いいよ。言わないで」


 そっと、今度は人差し指で唇を押さえられてしまう。皇子はほろ苦く笑んだ。


「もう、充分痛いし。でも甘んじようと思う。レインが今度、とち狂ったらいつでもおいで。――立場の違いってやつを、分からせてあげるから」


「ユシッド様。それ、何だか怖いです」


 冗談めかして語られる軽口に、つい顔がほころぶ。

 緊張が解けたらしい姫君に、やれやれとアルユシッドも眉尻を下げた。どことなく“降参”という気配が滲む。


 立ち上がり、スッと手を差し出した。


「知らなかった? 私は結構、怖いよ。

 ……そろそろ行こうか。きみの最愛の奴を待つなら礼拝堂がいいよね。もう来てるかも……」





 ――――!


 その時。

 エウルナリアとアルユシッドは、両方同時に目をみひらき、耳を澄ませた。


 聴き違うはずもない、音が届いた。






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― 新着の感想 ―
[一言] 結局読んでしまいました…… 完結を楽しみにしております。
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