228 扉越しの告白
レインの馬鹿。
大馬鹿。どうしようもない、ばかばかばか。
声には出せない罵倒が際限なく込み上げる。
エウルナリアは、まっっっったく自分と会おうとはしなかった頑固者・レインへの罵り文句で胸を満たしていた。怒ってはいるが、泣きたくもある。
皇宮とバード邸に寄った。学院寮への帰り道だった。
迫る夕闇を車窓から見上げ、ぼんやりと馬車の揺れに身を任せる。流れる景色のなか、ぽつり、ぽつりと点る街灯の明かりが目に写った。
だいぶ、朝夕は冷えるようになった。行き交うひとの装いも変わってきた。エウルナリア自身、念のため――と持参した毛織りのフード付きケープを羽織っている。そろそろ、手袋や温かなブーツも必要かも。
……家を出て、初めて巡る季節。
貴族行事や公務でもなければ、ずっと一緒だったレインが側にいない。それもまた、十歳以降では初めての晩秋。冬の気配だった。
* * *
『申し訳ありませんお嬢様。愚弟が失礼を通り越して、斬首もののご無礼を』
『えっ?! いやいやフィーネ、落ち着こう? 斬首って、レガートではとっくに禁じられてるよね。そこまで』
『いいえ……! 例えとしては相応しい刑罰ですわ。レインと来たら甚だ不遜ですよ。嘆かわしい』
『――キリエ』
他のメイドに呼ばれたのか、乳母の彼女まで駆けつけさせてしまった。
比喩であり、その歩速は淑女の大先輩として見習いたいゆったりさではあったが。
先週、御前報告会や夜会の準備のため、僅かばかりしか滞在できなかったバード邸。本館の使用人らが住まう一角で、エウルナリアはノックのために握った右手を胸元で抱えていた。
扉を叩いても、いくら呼んでも梨の礫。返事がないのだ。
皇宮での用事は速やかに終わらせた。明日、拝命の儀と説明が終わるまでには返事を携えた鷹が戻るだろう。
(グランは“今は無理”と言ったけど……。まさか、ここまで拒絶されるなんて)
正直、ショックだった。
ひょっとしたら会えるかも。
気持ちが切り替わっていれば、人騒がせな父からの文を待つことなく、想い人の少年と腹を割って話せるかも。――そう、一縷の望みを抱いて来たのに。
エウルナリアは、困ったように笑んだ。
『しょうがないよ。……旅の疲れが出たのかも。休ませてあげて。出直すわ』
『まぁ!』
キリエは心外そうに眉を跳ね上げた。メイド長のお仕着せに包まれた、ふっくらとした体躯がわなわなと震えている。
――やばい。
エウルナリアは、ぐっと身構えた。
フィーネもすかさず目を瞑り、両耳を塞ぐ。
『“休ませる”……? エウルナリア様が、わざわざお越しくださったのに??』
キリエは、すぅ、と息を吸った。
『 笑 止 千 万 !
だらしがないにも程がありますわ!!!
わたくし、あえて指摘はいたしませんでしたがウィズルでのこと、息子から聞き及びました。
大切なかたを危機にさらすなど言語道断……! お庇い申しあげて傷を負った? 当然の責……?? どうせ、あの愚息は“むざむざ浚わせた自分に非が”などと述べたのでしょう?』
『あ、はい。だいたい合ってます』
しゅん、と肩が落ちる。
あまりの剣幕につい敬語になってしまったが、たしかにレインは責任感が強すぎる。
(……“諦めようとしてる”って。そういうのも絡んでる……?)
嫌われたのなら仕方がない。けれど、そうでないのなら。
少なくとも自分は足掻くべきだし、かれを許すべきではないと思った。
が、今は。
――――――――
しん、と静かな扉の向こう。伝わってほしくて手のひらを当てる。聞こえるだろう声量で、そっとこぼした。『レイン』
『……』
『無理に、会えとは言わないわ。寂しいけど。すごく寂しいけど我慢する。
あのね、明日、皇宮で第二回大陸会議にかかる職務で、拝命の儀があるの。レインさえ良ければ、従者としてではなくて。私の婚約者として正式に同行してほしかった』
『エウルナリア様、それは……!?』
ダーニク家の母娘が息を飲む。
エウルナリアは、みずからを戒めるように微笑んだ。
『まだ、お父様には言ってないけど。それに近い旨は認めたわ。文は、さっき鷹便で白夜に送ったところよ。――レイン?』
返事はない。固すぎる決意だけは泣きたいくらいに伝わる。
わかった上で、こつん、と額を扉に合わせた。
届いてほしい。
届かなかったとしても。
深呼吸をしたエウルナリアは、はっきりと口にした。
『貴方に、もう一度心から“私”を望んでもらえるように努力します。それでついて回る面倒な公務とか……遠征先では、出来るだけ危険な目に遭わせたくないけど。せっかくだから考えておいて。もし、そうでなく一独奏者として、今後も従者として私を支えてくれるなら…………もちろん嬉しいけど』
――それだと、ちょっと。
ううん、やっぱり。
貴方でなければ、つらいかな、と呟いた。




