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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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224 見舞い

 キィ、と鉄の門扉をひらく。


 身の丈を越えた、立派な柵の上部はずらりと並んだ槍に似たモチーフで、曇り空をまっすぐに指している。


 陽光は白く弱い。ほのかに明るい雲間を紺色の瞳でじぃ……、と見つめ、ふっと息をつく。


「久しぶりだなー、ここ」


 カチャン、と後ろ手に黒い柵を閉めた。





 レガティア旧市街地。

 貴族街とも呼ばれるここは、レガート島を南北に貫く主街道(メインストリート)の北部。皇宮にほど近い場所にある。


 ここに居を構えられるのは由緒正しい大貴族や、その御用達店だけ。閑静な佇まいに街路のポプラの葉が、かさり、と音をたてて落ちた。


 ――……晩秋だ。


 グランは頭に被ったフードを後ろにおろし、門衛の二人の男性に軽く会釈する。


「どうも。こんにちは」


「あっ、グラン君! 久しぶりだね。聞いたよ、騎士()()なったんだって? 立派になって……」


 しみじみと呟かれ、くすぐったくなる。


「そんなこと無いッス」と微笑むと、強面(こわもて)の男性はにこにこと糸目になった。

 かれは、バード邸に長く勤める四十代ほどの男性だ。幼いときから通っているグランにとっては、とっくに馴染んだ相手でもある。


 男性は、気楽な調子で色づく木立の向こうを指差した。


「案内は必要ないよね。どうぞ。――あ、でも、レインなら部屋にいないかも。離れかな」


「え? なんで? あいつ、まだ怪我ひどいでしょう」


 驚き、不思議そうに振り返る。すでに足は本館へと向かっている。

 記憶をさらう。――バード邸の別棟。通称“離れ”。


 たしか、三階建て。面積も規模も、ひょっとしたら本館よりも勝るかもしれない。古今東西のあらゆる楽器を納めた、音楽家にとっては宝物庫だ。


 二階と三階は練習室、合奏室に図書室――それに、ちょっとした演奏会を催せる小ホールにエントランス。サロンが一階にある。


(エルゥは、離れ(あそこ)には寝室も客室もないって言ってたような……??)


 怪訝そうな赤髪の青年に、気さくな門衛は肩をすくめた。


「行けばわかるよ。行けば」


「? はぁ……」


 首を捻りつつ、グランは進路を変更した。




   *   *   *




 意味はわかった。

 さすがは完全防音。音は漏れていなかったが、外から見上げる二階のピアノ室に、見慣れた横顔が見える。

 手元は見えないが。つまり。


「何、やってんだよ……あいつ。殿下から『むりに弾くな』って。あれほど」


 がしがしがし、と盛大に頭を掻く。

 グランは当初の目的に加え、親友に説教もくれてやるため、躊躇なく離れのエントランスに入って行った。

 すると。


「あら? いらっしゃいませ、グラン様。エルゥ様は今日から学院復帰で寮だから……レイン目当て?」


 ――ちょうど通りすがった、(くだん)の怪我人の縁者から話しかけられた。いちおう居住まいを正し、ぺこりと頭を下げる。


「はい。フィーネさん。“目当て”って言われるとすげぇ困るんですけど。あいつ、何で寝てないんです?」


「何で、って……。ふふっ」


 長い指はダーニク家の特徴なのか、レインの実姉であるフィーネ・ダーニクは口許に手を添え、ころころと笑った。

 そうするととても朗らかな印象だが、油断ならないのは年月をかけて学習している。


 曲者なのだ。

 レインの家族は、揃いも揃って。


「いらっしゃい。そろそろ休憩を挟まねば、傷にも障るかなと()()()()()()心配になったところなの」


「もっと心配してやりましょうよ、姉君」


 軽口を叩きつつ、階段を上がる。わずかだか鍵盤を(はじ)く音が漏れ聞こえた。グランは思わず額を押さえる。

(うっそだろ。これ、たしか)


 ――――難曲だ。

 奏者の技巧をとにかく意地悪く試すたぐいの。だからこそ、長年愛されて止まない名曲。聴かせるものではない。()()()()()()()

 

 前をゆく、すらりとしたメイド服の背中が止まる。おざなりなノックのあと、さっさと扉を開けた。


「お母様、それくらいになさって。レインにお客様よ」


「!! あら。……まぁあ、グラン様! この度は、うちの愚息が大変お世話になりましたわ。さ、どうぞこちらに」


「え。いやいや。俺が用があるのはレインなんですが。まだ安静にしてなきゃいけないですよね。なんで弾いてるんです? しかも、あんまり静かな曲でもなかったっスよね。超難易度高めと定評の練習曲第五番。誰です? そんな、鍵盤が自然発火するような楽譜を息子の前に置いたご婦人は」


「いやですわ。人聞きの悪い」


 ふっくらとした体つき。肝っ玉母さんを地でゆく容姿の女性、キリエは、エルゥの乳母を勤めあげたバード邸のメイド長。レインの実母だ。

 しかも、レインにピアノを教えた偉大な人物であり――鬼教官でもある。


 グランは、ぴく、と口の片側が引きつるのを感じた。


「えーと……見舞いに来たんです。さっきから虫の息のこいつ、部屋に連れてってもいいですか?」


 くい、と、左手の親指で窓際の奏者を指す。

 肩で切り揃えた栗色の髪が俯せた顔を覆っているが、どうみても具合はよくなさそうだった。

 が。


 はぁ、はぁ……と荒い息の下、レインは相変わらずの気の強さで代返した。むかつくことに、声だけは涼しい。


「それには、及びませんよグラン。ここで充分です」


「ふざけんな、くそったれ」


「真面目ですが」


「余計に性質(たち)わるいわ。アホ」


 年頃の男子らしく、のびのびと応酬を始めた二人を前にし、さしものキリエも「ふー……」と嘆息した。

 やがて、諦めたように首を横に振る。


「しょうがありませんね……。わかりました。フィーネ、サロンにお茶の準備を。レイン。グラン様をご案内なさい。ついでに」


 まだあんのかよ、と、軽く目をみひらき、金の髪をきちんとまとめた女傑を眺め見る。

 キリエは、にっこりと微笑んだ。


「休憩を許します。グラン様をおもてなしする間ね。さ、グラン様。どうぞ『ごゆっくり』」


「あー……、はい。じゃあ遠慮なく。おい、キリエさんの気が変わらねぇうちに、とっとと行くぞレイン。立てるか? ちょっときついけど、お姫様抱っこに挑戦してやってもいいぞ」


「ご免(こうむ)ります」


 にやり、とこぽした提案は、素っ気なく断られた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 今話は落ち着いて読めました。 まとまっている感じ。 そして、書いてある内容がよく伝わってきます。 > ――――難曲だ。  奏者の技巧をとにかく意地悪く試すたぐいの。だからこそ、長年愛され…
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