218 薬師どのの見立てでは
花祭りの翌朝は、ある意味、戦のあとのようだった。
死屍累々――と言わぬまでも、帰りそびれた貴族が中央棟一階客室やサロンに詰めているので、昼過ぎまでは近づかないように、と馴染みの侍女から言い含められたばかりだ。
(たしかに……、ずいぶん遅くまで迎えの馬車が来てたっけ。仮にも王城で臣下が伸び伸びし過ぎって言うか。……すごく大らか? お国柄かしら)
エウルナリアはアルムを南門から見送ったあと、そうっと城内に戻った。
好奇心を抑え切れず、怖いもの見たさで中央棟に渡るための門扉から向こう側を覗いてしまう。
すると。
「うわぁ」
パタン。
ひらいた直後、見なかったことにした。
速やかに振り向き、後ろ手で取手を押さえる。無意識に扉を背にもたれてしまった。鍵があれば、迷わず閉めていたかもしれない。
彼女の一連の行動を見守っていたグランは、何とも言えない顔になった。
「どうしたエルゥ。変な生き物でも?」
「変……んー。生き物には見えなかった。片付けが大変そうだなって」
「なるほど」
深く、大きく頷く。
そういえばレガートの騎士寮でも似たことはあった。主犯はおおむね、非番前の先輩方だったが。
かれらときたら、屋根のあるところならどこでも眠れるのだ。
多分あんな感じなんだろう……と、グランは瞬時に達観した。人生における詫び錆びを味わい尽くしたかのような表情だった。
「侍女さん達の言う通りだな。『危険区域は立ち入り禁止』。さっさと二階に戻ろうぜエルゥ。朝食には早いし。レインは……まだ寝てるか。それでも寄る?」
「寄らない。北棟に行くわ」
「北? なんで」
「ちょっとね。気になって」
話しつつ、エウルナリアはまず西棟へ。問題が多すぎた中央を迂回し、ぐるりと遠回りするコースで北棟をめざす。
途中、顔見知りになった侍女や官吏、使用人らと気さくに挨拶を交わしながら。
皆、ぱぁっと嬉しそうに顔をほころばせ、妖精のような軽やかさで進む少女に道を譲った。
ひと気のない北棟に差しかかった頃、ふわり、と流したままの黒髪を揺らし、エウルナリアは後ろ手を組んで振り向いた。
わずかに上体を傾げ、数秒。
上目遣いにグランを覗き込み、物言いたげに見つめている。
しみじみ……と、グランは見惚れた。
表面的には真顔で。
(朝っぱらから“可愛い”の見本市かよこんちくしょう。七年かけて培った俺の耐性、舐めんなよ……?! ど阿呆、エルゥ!)
――――もろもろ。超高速思考で葛藤すること少々。
お陰で、冷静な対応ができそうだと判断できるまではそうかからず、淡々と口をひらいた。
「昨夜はレイン、寝る前に診察受けてるよな。俺らが宴に行ったあと。当直薬師殿に直接訊くってことか? 先に寝るなんて、あいつらしくなかったから」
「正解」
にこ、と邪気なく笑う。
その様が、どことなく歌長に似てきたな……と気づき、グランはやれやれと息をつき、肩を落とした。
* * *
「レイン君ですか? いえ、服薬はいつも通りです。特に眠気を催す薬効はないはずですが」
「そうですか……」
サングリード聖教会から城に派遣される者は、ここでは『薬師』と呼ばれる。日替りの交代制らしく、昨夜から今日の昼までは、かれのようだった。
色素の薄い、襟足までの金髪を額からすべて後ろに流した五十代の男性。――ゆくゆくは、ウィズル支部司祭に着任すると目されるマリオ。毒を受けたディレイを診察した、腕利きの治療師でもある。
早い時間にもかかわらず、かれが起きていてくれて助かった。訪ねたときには既に、今朝の分の湿布を用意していてくれたので。
エウルナリアは話しつつ、その一式を受けとる。ついでに、とばかりに袖を捲りあげ、問いかけた。
「朝の薬湯は今からですよね? お手伝いします」
「あ、ありがとうございます。では……まずは手を清めて。小鍋に湯を沸かしてください。グラン君は、薬棚から」
「了解。六番と十一番。それに二十二番ですね」
「そう」
勝手知ったる異国の薬室。三名はしばし、ほのぼのと薬草談義に興じつつ、効率よく薬湯を煎じていった。
――――――――
「あ。ちょっと待って。そう言えば……」
「――はい?」
くるり、と振り返る。
朝食前に薬膳クッキーまでご馳走になった姫君と騎士は、「では」と、退出しようとしたところを呼び止められ、揃って首を傾げた。
マリオは申し訳なさそうに、上げていた右手を下ろす。そのまま考え込むように腕を組んだ。
「私が診察したときのレイン君に、眠そうな様子はありませんでした。どころか、ちょうどバード卿がいらっしゃって。私と入れ違いでした」
「お父様……ですか」
――父とレイン。
父にとってもレインは将来の片腕的な存在だ。信頼する家令の息子でもある。おまけに娘の従者で婚約者候補。自分達が出払っている間、怪我を心配して見舞いに来てもおかしくはない。むしろ自然。
が、マリオはなおも眉を寄せる。記憶の端を懸命に手繰ろうとしているようだった。
「うぅん……。見間違いかもしれませんが。入室した時のレイン君、すごく落ち込んでましたよ。泣きそうに見えました。一瞬だけね」




