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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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234/244

234 邂逅、失踪、覚醒

「あれ? きみ、アルムのとこの秘蔵っ子のレイン君だね。うちの息子の恋敵の……。どうしたの? こんなところで」


「えっ」


 通路に立ち、静かに待機していただけなのにすごい人物に声をかけられてしまった。どうしよう。

 あまりにも普通すぎて、レインは返事に窮してしまう。ぱくぱくと口を開閉したあと、辛うじて一言、最低限の確認のために問いかけた。


「マルセル……皇王陛下?」


「フフフッ。そうだよ、やだなぁ。自分()なんだから、そりゃ居るよ。で、最初の質問。一人……なわけないよね。エウルナリア嬢の付き添い? 彼女、どこ?」


「は、はい。こちらの部屋に。あくまでも官職を戴く個人に向けた“拝命の儀”だからと、先ほどアルユシッド殿下より退出を促されました」


 ――何というか。

 なまじ美辞麗句を連ねた挨拶よりはスピーディーな対応を求められている気がして、思いきって質問の答えのみ口にする。


 と、単身供も連れずにのんびり歩いていたらしいマルセルから微笑が消えた。「ははぁん」と、いかにも悪そうな表情(かお)をされる。


「あ~…………うんうん、なるほど。だから()()()、わざわざ令嬢宛の任命状だけを引っこ抜いてったんだな……」


「えっ」


 本日、二度目の訊き返し。レインは思わず詰め寄った。


「お待ちください。てっきり、陛下がご多忙なために、殿下がいくらかの案件をお引き受けになったのかと」

「いやいやいやいや」


 ないよー、と朗らかに、ひらひら手を振られてしまう。そのままにやり、と笑われてしまった。


「任命状に、こと細かに職務内容は記してある。ある程度事情を察している皇室の人間で、文字が読めるやつなら誰にでもできる簡単なお仕事だ。うってつけに経験値を積ませたいボンクラがいるからね、うちには」


「………………左様ですか」


 危ない。どんな(トラップ)か。

 もう少しで『シュナーゼン殿下ですか』と、つるっと口を滑らせるところだった。


 結果、片眉を上げて、大真面目に相づちを打つ。

 マルセルは「そうだ」と、懐からごく小さな紙片を取り出した。丸まっている。


「じゃあこれ、きみに渡しておこうかな」


「それは?」


 レインは不思議そうに首を傾げた。


「あ、そうか。きみはウィズルで負傷したのだったか。見るのは初めて? 鷹便でやり取りする書簡。こんなに小さいんだよ」


「……まさか」


 ――……主の少女は言っていなかったろうか? 父君(アルム)(ふみ)を飛ばしたと。


 悠々と、マルセルは笑んだ。


「うん。決まりだからね。先に目を通させてもらったが問題ないよ。これ、早くあの子に見せてやったほうがいいんじゃないかな。どうも――」

「! 僕に託していただけるんですか?」


「そりゃあ、『きみ』だもの。エウルナリア嬢ならあとで、進んで見せてくれるんじゃないかな。だけど」


「何です?」


 独特のペースの御仁に、つい、レインも地が出てしまう。若干()いたような光を浮かべる灰色の瞳に、マルセルは面白がるような目線と顎で、うしろの扉を指した。


「私の勘が正しければ、あいつ、エウルナリア嬢を連れ出してる気がする」


「えっ………………えぇぇっ!???」


 哀れ、三度目のすっとんきょうな訊き返し。レインは途端にハッと我に返り、「失礼」と(きびす)を返す。バタン! と扉を開けた。


 そこには。




   *   *   *




「う、わぁあっ……!?  どうなさいました、従者殿。なぜ、()()()()()?」


 あたふたと、書類を取り落としそうになった書記官が不思議そうにこちらを見ている。

 レインの(はら)の底が、瞬く間に冷えた。


「僕が一番聞きたいです。どういうことです?」


 ――――いない。

 正確には、いたのは書記官だけだった。あとはもぬけの殻。

 なるほど、仮にも奥宮謁見室。非常口が無いわけがない。


 わなわなと拳が震える。――やられた!!!



「まぁまぁ」


 ぽん、と肩を叩かれ、振り向く。威圧感はなかったが上背があるため、不可抗力で恨みがましく見上げる形になった。


 柔らかそうな白銀の髪。穏やかで悪戯っぽい琥珀の双眸。

 分かりやすく気の毒そうに見つめられ、思わず苦い声がもれる。


「陛下」


「なっ!! 陛下……?! なぜここに! あと四十名は下らなかったはずですよ。まさか、放り出して来られたのですか?」


「嫌だなぁ。ちゃんとシュナーゼンに回してきたよ、全部」


(やっぱりシュナ殿下……)


 ――――少しだけ。

 少しだけ同級生のやんちゃな皇子殿下に同情した。()()父親に、()()兄君。さぞ、幼い頃からいいように可愛がられたことだろう。

 この上さらにもう一人いるのだ。白夜(びゃくや)に留学中の第一皇子殿下。会ったことはないが、一体どんな癖のある人物なのか。


(いや、それより!)

 レインは、ぶんぶんっと(かぶり)を振った。決然と皇王に問いかける。


「陛下。お心当たりがおありですね? お教えいただけますか」


 つめたい、ひやりとした温度のまなざし。

 圧は半端ないはずだった。

 なのに、マルセルは「おや」と眉を上げ、嬉しそうに相好を崩す。


 ――――(いわ)く、上機嫌と言って差し支えない。ほくほくと、実に気軽に先ほどの書簡を手渡した。


「きみ……アルムに似てるな。いいと思うよ、そういうの。大切なものがはっきりしてて、他人に不必要に()()()()()()しない。大事なことだ」


「いいから。質問にお答えを」


 書簡をしれっと懐に仕舞いつつ、追認の手は緩めない。マルセルは肩をすくめた。


「ユシッドには、ここじゃない根城があるから。皇宮には、もういないんじゃないかな……? 私があいつなら、もうとっくに出てる」


「――わかりました。お声をかけていただき有難(ありがと)うございました、陛下。申し訳ありませんが急ぎますので、これで。御前失礼いたします」


 さらり、と、栗色のつややかな髪が流れる。

 惚れ惚れするほど優雅な礼をとり、レインは早々に立ち去った。





 ――――――――


 本人は気づいていなかったが、それはいわゆる“従者”らしからぬ振るまいだった。無意識だったかもしれないが“紳士”の退出の礼だった。


 無駄のない足運び。

 ひとを惹きつけるのに跳ね除ける優雅さ。

 確固とした目的。

 つよい、自我。


 確かに今、レインには鋭い、ふれれば切れそうな美しさがあり、皇王が寵愛・重用するこの国の歌長めいていた。




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