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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 錯綜する思惑

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217 歌長の蒔いた種

「え? 休んでる……。レインが?」


「はい。申し訳ありませんが」


 深夜過ぎ。

 結局『宴の間には顔を出さずとも、いい。――行ってやれ』と、少しの間、温もりを分かち合ったディレイには送り出されてしまった。

 神妙な顔つきで待っていたグランを一瞥(いちべつ)し、かれは、とっくにホールに戻っている。


 今ごろ王と国賓の中座を経て、場はさらに無礼講と化しているだろう。夜明けまで焚かれる篝火、途切れぬ楽の音。交わされる密事に深まる親交。約束ごとや――あるいは、ひょっとしたら何かしらの火遊びも。

 今やウィラークは蜂の巣に似た不夜城だ。


 それはここ、普段おごそかな南棟でも言えることで。


「よく……これだけ賑やかなのに眠れたな、あいつ。いや、問題はそこじゃないんだけど」


「如何いたしましょう。お声がけをなさいますか?」


 ふぅ、と大儀そうに吐息する赤髪の騎士に、恐縮したように警護の兵は問いかけた。

 その実直そうな勤務ぶりから察するに、“(はい)”と答えたが最後、本当に叩き起こされそうな気がする。レインが。


 エウルナリアは、慌てて胸の前で両手を振った。全力で首を横に振る。


「! いっ、いいえ、結構です。もう遅いですし……あなたも、ご苦労様です。不寝番(ねずのばん)を?」


「えぇ」


 穏やかな、三十代ほどの青年だった。

 ぴしり、と立つ姿勢に隙はなく、これを一晩中……と思うと、かえって申し訳なくなる。

 が、『王の大切な客人をお守りした勇者どのの、栄えある警護です。夜明け前に交替要員が参りますのでご心配なく』


 ――と、笑顔で言い切られてしまった。


「では……」


 猛烈に後ろ髪を引かれたが、仕方ない。

 こちらからは淑女の礼、騎士の礼。返される敬礼とともに、その場をあとにする。然るに。


 コツ、コツ、コツ…………




 遠ざかる靴音。遠慮なく行き交う使用人らの足音。夜食を運ぶ台車の音に話し声。その、さ(なか)


(…………)

 扉を閉ざした真っ暗な室内で、レインは微睡(まどろ)みもせず窓の外を眺めていた。

 熱が引いた灰色の瞳は冴え、今は背の傷に障らぬよう、うつ伏せで寝ている。


 当然、耳はいい。


 扉越しに空気を震わせた、待ち望んだ甘い声も。

 気遣う気配も。

 名残惜しそうに立ち去る足音のすべても聞こえていた。


「――…………」


 きゅ、と唇を噛みしめ、視線を寝具に移す。

 枕元には銀糸で飾られた刺繍紐。それを左手の指で絡めつつ――固く目を閉じた。息を止める。


(僕は)


 じくじくと痛い。

 痛むのは背なのか、胸なのか。とにかく抉り続けるように痛い。

 レインはたった一人で繰り返し、ある一つの問いに翻弄されていた。


 他ならぬ、最愛のエウルナリアについて。




   *   *   *




 翌朝。

 朝靄(あさもや)のなか、城を出立する三騎の影があった。見送りに出たのは黒髪の少女と赤髪の幼馴染み。


 皇国楽士団を率いる父に、基本的にまとまった休暇はない。今も本隊は次なる遠征に向けて編成や、曲の構成を検討中という。本番にアクシデントは付き物だし、責任者はそのすべてに対応せねばならない。


『ご無事で。お父様。次は、いつお会いできます?』


 ブルルルッ……、と(いなな)く栗毛の駿馬に跨がり、アルムはニコッと笑った。


『いつでも。きみが会いたいと思ってくれるなら』


『また、そんなことを……。そうではなく、ご予定の話です。今年の冬は、レガートで過ごせそうですか?』


『おやおや、つれないね。もう冬の話? まぁ……そうだね。多分、暮れの十日前ほどから二週間は邸で過ごせるかな。あ、大晦日と新年朔日(ついたち)は皇宮で働かなきゃだけど』


 おどけた物言いでも、愛情がひしひしと伝わる。エウルナリアはにこにことした。


『わかりました。とっても楽しみにしています。レインと、待っていますね』


『うん』


 ――きみも。きみ達も気をつけて帰りなさい、と、穏やかな別れ。



 それを経て、三騎は未だ祭りの色濃い街を駆ける。

 通りには花弁が小山と積まれ、一晩中飲み歩いたと思わしき酔っぱらい達も少々。どこかで一夜、あたたかな寝床を得たらしい若者や、律儀に家の前を掃き清める老婆など。さまざまだ。


 ディレイ王が餞別にくれた馬はどれも非常に賢く、乗り手の意思を汲んでくれる名馬だった。

 それにほくほくと相好を崩す先頭中央のアルムに、右側を並走するトランペット奏者が話しかける。


「どんな、おっかない国かと思いましたが。……傷跡は深そうですが、民に力がありますね。王も、いい」


「そう? そう思う?」


「えぇ」


 かれは四十代。アルムと同年代で、入団したのはエウルナリアが産まれる前から。おおよその苦楽をともにした奏者だ。

 (ひるがえ)り、今度は左側の奏者がおそるおそる問う。こちらは二十代。トランペットパートではグランの面倒も見ている、若手では中堅どころだった。


「歌長。レイン君は大丈夫そうでしたか? 怪我は、その……命に別状がなくとも」


 言葉尻を濁すやさしさに、アルムがつい、目を細める。


「大丈夫だよ。ありがとう。年明けには演奏も可能だと、アルユシッド殿下からお見立てをもらえたとか」


「!! そうですか。良かった……!」


 一転、晴れやかな笑みを浮かべる奏者に、ちょっとだけ苦笑する。アルムはさりげなく前を向いた。

 大門が見える。

 そろそろ街を出る。

 ここからは一路、東への荒野を抜けねばならない。


「あの子にはね……怪我より、あっちの話がきつかったかな……」


(おさ)?」


「何でもない。飛ばすよ。二人とも、休みたいときは言うように」


「はっ」

「はい!」


 並足から駆け足へ。関所には通達が来ていたのか、兵達は敬礼・直立不動。呼び止められることはなかった。


 門をくぐる。加速すると夜明けの風が一陣、頬を切った。





 ――――――――


 運ばれる秋の匂い。花の香を胸いっぱいに吸い込み、飛ぶように。

 歌長とトランペット奏者らは、ところどころ舗道の欠けた坂道を一気に駆け降りた。




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