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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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225 回らない指、恋しい唇

「グラン、今日は学院には?」


 とん、とん、とゆっくり(きざはし)を降りる。背中だけ見ると、姉弟だな……と思う程度には、眼下のレインとフィーネは印象が似通っていた。


 何気ない問い。

 レインは、何がなんでも自力で客人を案内するつもりらしい。痛いくせに。


 グランは面倒くさそうに答えた。


「行ってない。俺は、今日は近衛府に報告してきたんだよ。一応、騎士としての随伴だったから」


「最終的にはソロ、吹いてましたけどね」

「うっせえよ」


「すごいですね、もうソロを? 外国で?」


「えぇ。成りゆきでしたが」


 先に一階にたどり着いたフィーネが、輝くような笑顔で弟の親友を見上げる。掛け値なしの称賛と祝福が透けて見えた。


「予定になかった独奏(ソロ)なら、もっと素晴らしいわ。やり遂げたんでしょう? 楽士としても」


「褒めすぎッス……」


 まじ勘弁、と言いたげに、わざわざ不機嫌そうな顔で目を逸らすグランに、くすくすと笑いながら二名と一名はサロンに到着した。


「グラン様。暖まるまで少々お待ちを。レインはお湯を沸かして」


 年長の中堅メイドらしく、フィーネはあくまで穏やかに振る舞う。みるみるうちに暖炉に火を入れ、てきぱきと部屋を整えていった。




   *   *   *




『では、(キリエ)は気にせず。どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいね』


 洗練された礼をとり、淑女の見本のような微笑みを残して、フィーネは扉の向こうへと去ってしまった。

 目の前の丸テーブルには湯気をあげる温かな紅茶。四角いプレートに、カカオのマカロンが見目よく並んでいる。


 ――……男、二人で茶会。


 少し滑稽かな、と瞳を和ませつつ、「いただきます」と、グランは卓上に手を伸ばした。

 レインの淹れる紅茶は昔から美味い。安心安定の従者ぶりだった。


「で? どうだった。弾いた感じ」


「全くだめです。話になりません……一周回って、かえって笑えてくるほど。指が()()()回らないんです。

 ずぅっと寝てたせいか、筋力と体力の低下もひどくて。思う音は、絶望的に出せませんでした。それで、母にも良いように言われまして」


「あぁ」


 ――あの、満面の笑顔で抉るように指導の手を緩めない。鬼教官(キリエ)の怒りのオーラが目に浮かぶようだった。間違いない。


 つい、同情の笑みが浮かぶ。


「……たしかに。ちょっと聴こえたけど、いつもの『太さ』って言うか。ミスタッチは仕方ないにしても、()()きってなかったよな。

 でもさ、俺はキリエさんのスパルタもどうかと思うよ。背中斬られて、何ヵ月も演奏してなけりゃ誰だってそうなる。

 ――……トランペットだって、しばらく吹いてないと恋しくなるんだ。唇とか。吹きすぎるとバテちまって、それはそれで狙った音を外したり………………って、おい! そんなこたぁ、今はいいんだよ。それより!!」


 ハッ、と何かに気づいたグランは、勢いよくカップを受け皿に戻した。やや前に乗り出し、右肘をテーブルにつく。

 忘れそうになっていた本題を突きつけなければ、と、意図せず詰問口調になった。


「お前さ、なんでエルゥを諦めようとしてんの? わけ、わかんねぇ……!!」


「グラン」


「いいから聞かせろよ。あの夜、宴のときだよな。お前の態度が豹変したの。マリオさんから言質(けんち)は取ってる。アルム様になんか言われたんだろう?」


「……エルゥ様は」


 灰色の瞳がもの思わしげに揺れ、視線が紅茶とマカロンのちょうど中間あたりに落ちた。

 グランは腕を組み、いらいらと背もたれに寄りかかる。


「知らねぇよ。俺が今日、お前を見舞いに来たのは独断だ。俺の勝手だから」


 ――だから、言えよ。


 口にしなかった誘い水を、まなざしだけで促す。エウルナリアのように。


 案の定、レインは根負けしたようにぽつり、ぽつりとこぼし始めた。


「僕は……今まで、あの方の心に添いたい一心でした。従者としても男としても、音楽の共演者としても。あの方に釣り合えるようにと。でも」


 ぐっ、と。

 カップの取っ手を握る指に力が込められた。


 一口も飲んでいない。菓子は言わずもがな。

 とても言いにくそうに引き結ばれた唇がひらくのを、グランは根気強く待った。



 やがて、一言。


「エルゥ様の……本当の意味でのお幸せは。望むべき伴侶は僕ではないのかも、と。

 ――あの方の生まれも境遇も何もかも関係なく。純粋に“一人の女性”として自由にして差し上げるには、僕ではだめなんじゃないかと。そう、思ってしまったんです」


 ぽつん、と。

 雫が波紋を広げるように。

 男二人のサロンに、何とも言えない沈黙が降り立った。




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― 新着の感想 ―
[良い点] あらやだ! レインったら弱気! ディレイにエルゥちゃんを譲るつもり?! これからどう展開していくんですか??? 楽しみにしています(^^)
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