23 愛すべき八つ当たり姫※
「相変わらずねぇ…あなたたち。心配して損したわ」
あっけらかんと言い放つ、少し低めの通った声。銀細工のような容貌に反し、彼女の内面は意外に飾り気ない。
絵描きの幼馴染みに次いでの親友といって差し支えない皇女殿下――ゼノサーラの素直な一言に、エウルナリアは苦笑した。
「最近、ロゼルからも似たことを言われました」
「ふぅん。……まぁ、あの子ならまだ優しい物言いに入るわね。シュナから手紙で教えてもらったときは私、白夜国の宮殿で大暴れするわけにもいかなくて。随分おじい様に八つ当たりして来たわ」
ふん、と鼻を鳴らして自慢げに紅玉色の視線を流すゼノサーラは、それこそ相変わらずつんつんしていて可愛らしい。
――とはいえ、言葉の中身は物騒なのでエウルナリアは少し責任を覚えた。
自分には祖父や祖母はいないが、この天真爛漫な皇女殿下ならさぞかし、あちらの宮廷でも“華やいだ”ことだろう。
にこにこと笑んでいた顔が、少し曇る。
「……それは…申し訳、ありません…?」
銀の皇女は困り顔の親友に一瞬、目をぱちくりとさせ―――ふはっ! と、吹き出した。
「…ふ、ふふふ! ばーか。疑問型で謝るんじゃないと、あれほど言ったでしょ。いいのよ、おじい様ったら、溺愛してらした母上と私がそっくりなものだから、私がわがままを言えば言うほど喜ばれるの。伯父様達もそう。どうしようもないわ、あのひと達ったら!」
けらけらと豪快に笑い飛ばしているが、言葉の底にはゆったりとした愛情が横たわっている。黒髪の令嬢は、そのことにほっと安心しつつ…ふと、思い出した。
「あぁ……。王妃様、白夜の王女時代にいくつも武勇伝をこしらえたそうで」
「……なんで、貴女が知ってるの?」
「昔、お父様に聞きました。雪花王妃が動けば白夜の精鋭軍、一個師団が動くって」
「母上……何を、したの一体…?」
「“人助け”と伺いましたが」
「……うん、さっぱりわからないけど、父上が母上を苦手にしてらっしゃるの、多分そういうところかもね。私には無理だわ。あぁいう―――無邪気なお顔の裏で、駆け引きじみたものを平気でなさる感覚。
私にできるのなんて、せいぜい政略結婚の駒になることくらいかしら…?」
「サーラ様……」
休息日明けの学院の食堂舎。
時刻は午前九時過ぎ。
下学年はみんな、東塔で一般教養科目を受けている時間帯。三学年になったエウルナリアやゼノサーラに、いまや表立って絡んでくる輩はいない。
周囲も、そんなにひと気はないが―――あまり、大きな声で話す内容でもなかった。つい、声をひそめて続きを溢す。
「…らしくありませんね。うちの父はもう、宜しいのですか?」
「――!!」
「まだ独身ですよ? 四十ですけど」
わなわな…と、小刻みに震えるゼノサーラ。滝のように流れ落ちる銀の髪が、食堂の大きな窓から射す陽光を弾いてなめらかに煌めく。
白い、ちいさな顔にバランスよく配された各部位が、まるで一流の人形師が手掛けたが如くうつくしい。
けれど、とても感情豊かで―――幼いときからずっと、父のアルムを想い続けているのを知っている。
エウルナリアは窓に面した細長い席で、頬を赤らめた親友の顔を右隣からそっと覗き込んだ。
「いけませんよ。“あの方でなければ、誰でも一緒”なんて考え方。周囲の何方も幸せになれないと思います。…無理をなさることもないとは、思いますけど。
ちなみに弟君のシュナ様は、皇国学士の傍ら打楽器独奏者を目指して、《外交府特使》を生業となさりたいそうです。卒業後は」
「あの、あんぽんたん……未だに一学年の必修単位で取りこぼしがあるくせに。言うことだけは一人前ね……って。なに? あの子、貴女のこと諦めたの?」
「!! …ぅぐうっ…」
今度はエウルナリアが言葉に詰まった。潤んだ青い目を伏せて泳がせつつ「いえ。あの、その…」と、今一つはっきりしない。
形勢逆転したゼノサーラは、ふぅん……と流し目をくれた。
「なるほどなるほど。流石は私の双子の弟。そうよね、そんな諦めのいい性格じゃないわよね――――…って、そうか。……なるほど」
「? 皇女……殿下? …ッ!! ……って、いたいっ。やえてくあはいっ」
突然の暴挙。
涙目のエウルナリアの懇願に、遠慮なく頬を引っ張っていた指があっさりと離れた。そのまま同じ右手で一転、よしよしと令嬢の黒髪を撫でている。
―――想いびとと同じ、つややかな黒髪。
「?? ……?」
「そうねぇ…うん。娘の貴女が言うのなら、もう少しだけ頑張ってみようかしら。アルムは、これからも絶対に私を見ないでしょうけど………そうよね。気が済むまで暴れたほうが、私らしいわよね」
「サーラ様…」
つねられた左頬を押さえながら、エウルナリアは上目使いに、皇女を咎めるように仰ぎ見る。何というか、かなり八つ当たりに近かった気がするのだが…
ちくちくと刺さる視線に気づいたゼノサーラは、悪びれずにしれっと応えた。
「ん? なに、エルゥ。言っとくけど、“皇女殿下”なんて記号で呼ぶ貴女がいけないのよ?」
「記号じゃありません、敬称で……すみません、何でもないです」
「宜しい」
エウルナリアの尤もな反論は、再び頬に降り来た皇女の右手に、あっという間に封じられた。
ゼノサーラは、ふふん!と得意気だ。
……仕方ないな、と黒髪の少女も瞳を和ませる。ちょっと理不尽な扱いを受けたが、こっちのほうがずっと、ずっと彼女らしい。
きっと、だからこそ。
社交の練習も兼ねて招かれたという白夜の宮廷でも、皆こぞってこの姫君を甘やかしたのだろう。―――彼女は、本当は『わかってる』んだと、自然に伝わるからこその。
エウルナリアは頬から手を離し、ゆるく首を傾げると、にこっと笑みを浮かべた。
「…“愛すべき我が儘と八つ当たり”ですね」
「………ふぅん?」
昼にはまだ早い食堂のおだやかな窓辺に、黒髪の少女のいたいけな懇願と銀髪の皇女のくすくす笑いが、いたずらな木漏れ日のように再び零れた。




