233 拝命の儀
指定を受けた時刻より少し前。
エウルナリアはレインの手に右手を委ね、黒塗りの馬車から降り立った。
ふわり、と羽織った灰銀色のショールが空気を孕む。波打つ黒髪が湖からの風にそよいだ。
「寒くはありませんか?」
「平気。さすがキリエのお見立てね。サイズもぴったりだし暖かいわ」
「良かった。母と姉でいつもどおり、あぁでもない、こうでもないと楽しそうに選んでいましたから」
「……」
万事、そつがない。
細やかな気遣い。爽やかな笑顔に柔らかな受け答え。
――本当に、徹底して“従者”だ。
壁を作って閉じ籠られても堪えたが、これはこれで気になる。
(わかんない……)
エウルナリアは今日、何度目かのため息をこぼした。
首元まで包む、慎ましやかな群青のドレスはベルベット仕立て。見た目に重くなり過ぎないように、襟や胸元、袖口に白いレースをあしらっている。
何よりどんな慧眼なのか、幾分ふくよかになってしまった胸囲が自然と形よく納まった。些細なことではあるが、これが一番の快挙だ。
おまけに、何だかんだ言ってレインが側に居ると(何くれとなく世話を焼かれるので)朝食もきちんと食べられた。
『衣食足りて礼節を知る』……に近い心境。
愁いごとは一つずつ無くなっている。自分の心は定まっているのに。あと一手、何かが足りない。
* * *
皇宮の外壁は、主に白と金。屋根は青。
ひらけた庭園に佇み、威容はありつつ、ただただ麗しい。水鳥のようだ。
雪が降るにはまだ早いこの季節。庭園は花々の彩りには欠けるが、赤く色づいた背丈の低い生垣と、丁寧に剪定された木々が視界のアクセントになっている。馬車が長閑な音をたてて去った方角には、黄金色の大銀杏が見えた。
ひやり、と、近づく冬の気配。澄み渡って晴れている。湖岸の空と溶け合うように北方の白雪山脈が長く、左右に広がっている。
三つの青を背景に聳える白亜の尖塔群は、あまりに優美。絵画的で。
(――……そうか、攻められることなんて一切考えてない城構えなんだ……)
気づくと、じっと見上げていた。
この半年間の旅の終着点でもあった、西国の城を思い出す。
あそこは内乱が終わって間もないせいか、まだ身近に戦の空気が満ちていた。時代に応じて手を加えられた形跡はあったものの、基本はいわば砦。敵から攻められても、ある程度凌げる造りになっている。
(レガートとウィズル……。源流は同じはずなのに。何がどう、違ったんだろう?)
無意識に両者を比べ、思索に耽ってしまった少女の手を、レインがそっと引いた。
「エウルナリア様、参りましょう。ユシッド様は『奥宮に』、と?」
「あ、……うん。そう。今日はね、多方面から人材を招じて、陛下や殿下がたみずから個別にお命じになるみたい。開催地がレガートに決まったから。大忙しなんだわ」
「皇王……マルセル陛下の御代になってから、レガートは飛躍的に国力を安定させたそうですね。特に、外交手腕が巧みでいらっしゃると。どんな方ですか?」
「どんな……?」
エウルナリアは首を捻り、少しだけ眉を寄せた。場所が場所なだけに、なるべく慎重に言葉を選ぶ。
「うぅん…………。気さくでお優しいかたよ。朗らかで、お茶目でいらっしゃるわ。私も二度、お声を交わしたことがあるだけだから」
「あぁ……、なるほど。殿下がたのお父君でいらっしゃる、ということですね」
「そういうこと」
こくり、と頷く。話しているうちに白い階を昇り終え、普段なら大ホールへと続く赤絨毯の通路を歩く。
さてさて。今日の拝命の儀は一体どちらからか。
主従は、あっという間に声をかけてきた侍従の案内で、表の宮殿から奥宮控え室へと直接通された。
* * *
「や、エルゥ。……に、レイン。傷はどう? 普段痛むことはないかな」
「! ユシッド様。ご機嫌麗しゅう」
「はい、殿下。このような場でお気遣いを賜り、かたじけのうございます」
「ふふっ。いいよ、そんなに畏まらなくても。書記官はいるけど、念のためだから。一々雑談までは記さない。――ね?」
窓辺の光源を背に受けて輝く、白銀の髪の青年が笑った。それだけで空気がまろやかになる。
奥宮の簡易謁見室。
普段なら皇王マルセルが鎮座する椅子の前で、第二皇子アルユシッドが立っていた。
声をかけられた書記官は皇子の傍ら、端の机に向かい、几帳面な居住まいで羽ペンを握っている。視線を落とし、さらさらと手を動かしていた。
「……さて、どういたしましょう。殿下の仰せとあらばお聞きしたいのは山々なのですが……」と、取りつく島もない。
いかにも『御役目大事』オーラを漂わせる官吏に、しょうがないなぁとアルユシッドも微笑む。
エウルナリアとレインは、そっと耳打ち合った。
(……大丈夫かな。失言してないよね、私達)
(はい)
こそこそと内緒話をする主従に、皇子の瞳がすぅっと細まる。束ねた書類をポン、と左手に当て、にっこり笑み深めた。
「すまないレイン。このとおり、うちの書記官ときたら融通が利かなくて……。扉の前で待っててくれる? 終わったら呼ぶよ」




