235 拝命の……儀?※
質のよい、真っ白な紙に金箔が縁取られている。一見して手の込んだ任命状だった。
丁寧に綴じられ、薄い冊子になっている。表紙には朱で皇王御璽の押印。それを手に、アルユシッドが厳かに文面を読み上げる。
『……以上の点をふまえ、第二回大陸会議主催国としてエウルナリア・バードを対ウィズル及びオルトリハス、ジール、セフュラの首脳担当とする。
各港での出迎え業務に加え、皇宮迎賓館までの付き添いを委任する。
上記国家との円滑な関係を構築すべく、貴殿には機に応じ、“窓口”としての役割を期待するものとする。
――……マルセル・フィン・レガート。名代、アルユシッド・フィン・レガート』
『御意。慎んで承ります』
形式上、起立したままのアルユシッドに向かい合い、頭を垂れて膝を折るエウルナリア。文句なくうつくしい君主代理と、次代の君臣たる令嬢の姿だった。
冊子は書記官が平たい箱に納め、エウルナリアへと託す。
(終わった……のかな? 意外に早かった)
ほっと表情を寛げた瞬間だった。
ふと、皇子に屈託なく笑いかけられたのは。
『エルゥ。私はこれから陛下の補助に戻るけど、一緒に来る? 白夜から鷹が戻ってるかも知れない。届いた書簡は、必ず最初に皇王が目を通すことになってるから』
『! あっ、はい。有り難く存じます。ではレインも』
ぱっと後ろの扉を振り返った令嬢は、箱を抱えていないほうの右手をやんわりと掴まれ、怪訝な顔をした。『ユ…………殿下?』
『おいで。こっち。ただ呼ぶんじゃ面白くないから』
『?』
左腕で抱えていた箱を抜き取られ、ことん、と書記官の机の上に置かれた。
『(戻るまで、ちょっと預かってて)……ね?』
人差し指を口許に当てた皇子は艶然と微笑んだ。
――――からの、壁にしか見えなかった非常扉を抜けて“現在”に至る。
* * *
結果、エウルナリアは拐かされてしまった。のらりくらりと理由を付けて、そうと知らずに皇族専用馬車の発着所まで連れられ、文字通り押し込められてしまったのだ。
二人はレガティア観光街の中心地で馬車を降りた。サングリード聖教会レガート支部庁舎の礼拝堂の真ん前だ。
もちろん衆目は集めたし、この点に関して言えばアルユシッドは堂々としたものだった。さも、公務の一環のような態度で令嬢の手を引いている。
(やられた……)
今朝とは理由を違えて、何度目かのため息。
いっそう渋くなる表情。
エウルナリアは、アルユシッドの横顔を盗み見た。
相変わらず、自然と笑んでいるように見える。
かれの弟妹曰く『穏やかと気品の権化』。普段なら、それに安心こそ覚えど不安になることはない。なのになぜ。
(……どうして、わざわざレインを置き去りにしたんです?)
こんなに手間隙をかけて。
仮にも第二皇子。皇宮における権限を用いれば一貴族の従者程度、遠ざけることは容易かったはずだ。
それを避けた。
悪戯としては度を越えている。嘘を吐かれたことよりも、自分だけを“連れ出す”ことに意味があるように思えて。
――きっと。
かれなりの、何か意図があるのかも知れない。漠然と予感めいたもの。それに身を委ねている。
コツ、コツンと足音が重なるなか、アルユシッドがおもむろに口をひらいた。
「静かだね」
「? そうですね。観光客も礼拝者も、思ったよりは」
「そうじゃなく。きみが」
可笑しい。連れ去った張本人なのに困りきった顔をしている。
エウルナリアはつい、微笑んでしまった。
「だって、『ユシッド様』ですから。何か理由があるのかなと」
「その……根拠のない信頼。時々、無性に千切り捨てたくなるね」
「あら」
アルユシッドらしくない物言いだった。悩める青年のような表情をしている。
ぴた、と足が止めたのは礼拝堂ではなく、脇にひっそりと備えられた小さな木の一枚扉。
そこに誘われ、パタン、と背後で扉が閉まる。
――と、なぜか抱き上げられてしまった。
「きゃっ……! 殿下?? ちょっ」
「決めた。いい機会だから、千切り捨ててみようか。紳士らしさってやつ」
「!! だっ……、それはだめです。駄目! きっとサーラが嘆きます。『全世界の乙女の理想を踏みにじるんじゃないわよ』くらい、平気で言われますよっ???」
「言いそう。うまいなぁエルゥ」
「ユ シ ッ ド さ ま !」
はっきりと愛称で、かさねて非難を受けて、それでも白銀の皇子――司祭でもある――は、柔らかく笑んだ。
「だめ。今日だけだから。大人しくしててね、ちょっとだけ」
「え? あの……下ろしてください。歩きます。逃げませんから」
視界が流れた。
重たいはずなのに、軽々と運ばれている。隣接する塔の内部らしく、上へ上へとひたすら螺旋階段が伸びていた。
…………嘘。これを、全部?
うっすらと青ざめる令嬢に、別の理由を見いだしてか、青年はにこにことした。
「大丈夫。怖がらないで。悪いことはしない」




