230 語らい(前)
コン、コン。
「どうぞ」
夜半に部屋を訪う者を、ダーニクは誰何すらしなかった。手元の帳簿に視線を落としつつ促す。
「失礼します」
ややあって、折り目正しい挨拶とともにレインが入室した。
ふーん……と、ダーニクが感心したように口をひらく。
「まぁまぁ、見られるようになったな」
「おかげ様で」
言葉とは裏腹に半眼。レインは、じとり、と父親を睨んだ。結果的には良かったのたが。
――有無を言わさぬ大改造だった。
頬の横の髪は肩口より短く切られている。
額の中央で分けた前髪の形は変わらないが、襟足は丁寧に梳かれ、それがぴしり、と気分を一新させた。軽い。
最近、寝台で過ごすことが多かったので、ゆったりとした衣服ばかり着ていた。
それも姉の正確な採寸と同僚メイドの容赦ない衣装合わせの賜物で、ほぼ隙のない紳士服を見立てられている。
春よりも幾分か痩せたようで、以前の服は軒並み合わなかった。(※若干、身長が伸びたせいもある)
「……」
「……」
改めて向き合う、髪と瞳の色がそっくりな父子。
執務机に掛けたままだったダーニクはふと立ち上がり、入口近くのサイドボードを指差した。なかには瓶が一本とグラスが二つ、小さなトレーでセットにされている。
「今日は、もう終いにする。一杯付き合わないか?」
「……『性根を叩き直す』のではなかったのですか?」
「私はキリエとは違う。しらふで、あそこまで喋れない」
「なるほど」
深々と頷く。
違いない、と苦笑して銀のトレーを取り出した。
父が移動した応接用の低い長卓にカチャ、と置き、酒瓶を開栓して傾ける。
コポポ……
深みのある香り。
澄んだ色合いの蒸留酒を、グラス一つに注ぐ。今度はレインが「どうぞ?」と勧めた。
ダーニクは怪訝そうに目を瞬いた。気のせいか、ちょっと残念そうに見える。
「何だ。飲まないのか」
「……っふ、父上まで……!」
突き抜けて他意のなさそうな父親に毒気を抜かれ、レインは吹いた。くすくすと楽しげに笑う。
「バード邸の方々ときたら、皆さんお忘れのようですが。僕はこう見えても怪我人ですよ? 腕利きの司祭様から、完治までは厳重なる禁酒を命じられています。表面上、もう塞がってはいますが…………あ、ご覧になります?」
「いや。大体わかる。脱がなくていい」
「良かった。じゃ、僕はこっちをいただきます」
レインは、テーブルの上に元からあった硝子の水差しを手に取った。
――確かに、ご指摘通りのくたびれ具合だったとは言え、随分ひどい目に合いましたからね、と。
『さんざん緩みきって』いたことは認めつつ、父とは反対側のソファーに腰を下ろした。
* * *
「キリエから概ね聞いている。お嬢様がお前を選んだということも。お前が、及び腰なことも」
ダーニクは一口、二口と静かに味わい、まさに酒の肴のように話を切り出した。
レインは「おっと」と、気を引き締める。酔った父は饒舌になるタイプらしい。
「はい。……とても光栄ですが。僕ではなく他の候補者のほうが、あの方に幸せな時間を差し上げられるのでは、と」
ぴく、とダーニクの片眉が上がった。
「奥方様の件は、関係するか?」
「…………短命の可能性が高い、とのことですね。まだ……受け止めきれてはいませんが、直接の理由ではありません。強いて言うなら、あの方の心の在処の問題だと思っています」
「心の」
――さも、つまらない言い分を聞いたと言いたげにダーニクは視線を上げた。「何を根拠に?」と、続きを促され、レインもぐっと堪える。
「ウィズルのディレイ王が、このたびエルゥ様の婚約者候補に加わりました」
「知っている」
「エルゥ様は……かれには。ディレイ王にだけは、ご自身が短命かもしれないと、みずから打ち明けられたと。アルム様から伺いました」
「それで不信に?」
「う」
ぐいぐい来る。
酒のペースも静かなのに早い。如才なく代わりを注ぎつつ、レインは迷った。
不信。そう言われると。
「やはり、叩き直さねばならんかな」
「やはり、ですか」
ダーニクは呟き、す、と立ち上がった。




