224 見舞い
キィ、と鉄の門扉をひらく。
身の丈を越えた、立派な柵の上部はずらりと並んだ槍に似たモチーフで、曇り空をまっすぐに指している。
陽光は白く弱い。ほのかに明るい雲間を紺色の瞳でじぃ……、と見つめ、ふっと息をつく。
「久しぶりだなー、ここ」
カチャン、と後ろ手に黒い柵を閉めた。
レガティア旧市街地。
貴族街とも呼ばれるここは、レガート島を南北に貫く主街道の北部。皇宮にほど近い場所にある。
ここに居を構えられるのは由緒正しい大貴族や、その御用達店だけ。閑静な佇まいに街路のポプラの葉が、かさり、と音をたてて落ちた。
――……晩秋だ。
グランは頭に被ったフードを後ろにおろし、門衛の二人の男性に軽く会釈する。
「どうも。こんにちは」
「あっ、グラン君! 久しぶりだね。聞いたよ、騎士にもなったんだって? 立派になって……」
しみじみと呟かれ、くすぐったくなる。
「そんなこと無いッス」と微笑むと、強面の男性はにこにこと糸目になった。
かれは、バード邸に長く勤める四十代ほどの男性だ。幼いときから通っているグランにとっては、とっくに馴染んだ相手でもある。
男性は、気楽な調子で色づく木立の向こうを指差した。
「案内は必要ないよね。どうぞ。――あ、でも、レインなら部屋にいないかも。離れかな」
「え? なんで? あいつ、まだ怪我ひどいでしょう」
驚き、不思議そうに振り返る。すでに足は本館へと向かっている。
記憶をさらう。――バード邸の別棟。通称“離れ”。
たしか、三階建て。面積も規模も、ひょっとしたら本館よりも勝るかもしれない。古今東西のあらゆる楽器を納めた、音楽家にとっては宝物庫だ。
二階と三階は練習室、合奏室に図書室――それに、ちょっとした演奏会を催せる小ホールにエントランス。サロンが一階にある。
(エルゥは、離れには寝室も客室もないって言ってたような……??)
怪訝そうな赤髪の青年に、気さくな門衛は肩をすくめた。
「行けばわかるよ。行けば」
「? はぁ……」
首を捻りつつ、グランは進路を変更した。
* * *
意味はわかった。
さすがは完全防音。音は漏れていなかったが、外から見上げる二階のピアノ室に、見慣れた横顔が見える。
手元は見えないが。つまり。
「何、やってんだよ……あいつ。殿下から『むりに弾くな』って。あれほど」
がしがしがし、と盛大に頭を掻く。
グランは当初の目的に加え、親友に説教もくれてやるため、躊躇なく離れのエントランスに入って行った。
すると。
「あら? いらっしゃいませ、グラン様。エルゥ様は今日から学院復帰で寮だから……レイン目当て?」
――ちょうど通りすがった、件の怪我人の縁者から話しかけられた。いちおう居住まいを正し、ぺこりと頭を下げる。
「はい。フィーネさん。“目当て”って言われるとすげぇ困るんですけど。あいつ、何で寝てないんです?」
「何で、って……。ふふっ」
長い指はダーニク家の特徴なのか、レインの実姉であるフィーネ・ダーニクは口許に手を添え、ころころと笑った。
そうするととても朗らかな印象だが、油断ならないのは年月をかけて学習している。
曲者なのだ。
レインの家族は、揃いも揃って。
「いらっしゃい。そろそろ休憩を挟まねば、傷にも障るかなとちょっとだけ心配になったところなの」
「もっと心配してやりましょうよ、姉君」
軽口を叩きつつ、階段を上がる。わずかだか鍵盤を弾く音が漏れ聞こえた。グランは思わず額を押さえる。
(うっそだろ。これ、たしか)
――――難曲だ。
奏者の技巧をとにかく意地悪く試すたぐいの。だからこそ、長年愛されて止まない名曲。聴かせるものではない。弾くためのもの。
前をゆく、すらりとしたメイド服の背中が止まる。おざなりなノックのあと、さっさと扉を開けた。
「お母様、それくらいになさって。レインにお客様よ」
「!! あら。……まぁあ、グラン様! この度は、うちの愚息が大変お世話になりましたわ。さ、どうぞこちらに」
「え。いやいや。俺が用があるのはレインなんですが。まだ安静にしてなきゃいけないですよね。なんで弾いてるんです? しかも、あんまり静かな曲でもなかったっスよね。超難易度高めと定評の練習曲第五番。誰です? そんな、鍵盤が自然発火するような楽譜を息子の前に置いたご婦人は」
「いやですわ。人聞きの悪い」
ふっくらとした体つき。肝っ玉母さんを地でゆく容姿の女性、キリエは、エルゥの乳母を勤めあげたバード邸のメイド長。レインの実母だ。
しかも、レインにピアノを教えた偉大な人物であり――鬼教官でもある。
グランは、ぴく、と口の片側が引きつるのを感じた。
「えーと……見舞いに来たんです。さっきから虫の息のこいつ、部屋に連れてってもいいですか?」
くい、と、左手の親指で窓際の奏者を指す。
肩で切り揃えた栗色の髪が俯せた顔を覆っているが、どうみても具合はよくなさそうだった。
が。
はぁ、はぁ……と荒い息の下、レインは相変わらずの気の強さで代返した。むかつくことに、声だけは涼しい。
「それには、及びませんよグラン。ここで充分です」
「ふざけんな、くそったれ」
「真面目ですが」
「余計に性質わるいわ。アホ」
年頃の男子らしく、のびのびと応酬を始めた二人を前にし、さしものキリエも「ふー……」と嘆息した。
やがて、諦めたように首を横に振る。
「しょうがありませんね……。わかりました。フィーネ、サロンにお茶の準備を。レイン。グラン様をご案内なさい。ついでに」
まだあんのかよ、と、軽く目をみひらき、金の髪をきちんとまとめた女傑を眺め見る。
キリエは、にっこりと微笑んだ。
「休憩を許します。グラン様をおもてなしする間ね。さ、グラン様。どうぞ『ごゆっくり』」
「あー……、はい。じゃあ遠慮なく。おい、キリエさんの気が変わらねぇうちに、とっとと行くぞレイン。立てるか? ちょっときついけど、お姫様抱っこに挑戦してやってもいいぞ」
「ご免被ります」
にやり、とこぽした提案は、素っ気なく断られた。




