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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 錯綜する思惑

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216 箱庭の逢瀬

 かさり。散った落ち葉が細い石畳をあちこち塞いでいる。暗くて見えてはいない。音でわかるだけ。


 前をゆく背中も、黒豹の毛皮で艶はあるものの真っ黒なため、わかりづらい。ただ、あるか無しかの風に揺れる砂色の髪は夜目にも鮮やかだった。

 その髪が、ぴたりと止まる。


(わ)

 危ない。思わずぶつかりそうになり、慌てて立ち止まった。

 庭の入り口で待たせたままのグランとの距離を目視で計ろうとし、――再度、叫びを飲み込むはめになる。身体が、うしろに引かれた。


「!」

「静かに。……寒いだろう。俺も寒い。このままで」


 きゅ、と、回された両腕に力が込められる。痛くも苦しくも重くもない。絶妙な力の入れ具合。けれど、二重の意味で(はず)しがたかった。


 ――ディレイにしては珍しい。

 寂しそうな声だった。本当に冷えて凍えて、暖を欲しているような。


 よって、現在はたっぷりとした黒豹のマントで、肩から下をすっぽりと包み込まれている。

 ――――(いな)

 背中から抱きすくめられている。

 


「~~!!!!」


 理解と同時。エウルナリアは、みるみるうちに赤面していった。


「あの…………ディレイ。(ここ)でなければいけなかったんですか? お話は。その……」


「あぁ。今、ここでなければ、ずっと話せない」


 身長差は三十センチ近くあるかもしれない。

 なので、普通に防寒がてら、温かいマントでくるまれている感覚に近い。かれの声もずっと高い位置から降ってくる。

 が、これはどう見ても抱擁だった。よくはない。わかりやすく、駄目の部類。

 ばくばく、と鳴る心臓を上から押さえて、エウルナリアはつられて声を潜めた。


 なんとなく。

 予感に駆られて。


「……お諦めになる、決心はつきましたか?」


「お前、見た目によらず本当に残酷だな……」


「当たりですか」


「まだ、わからんが」


 とくん、とくん。

 トク、トク、トク。


 ゆったりと脈打つのがディレイ。

 やや駆け足なのが自分の脈動。

 かさなり、背中越しに熱が溶ける。


 ――今。この時でなければ。


 言っている意味は、わかる気がした。なので、ほろ苦く笑む。そぅっと、ディレイの腕にみずからの指を添え、すり、とこめかみを当てた。


 びくり、と大きな腕が震える。

 こんなに強く、大きなひとが、と。

 改めて胸に、痛みが走った。


 ――――添い遂げることはできない。自分にはもう、大切なものが多すぎる。このひとには、このひとだけに全身全霊を傾けられる女性(ひと)でなければ、だめだ。幸せになってほしいひとなのに。


 自身(みずから)の生業や体質をおいても、そう思う。

 あらゆる意味で不適格。まっとうな判断を、今、ディレイは下そうとしている。だから。


 振り向かない。


 回された腕を、左腕だけ抱きしめた。


「きっと、貴方だけを慈しんでくださるかたがいます。わかります。……そのかたと、ともに過ごす時間を選んでください。呼んでください。いくらでも、歌いに参りますから」


「――嫌だ。お前でなければ、と……言ったら?」


 いつの間にか、声が近くなった。

 左耳の近く。髪に直接、あたたかな息を注がれた。

(!)

 跳ね上がる鼓動を悟られぬよう、間を空ける。だめ。何としても、今ここで揺らいではいけない。流されては。


(私が、ほんとうに、大事なのは。ひとに託せないのは)


 ――……“どいつを独り占めにしたいんだ?”

 耳打たれたグランの声が閃く。

 そう、訊かれては。

 誤魔化しようがなかった。ずるい自分。

 あげくの果てに、手をあげて。


「ごめん……、ごめんなさい。私は、私でなければ許せないひとが、います。貴方への気持ちと、かれへの想いは全然違う。違うんです……!!」


 じわり、と目尻が滲んだ。せっかく直したのにと思ったのも束の間、唇を寄せられ、吸いとられた。


「!? ディレっ……??」


「お前が好きだ。おそらく、この病は治らん。だが……」


 ぎゅ、と。 

 息がしづらくなるほど、力を込められた。

 頬と、頬が触れる。ほんの少し動けば、たやすく口づけられるだろう。なのに、互いにそれ以上は求めない。求めてはならないと、()()()()()(くびき)()()()()


 これが、境界線。

 おそらくはこれが自分達の、最後の。

 互いへの“証”なのだと思う。


「エウルナリア」


「はい」


「エウル、ナリア」


「……はい?」



 なぜかな。

 全然違う。まったく、考え方も価値観も、その苛烈さも孤独さも。

 きっと、永遠に理解はしてあげられない。なのに。


「お前だけは今生(こんじょう)、この先ずっと、変わるな。ずっと名を呼んで欲しい。尊称も敬称も……要らん。お前にだけ、許すから」


(ほらまた。自分から、寂しくする。追い込んじゃうんだ)


 鼓動の深さも速さも熱も、もう筒抜けだとわかる。だからこそ力を抜き、エウルナリアは背後を振り仰いだ。


 頼りない、至近距離。

 何かに不満げにも映る、必死に堪えるかれの表情(かお)に、やわらかく微笑みかけて。


「わかりました。貴方が、そうと望まれるうちは。――ディレイ」



 その時。


 リィン、ゴーンンンン……と、深夜を報せる鐘が鳴り響いた。おそらくは時計台。旧神殿跡地だろうか。それとも広場――?


 長い、長いウィズルの花祭り。その絢爛たる一区切りを高らかに祝う音の、余韻が身体を伝う。



 きっと、このひとだけは、私の長い名前をそのままで呼び続けるのだろうな、と。

 胸に再度、いたみと熱を焼きつけて。


「貴方にも……祝福がありますように。来年はどうか、お好きな花を身につけてくださいね」


 ――――ディレイ(かれ)一人、今宵の宴で花を飾っていなかった。誰も、何も言わなかった。

 おそらくは、旧神殿を潰した()()()や、内乱で命を落としたひと達を偲んでのことだったのだろう。


 どうか。

 この不器用なひとが、いつか心からの安らぎを得られますように。


 エウルナリアはディレイに代わり、西国の天地そのものに、静かに祈った。




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