221 満ちるもの、欠けたもの
しゅるり。リボンを結ぶ。
久々に袖を通した気がする。
女子寮の自室は寮監の老婦人によってきちんと管理されており、およそ二ヶ月間ぶりの帰還だったにも拘わらず埃っぽいこともなく、むしろ快適だった。
「うーん……」
姿見の前で、エウルナリアは難しい顔をする。角度を変え、あちこちから自分を眺め見た。
丈も肩幅も腕回りも大丈夫。太ったどころか長旅の連続で、心持ち緩く感じるほどだ。なのに。
「? なんで、きついかな……?」
――――悪目立ちというか。
元々、制服自体が体型に沿ったデザインということもあり、完全なる受注縫製。体型の変化は下手に誤魔化せない。明らかに他は引き締まったのに、胸だけ大きくなった気がする。……入らなくはないが。
時刻は朝の七時。
さすがに、もう食堂に行かないと。
(しょうがないなぁ……適当な布で押さえとこ)
ため息をつきつつ、再度上着とブラウスを脱ぐ。凸が凹になりすぎてもおかしなことになるので、面倒だが微調整しなければならない。
――後日、乳母のキリエが知った時、果てしない笑顔の激怒を招くこととなる(※曰く、『考えなしにも程がある』)おそろしい思い付きを、さらりと実行した瞬間だった。
* * *
「あ、おはよ。“歌長姫”。久しぶり。相変わらず目立つね、すぐわかる」
「! イオラさん。はい、おはようございます。ご機嫌よう」
(目立つ、とは……?)と反射で首を傾げたが、気にせず挨拶を返した。自分に敬語を使わず、気さくに話しかけてくれる女生徒は貴重だ。つい、満面の笑顔になる。
少し曇りぎみの朝。
ざわ、ざわ……と、穏やかに寛いで歓談を交わす、朝食のために訪れた寮住まいの生徒たち。
単身現れたエウルナリアに、面々はあらかた気づいていたが、声をかけたのは『イオラ』と呼ばれた少女だけだった。
気のせいではなく、周囲の雑談に静音がかかる。が、すぐに元の音量に戻った。
皆が皆、彼女を『歌長姫』などと気楽に呼べるわけではない。――バード楽士伯家嫡流の美貌と血筋。歌い手としての実力を遠巻きに見つめ、憧れを抱きこそすれ。
イオラは言動も外見も個性的な、一風変わった美少女だった。
紫がかった茶色の巻き毛は、この辺りではあまり見ない。それが制服の肩上で華やかに渦巻いている。
気の強そうな、大きな瞳は淡い菫色。きりっとした眉、通った鼻筋。形の整った薄い唇はふだん、滅多に愛想笑いなど浮かべない。
すらりとした少年っぽさもあり、容姿だけで言えば、どことなくエウルナリアの男装の幼馴染みロゼルと似ている。(※ロゼルの中身は独特すぎて、イオラの更に上をひた走っている)
白夜国出身のイオラは、いわゆる留学生だ。
抜きん出たマリンバ奏者として見出だされ、入学費から必要経費すべてを免除された上での特待生でもある。
他国出身・平民の身で、皇国楽士としての将来も嘱望される――ある意味、ここレガティア芸術学院の理念を体現したかのような少女。
元々の性格もあり、イオラはエウルナリアに気負うところがあまりない。ふんふん、と気軽に頷く。
「聞いてる。夏は砂漠まで行ったのに、その後ウィズルでしょ? すごいよね、お貴族様は」
「どっちも仕事だったんですけど……」
――――どちらも、立派な国家機密。
戦を回避するための同盟締結やら、戦を起こそうとした張本人を説得するための仮想敵国潜入だったとは、職務上欠片も漏らせない。
ぼんやりと言葉を濁す令嬢に、イオラはふふん、と鼻で笑った。
「ま、そうでしょうね。何となく知ってる。お疲れさま」
「? ありがとうございます」
どこまで『知ってる』のか気になったが、話しつつ、入り口で取ったトレーに目当てのメニューを乗せ、長卓が並ぶスペースへと移動した。
窓に面した席が空いていたので、隣同士に並び、どちらからともなく食事を始める。イオラは少量のオートミールにヨーグルト。暖かい紅茶の受け皿に数粒、ナッツやレーズンを添えていた。
「いただき……――ん?」
好物なのか、嬉しそうにレーズンをつまんだイオラは、ぴたり、と動きを止めた。眉をひそめ、説教じみた声音となる。
「歌長姫。朝食、たったのそれだけ? だめだよ、倒れるよ。 ただでさえ細いのに」
(細くないです……! 目下、縮めたいところが一箇所)
――とも正直に言えず、エウルナリアは曖昧に微笑んだ。
木製のトレーは、たしかに余白のほうが多い。具材が少なめのコンソメスープに、手のひらに乗るほどの丸い堅焼きパン。殻を剥いたカボチャの種が仕込まれた香ばしい一品で、それを一口大に千切っていた。まだ温かいそれを、ぱく、と頬張る。
――甘い。素朴な素材のもつ優しさに、しみじみ帰ってきた……と、深く噛みしめる。量的にも問題はなかった。どころか。
「ちょっと、食欲がなくて」
時間をかけて飲み込んだあと、それらしいことを述べる少女に、イオラは更にしかめ面となる。
「えぇえ……、ダメでしょその理由。あの、やたらと綺麗な過保護従者に叱られるよ? あいつ、絶対そういうことに細かいはず…………って、あれ?」
そこまで一気に捲し立てたイオラは、きょろきょろと辺りを見回した。
はた、と気づく。――いない。
どこまでもストレートな彼女の声に、疑問を乗せさせないために。
困り眉のエウルナリアは、進んで正確な理由を教えた。
「レインね、怪我をしたの。今はバード邸で療養中。復学は年明けになるわ」
――――つきん。
言ったあと、唇を噛んだ。
ぐるぐるに巻いた布の内側。胸の裡は、予想以上の寂しさに疼いた。
イオラ嬢は、シリーズで括られたこちらの作品の「短話3 奔放なパーカッショニスト達」にも出て参ります。(今回は、ふっと出てきてしまいました)
『姫君と幼馴染み。それから婚約者候補たちの日常短話集』
https://book1.adouzi.eu.org/n2131gb/
よろしければ、どうぞ!




