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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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223/244

223 学院の朝、皇宮の夕べ(後)

 アルム・バード楽士伯――父は、十代で爵位を。歌長の地位を亡きお祖母(ばあ)さまから引き継いだという。ひょっとしたら。

 父も、こんな思いを味わっていたんだろうか――?


 困ったように眉宇をひそめ、油断していた母国(レガート)の宮廷で、エウルナリアは呆然と佇み、途方に暮れていた。




   *   *   *




『ね。あなた。いったい、どうやって()()()()()()取り入ったの?』


『………………は?』


 一瞬、聞き違いかと思った。

 会場ではヴァイオリンが心地よく、絶妙な主張で優雅な旋律を奏でている。人びとはホール中央で踊り、あるいは飲み物を片手に端に避けて語らう。紳士淑女、子息に令嬢。

 ――おおむね、にこやかに。



 休日の午後に執り行われた、御前報告会。

 エウルナリアのウィズルにおける“功績”は、あくまで結果のみ明らかにされた。


 すなわち、歴史ある広場に新たな名を与えたことによる、勲章および名誉女爵(じょしゃく)位の授与。内乱でささくれた民の心を歌で慰撫したとされる、感謝を込めた特別親善大使への推挙。


 皇王マルセルの覚えもめでたく、雪花(ゆきはな)皇妃とゼノサーラ皇女が白夜(びゃくや)まで出掛けているとあっては、ファーストダンスの相手がエウルナリアになるのは、自明の理だった。


 マルセルとは既に春の大陸会議で一度踊っていることもあり、エウルナリアには幾分か気持ちのゆとりもあった。

 次いで、アルユシッド。

 続けざまにシュナーゼン。


 今宵の装いは、気合いの入ったバード邸の女性陣によって、ことの(ほか)きらきらしい。Aラインが特徴的なドレスは、反射によってはシャンパンゴールドにも映る、光沢のある布地に散らした天の川のような銀刺繍が印象的。

 対して腰より上は、ほっそりとしたウェストを強調するデザインで袖がなく、肘より上まである手袋で露出を抑えたもの。

 黒髪はシンプルに高く結い上げ、うなじを出している。髪飾りと耳飾りは大小さまざまな淡水真珠。


 胸元にはウィズルで授かった、泉と小鳥の紋様の勲章。


 ひかえめな表情と麗しさで、とにかく周囲の視線と称賛を根こそぎ集めてしまった。

 ……ことへの、反動と言える。

 反抗期らしいご子息がたや、自尊心をひどく傷つけられたらしい令嬢がたに、気づくと取り囲まれていた。





 クスクス、クスクスと傍目には談笑を交わすように三名の令嬢が(さえ)ずっている。


『やめてあげなさいな。可哀想に。お困りだわ、図星なのよ』

『ほんと、あの武人そのものの偉丈夫によくもまぁ、歌だけでお気に召してもらえましたこと』


 ……――たしかに。

 ディレイは当初、歌に興味などなかった。

 大陸会議では、ただ“見事だった”と労われただけ。それすら会話の糸口に過ぎなかったように思う。


 つい、真っ正直に説明しようとしたが、そこへどこぞの大柄な子息が割り込んで来た。

 こちらも取り巻きを二名連れている。

 エウルナリアをにやにやと眺めると、フッと頬を歪めるのが、堂に入って下品だった。


『我が婚約者殿。こんな公娼ごときに、貴女が目くじらを立てることはないよ。ねぇ? 歌うたいの高級娼婦、エウルナリア・バード殿』


『!』


 公娼、高級娼婦とまで言われて瞬時に頭が沸騰した。

 ――なに。何を言った? このひとは。


 蒼白な顔で、なかば口をひらいたままの少女に気を良くしたのか、連れの子息らも身を乗り出した。


『金さえ積めばお相手してもらえるんでしょう? どうです、おれは。出世払いですが』

『どうって。正気か? やめとけよ、家が傾くに違いない。セフュラ王やウィズル王ほどじゃなきゃ、見向きもしないって。

 ……大変ですねぇ、バード家も。伯爵位のためとは言え、アルム殿もうまくしたもんだ。大陸中男女ともに、一体どれだけ垂らし込んでおられるの、や…………ッ、??』



『そこまで。聞くに()えないよ』



『!! ア、アルユシッド殿下……!』


 ぎりり、と片腕をねじ上げられた子息が必死に呻き声を抑えた。どんどん顔が赤くなってゆく。


(このひと……、痛みで息が)


 ――どくん、どくんと、まだショックで頭に血が昇っている。熱いのか、寒いのかよくわからない。震える。

 が、このままではいけないと、勝手に体が動いた。一歩、足を前に。それだけで負荷がかかり、さらに愕然とする。止めないと。


『ユシッドさ――』

『だめだよ、エルゥ。黙ってて』


『……シュナ、さま』


 剥き出しだった肩を、あたたかな手に抱かれていた。ぐい、と引き寄せられ、見上げると紅玉色の瞳が爛々(らんらん)と燃えている。怒りで。

 皇子はそのまま、心底侮蔑に満ちた物言いで並び居る子息らの名を言い当てた。


『サインドル商子爵の次男、レスト。グーリアス楽士男爵の長男、ジャン。メルビス商男爵の三男、ディンゼルド』


『?!! は、はいっ』


 先ほどまでの態度はどこへ行ったのか。三名ともうっすら、冷や汗をかいている。シュナーゼンは普段からは想像もできない、冷淡な笑みと声音でかれらを突き放した。


『エルゥとアルムを侮辱するのは、我ら皇家への侮辱と同義。代々、バード楽士伯家が色を売ったことなどないよ。――知らなかった? かれらは純粋に音楽の(わざ)を磨き、代をかさねることで昇華させてきた。皇歴が始まって以来、ずっとだよ。その志といい、本当に稀有な一族だ……。かれら無しでは、レガートは立ちゆかなかった。キーラ画伯家とともに』


『それと』


 ぽん、ぽん、と、大柄な子息を捻り上げていた手をはたき、見えぬ汚れを落としていたらしいアルユシッドは、うつくしく、凍りつくほどの微笑を湛えて令嬢がたを流し見た。


『ひっ……』


 それだけで、一固まりになった三名の少女は扇子を握りしめ、カタカタと震えている。彼女らにも鉄槌の予告が下された。


『勿論、あなた方の父君の名も顔も、わかるよ。あなた方の顔も。()()()()()()()。……とくに、嘆かわしいねイリス嬢。きみはレガティアの学院に入ったのではなかった? 何を学んだのかな。……あぁ失礼。途中退学したのだっけ。こっちのレスト君との醜聞で』


『! なぜ、そんなっ』


 一気に青ざめた真ん中の少女が、小さく叫ぶ。それににこり、と唇のみ笑みをかたどったアルユシッドが、人差し指を口許に当てた。

 ――喋るな、の意。


『“知ること”“知ろうとすること”。これを欠くものは、すべからく没落するように出来ている。(こと)、レガートではね。今からお利口さんになれるか、しばらくは()()()()()()()()()()見守ってあげよう。――――去りなさい。不愉快だ』


『はっ、はい……!!』



 ばたばた……と、慌ただしく裾をからげて走り去る令嬢がたと、見苦しく頭を下げつつ去る子息がたを、周囲のいくらかの貴族が不審そうに眺めていた。

 そのなかには、かれらの親の姿もあったかも知れない。



『エルゥ、大丈夫だった? あいつらの言うことなんか気にしなくていい。兄上、温情が過ぎるよ。潰せば良かったのに』


『どれも三流以下だ。大して貢献もない。放っといても潰れるよ。借金もひどい。ただ、ここからかれらの親がどう出るかな? って。試そうかと』


『……こわっ』

『何? シュナ』

『いや、何でもないです兄上』



 ――と。

 最後こそ皇家のうるわしい兄弟に、よってたかって甘やかされてしまったが。


 エウルナリアにとっては本当に、ある意味ウィズルでの体験以上に衝撃的な夜だったのだ。





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