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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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230/244

230 語らい(前)

 コン、コン。


「どうぞ」


 夜半に部屋を(おとな)う者を、ダーニクは誰何(すいか)すらしなかった。手元の帳簿に視線を落としつつ促す。


「失礼します」


 ややあって、折り目正しい挨拶とともにレインが入室した。

 ふーん……と、ダーニクが感心したように口をひらく。


「まぁまぁ、見られるようになったな」


「おかげ様で」


 言葉とは裏腹に半眼。レインは、じとり、と父親を睨んだ。結果的には良かったのたが。



 ――有無を言わさぬ大改造だった。

 頬の横の髪は肩口より短く切られている。

 額の中央で分けた前髪の形は変わらないが、襟足は丁寧に()かれ、それがぴしり、と気分を一新させた。軽い。


 最近、寝台で過ごすことが多かったので、ゆったりとした衣服ばかり着ていた。

 それも(フィーネ)の正確な採寸と同僚メイドの容赦ない衣装合わせの賜物(たまもの)で、ほぼ隙のない紳士服を見立てられている。

 春よりも幾分か痩せたようで、以前の服は軒並み合わなかった。(※若干、身長が伸びたせいもある)


「……」

「……」


 改めて向き合う、髪と瞳の色がそっくりな父子(おやこ)

 執務机に掛けたままだったダーニクはふと立ち上がり、入口近くのサイドボードを指差した。なかには(ボトル)が一本とグラスが二つ、小さなトレーでセットにされている。


「今日は、もう(しま)いにする。一杯付き合わないか?」


「……『性根を叩き直す』のではなかったのですか?」


「私はキリエとは違う。()()()で、あそこまで喋れない」


「なるほど」


 深々と頷く。

 違いない、と苦笑して銀のトレーを取り出した。

 父が移動した応接用の低い長卓にカチャ、と置き、酒瓶(ボトル)を開栓して傾ける。


  コポポ……


 深みのある香り。

 澄んだ色合いの蒸留酒を、グラス一つに注ぐ。今度はレインが「どうぞ?」と勧めた。


 ダーニクは怪訝そうに目を瞬いた。気のせいか、ちょっと残念そうに見える。


「何だ。飲まないのか」


「……っふ、父上まで……!」


 突き抜けて他意のなさそうな父親に毒気を抜かれ、レインは吹いた。くすくすと楽しげに笑う。


バード邸(ここ)の方々ときたら、皆さんお忘れのようですが。僕はこう見えても怪我人ですよ? 腕利きの司祭様から、完治までは厳重なる禁酒を命じられています。表面上、もう塞がってはいますが…………あ、ご覧になります?」


「いや。大体わかる。脱がなくていい」


「良かった。じゃ、僕はこっちをいただきます」


 レインは、テーブルの上に元からあった硝子(ガラス)の水差しを手に取った。

 ――確かに、ご指摘通りの()()()()()()だったとは言え、随分ひどい目に合いましたからね、と。


 『さんざん緩みきって』いたことは認めつつ、父とは反対側のソファーに腰を下ろした。




   *   *   *




「キリエから(おおむ)ね聞いている。お嬢様がお前を選んだということも。お前が、及び腰なことも」


 ダーニクは一口、二口と静かに味わい、まさに酒の(さかな)のように話を切り出した。

 レインは「おっと」と、気を引き締める。酔った父は饒舌になるタイプらしい。


「はい。……とても光栄ですが。僕ではなく他の候補者のほうが、()()()()()()()()()()差し上げられるのでは、と」


 ぴく、とダーニクの片眉が上がった。


奥方(ユナ)様の件は、関係するか?」


「…………短命の可能性が高い、とのことですね。まだ……受け止めきれてはいませんが、直接の理由ではありません。強いて言うなら、あの方の心の在処(ありか)の問題だと思っています」


「心の」


 ――さも、つまらない言い分を聞いたと言いたげにダーニクは視線を上げた。「何を根拠に?」と、続きを促され、レインもぐっと堪える。


「ウィズルのディレイ王が、このたびエルゥ様の婚約者候補に加わりました」


「知っている」


「エルゥ様は……かれには。ディレイ王にだけは、ご自身が短命かもしれないと、みずから打ち明けられたと。アルム様から伺いました」


「それで不信に?」

「う」


 ぐいぐい来る。

 酒のペースも静かなのに早い。如才なく代わりを注ぎつつ、レインは迷った。

 不信。そう言われると。


「やはり、叩き直さねばならんかな」

「やはり、ですか」


 ダーニクは呟き、す、と立ち上がった。




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