219 押し倒しの姫
ぎしっ。
「え、えぇと……エルゥ、様?」
「黙って。口応えは無しね、レイン」
――チュンチュン、チチチ……と、真っ白な朝日の差す窓際に小鳥が集い、戯れている。
大変長閑な情景の部屋でただ一点。非常に由々しい光景が繰り広げられていた。勢い余って寝台に仰向けに倒れてしまった少年――レインに、組み敷くような体勢でエウルナリアが乗り上げている。
「あ、あの」
「何」
起き抜けに、この姿勢。
慌てて下にしてしまった背の傷も痛むが、動揺が著しすぎてそれすら、どうでもいい。
とりあえず……万全でない今の状態では、彼女を止められない。
助けを呼ぶ? ――否、それでは主の名誉がなどと混乱していると、心中を読まれたように微笑まれた。
「だめだよ、レイン。誰か呼ぼうとしてる? 無駄よ。グランに、部屋の前で見張りに立ってもらってるもの」
決意に満ちた声音。空よりも青い瞳。
伏せられた睫毛が黒々と影を落とし、窓辺の光で際立って天使じみた容貌をさらす、うつくしい主の少女に。
レインはごくり、と喉を鳴らした。
カラカラに乾いているので動作だけだ。口のなかには水分がほとんど残っていない。なので、精一杯の掠れ声で反論を試みる。
「あの……。この状況、おかしくはありませんか? 僕はこれでも男で、貴女は歴とした女性で、淑女で…………その、立場が。逆では」
「あら光栄。レインならいいよ。変わる?」
「いや、そうじゃなくて」
「……」
――さっきから、もだもだもだもだ。
一体どうしたことか。普段なら異常なキレの良さで会話を独自発展させるレインが、とんだ覇気の無さだった。話が前に進まない。
焦れた少女は、ぷちん、と何かが切れた気がした。
(あ、しまった。私、レインやお父様に関しては、けっこう気が短い)
――――にっこり。
新たな発見とともに、改めて従者の少年を見下ろす。
相手は怪我人。さすがにこれ以上の無理はいただけない。
ちょっと失礼して腰を跨いでしまったが、体重はかけていない。というか、自分の脚がレインの腹に触れないようにだけは気を付けている。傷は悪化させたくないのだ。(※仰向けにはさせてしまったけど)
従って、そっと視線を固定するために。
女の子みたいに滑らかな頬に両手を添え、顔を近づけた。
「!!!!??」
いよいよ顔色がおかしくなってきた従者に構わず、エウルナリアは一音一音を区切るように、はっきり問いかける。
「さ。答えて。昨夜は――お父様から、何を言われたの?」
言わないと、もっとひどいことするわ、と告げる少女に対し。
レインは何とも言いがたい顔で眉根を寄せた。
「エルゥ様……『ひどい』の方向性が間違っています。あと、これはどんな男にもご褒美です。お願いですから、認識を改めてくださ」
「はい決定。『ひどいこと』その一ね」
「!」
…………間髪入れず。
有無を言わさず、レインは乱れた前髪の額に、主からの口づけを受けた。
* * *
「……で? それで、聞けたのか? エルゥ」
「だめ。無理でした。あの頑固者」
(((似た者主従……)))
心のなかで、三名の声が合致した。
朝食後。アルユシッドとゼノサーラの客間に二人で招かれている。
当然、レインは来れない。
紅茶を淹れ、茶請けを運んでもらい、ごくごく普通に昨日の宴で得られた各国の情報や、ウィズルの貴族勢力などについて話していたところ、飛び出た話題だった。
『アルム、今ごろどの辺りかしらね……』と呟いた皇女殿下に触発された形となる。
『――お父様といえば』と。
レインの様子がおかしい。
エウルナリアからの手当てを拒む。
目を合わせようとしない、など。
「う~~ん……。それって、ほら。愛想つかされたんじゃない?」
「えっ」
ガタッ、と椅子を鳴らしてエウルナリアが立ち上がった。「まぁまぁ、落ち着いて」とアルユシッドが、もっともらしく宥める。
ちょうど、右隣に力なく垂れていた彼女の手をとり、軽く引っ張ると再度座るよう促す。
ぺたん、と風船がしぼむように為すがまま。少女は椅子に鎮座した。
それを見て、グランが思わず苦笑する。
「あいつが、エルゥに愛想尽かし……? ないと思うけどねー。せいぜい、拗らせてんじゃねぇの?」
「こじらせ……何を?」
「さぁ」
ひょい、と肩をすくめてグランがおどける。そのまま、すぅっと真面目なまなざしとなった。
「何となく、わかる気はするけど教えない。そのうち、あいつなりに決着付けて自分から言うだろ。それより」
テーブルを挟んだ真正面。
優雅な佇まいで椅子の背もたれに体を預ける白銀の皇子殿下に、視線を合わせた。
「俺らは、レインの怪我がもう少し治ってから出立するとして。殿下がたは明日でしょう。結局どうなったんです? 姫殿下と、こっちのディレイ王の婚約打診」
「!!」
「あぁぁ……、それね」
はっと目をみひらいたエウルナリアと、ぐったりとソファの背に埋もれるゼノサーラ。
後者はまるで二日酔いのように瞑目し、額に手を当てている。
続く銀の姫君の報告に、場は再び、大いに沸いた。




