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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 双翼のかたわれを

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221/244

221 満ちるもの、欠けたもの

 しゅるり。リボンを結ぶ。


 久々に袖を通した気がする。

 女子寮の自室は寮監の老婦人によってきちんと管理されており、およそ二ヶ月間ぶりの帰還だったにも(かか)わらず埃っぽいこともなく、むしろ快適だった。


「うーん……」


 姿見の前で、エウルナリアは難しい顔をする。角度を変え、あちこちから自分を眺め見た。

 丈も肩幅も腕回りも大丈夫。太ったどころか長旅の連続で、心持ち緩く感じるほどだ。なのに。


「? なんで、きついかな……?」


 ――――悪目立ちというか。

 元々、制服自体が体型に沿ったデザインということもあり、完全なる受注縫製(オーダーメイド)。体型の変化は下手に誤魔化せない。明らかに他は引き締まったのに、胸だけ大きくなった気がする。……入らなくはないが。


 時刻は朝の七時。

 さすがに、もう食堂に行かないと。


(しょうがないなぁ……適当な布で押さえとこ)


 ため息をつきつつ、再度上着とブラウスを脱ぐ。(デコ)(ボコ)になりすぎてもおかしなことになるので、面倒だが微調整しなければならない。


 ――後日、乳母のキリエが知った時、果てしない笑顔の激怒を招くこととなる(※(いわ)く、『考えなしにも程がある』)おそろしい思い付きを、さらりと実行した瞬間だった。




   *   *   *




「あ、おはよ。“歌長姫(うたおさひめ)”。久しぶり。相変わらず目立つね、すぐわかる」


「! イオラさん。はい、おはようございます。ご機嫌よう」


 (目立つ、とは……?)と反射で首を傾げたが、気にせず挨拶を返した。自分に敬語を使わず、気さくに話しかけてくれる女生徒は貴重だ。つい、満面の笑顔になる。



 少し曇りぎみの朝。

 ざわ、ざわ……と、穏やかに寛いで歓談を交わす、朝食のために訪れた寮住まいの生徒たち。


 単身現れたエウルナリアに、面々はあらかた気づいていたが、声をかけたのは『イオラ』と呼ばれた少女だけだった。


 気のせいではなく、周囲の雑談に静音(ミュート)がかかる。が、すぐに元の音量に戻った。

 皆が皆、彼女を『歌長姫』などと気楽に呼べるわけではない。――バード楽士伯家嫡流の美貌と血筋。歌い手としての実力を遠巻きに見つめ、憧れを抱きこそすれ。



 イオラは言動も外見も個性的な、一風変わった美少女だった。

 紫がかった茶色の巻き毛は、この辺り(レガート)ではあまり見ない。それが制服の肩上で華やかに渦巻いている。

 気の強そうな、大きな瞳は淡い(すみれ)色。きりっとした眉、通った鼻筋。形の整った薄い唇はふだん、滅多に愛想笑いなど浮かべない。

 すらりとした少年っぽさもあり、容姿だけで言えば、どことなくエウルナリアの男装の幼馴染みロゼルと似ている。(※ロゼルの中身は独特すぎて、イオラの更に上をひた走っている)



 白夜(びゃくや)国出身のイオラは、いわゆる留学生だ。

 抜きん出たマリンバ奏者として見出だされ、入学費から必要経費すべてを免除された上での特待生でもある。

 他国出身・平民の身で、皇国楽士としての将来も嘱望される――ある意味、ここレガティア芸術学院の理念を体現したかのような少女。


 元々の性格もあり、イオラはエウルナリアに気負うところがあまりない。ふんふん、と気軽に頷く。


「聞いてる。夏は砂漠(ジール)まで行ったのに、その後ウィズルでしょ? すごいよね、お貴族様は」


「どっちも仕事だったんですけど……」


 ――――どちらも、立派な国家機密。

 戦を回避するための同盟締結やら、戦を起こそうとした張本人を説得するための仮想敵国(ウィズル)潜入だったとは、職務上欠片(カケラ)も漏らせない。


 ぼんやりと言葉を濁す令嬢に、イオラはふふん、と鼻で笑った。


「ま、そうでしょうね。何となく知ってる。お疲れさま」


「? ありがとうございます」


 どこまで『知ってる』のか気になったが、話しつつ、入り口で取ったトレーに目当てのメニューを乗せ、長卓が並ぶスペースへと移動した。


 窓に面した席が空いていたので、隣同士に並び、どちらからともなく食事を始める。イオラは少量のオートミールにヨーグルト。暖かい紅茶の受け皿に数粒、ナッツやレーズンを添えていた。


「いただき……――ん?」


 好物なのか、嬉しそうにレーズンをつまんだイオラは、ぴたり、と動きを止めた。眉をひそめ、説教じみた声音となる。


「歌長姫。朝食、たったのそれだけ? だめだよ、倒れるよ。 ただでさえ細いのに」


(細くないです……! 目下、()()()()()()()()一箇所)


 ――とも正直に言えず、エウルナリアは曖昧に微笑んだ。

 木製のトレーは、たしかに余白のほうが多い。具材が少なめのコンソメスープに、手のひらに乗るほどの丸い堅焼きパン。殻を剥いたカボチャの種が仕込まれた香ばしい一品で、それを一口大に千切っていた。まだ温かいそれを、ぱく、と頬張る。


 ――甘い。素朴な素材のもつ優しさに、しみじみ帰ってきた……と、深く噛みしめる。量的にも問題はなかった。どころか。


「ちょっと、食欲がなくて」


 時間をかけて飲み込んだあと、それらしいことを述べる少女に、イオラは更にしかめ面となる。


「えぇえ……、ダメでしょその理由。あの、やたらと綺麗な過保護従者に叱られるよ? あいつ、絶対そういうことに細かいはず…………って、あれ?」


 そこまで一気に(まく)し立てたイオラは、きょろきょろと辺りを見回した。

 はた、と気づく。――いない。


 どこまでもストレートな彼女の声に、疑問を乗せさせないために。

 困り眉のエウルナリアは、進んで正確な理由を教えた。


「レインね、怪我をしたの。今はバード邸(うち)で療養中。復学は年明けになるわ」



 ――――つきん。


 言ったあと、唇を噛んだ。

 ぐるぐるに巻いた布の内側。胸の(うち)は、予想以上の寂しさに(うず)いた。




イオラ嬢は、シリーズで括られたこちらの作品の「短話3 奔放なパーカッショニスト達」にも出て参ります。(今回は、ふっと出てきてしまいました)


『姫君と幼馴染み。それから婚約者候補たちの日常短話集』

https://book1.adouzi.eu.org/n2131gb/


よろしければ、どうぞ!


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