231 語らい(後)
(性根って……叩けば直るんだろうか)
埒もないことを考えてしまった。相手が母であれば、怒られ慣れているのに。
思えば、父とこんなに長文の応酬をしたのは初めてだった。事が事だし、一体どんな雷を落とされるのか。
――……言葉攻め。理詰め? それとも、意外な路線で物理(※拳)だろうか。ほんの一瞬で、おそろしく無駄に頭が回る。
が。
何であれ受け止めるべきだと、粛々と進めた心の準備は全く用をなさなかった。
席を立った父が、ぐるりとテーブルを迂回して、表情を変えずにこちら側に近付いて来る。
この時点でもはや予測不能。(まさかの拳?)と、咄嗟に身構えた。
「???」
「立ってみろ」
「あ、はい」
指示通り立ち上がる。
目線はさほど変わらなかったが、それでもダーニクのほうが幾分高い。
(一生、追い抜けないのかも)
まだ白髪のない頭頂部をぼんやりと眺めていると、ぽん、と頭に手を乗せられた。
…………まさか、撫でられている?
「!」
刮目して仰天した。振り払うこともできない。
「ち……っ?? 父うえ?」
「いや、でかくなったが中身は子どもだなと」
ダーニクは笑みほころんだ。
こんなに表情筋が仕事をしている父は見たことがない。大いに戸惑う。
しかも次の瞬間、やさしげに目を細められた。普段は無機質な声も染み入るように深く。
「…………お前は、お前だ。他の何者にもならなくていい」
「っ!」
――なぜだろう。ぐさり、と刺さった。
比喩だ。
実際には見つめられ、頭に手を置かれているだけなのに。
叩き直すのではなかったんだろうか……? と、信じられない思いで父を凝視する。
自分が甘すぎて嫌になる。ずっと、欲しかった言葉の気配がした。
「エウルナリア様のお心は、あの方だけのもの。それを周りがとやかく言うのはおかしなことだ。たとえ、お前であろうとも」
「それは……そうです。僕は従者として、あの方のお心にこそ、ずっと添いたくて」
「そこがおかしい」
「え!? 痛ぅ!」
一転、ぎりりっと頭部を圧迫された。鷲掴みだ。
――指が武器! このひと、握力強いな??? など、我ながら変な方向に驚いてしまう。
「従者だから仕えたのか。七年も? あの方の側で、あの方だけを支え続けて。お前のことだ。時にはあり得ん無礼も働いただろう。が、無二の女性として真底心を砕いたはずだ。己が至福として。
――そうだろう? それを、何ら変えなくともいいんだ。呼び方や立ち位置が変わろうとも。想いは。尊ぶべき“心”は、お前のなかにある」
「!! っ、僕、は……」
―――――――
おかしい。
酒を飲んでいないのに目が潤む。熱い。
頭への締め付けは緩められていた。また、やさしく乗せられているだけ。撫でられもせず。
父が、信じがたいほど温かなまなざしで覗き込んでいる。
ほんの僅かな身長差。その数センチ分だけ、律儀に傾けて。
「お前個人が向けられるありったけの誠意と恋情を。熱意と尊敬を。生涯、忘れるな。持ち続けろ。お前は私達が愛してやまない、誇るべき息子だし、あの方にも必要とされている。喜ばしいことだ」
「必、要…………?」
どこまでも疑い深く、感情に流されまいとする頑なな息子に、ダーニクはやれやれと嘆息した。仕方ないな、と抱き寄せる。
「!!!」
息を飲む気配。
落ち着かせるため、背を叩こうとして寸でで止めた。
そう言えば、深手を負っているのだった。
止める、一呼吸。
「必要だよ。されているだろう。まだわからないか? あの方のお心。ずっと、求めていたものを。……お前だよ。お前だけなんだレイン。ちっとも難しいことじゃない」
ぽん。
「ぅぐっ」
あえて、背の真ん中を叩いてやった。痛かったろう。堂々と泣けるし、結構なことだと笑い飛ばしてやる。
そうして、涙目で睨まれつつ、そっと抱擁を解いた。
いとしい妻が授けてくれた、欲張りだがひどく無欲な息子。自分譲りの灰色の瞳に、由々しい翳りはもう見当たらない。
「明日、随身をつとめ上げたあとにでも、直接お訊きするといい。お前にはそれが許されてる」
――動け、臆するな。飛び込んでみろ、と。
記憶より随分と近くなった、すぐにも走り出しそうな息子の顔に、微笑みかけた。




