215 白き星、月に祈る
リー……、リー……、と、虫の音が聴こえる。
すっかり静かになったな、と思った頃、扉がカチャッとひらいた。
「ごめんね、かなり待った?」
「いや。大丈夫。零時まではまだ、三十分ちょいあるし。行く?」
「行きます」
きっぱり。
涙のあとも、きれいに直してある。
冷やしたのか、拭いたのか、塗ったのか。はたまた……――?
化粧については永遠の謎で、秘技とまで感じるグランは、宴が始まったときと同様の顔に戻った奇跡のエウルナリアに、ただただ感嘆するしかない。
「やだなぁ、じろじろ見すぎ。……まだ変?」
「ううん。綺麗だ」
「!!」
変か、と問われたので直球で返したまでなのだが、エウルナリアは途端に青い瞳を丸くし、忙しなく瞬いた。弱ったように視線が泳ぎだす。
(……え。また泣く? うそっ?)
戸惑い、ハラハラと眺めたが、幸い泣かれなかった。頬を染めて俯き、一生懸命そっぽを向いている。
ははぁ……と。そこで漸く、ピンと来た。
「なに。今さら。照れてんの?」
「~~……『今さら』とか、そういうの関係ないから! はい、騎士どの。行きましょう。宴が終わっちゃうわ」
きっ、と潤んだ目で睨みあげた少女は、そのままグランを追い越して、来た廊下を正確に戻り始めた。すたすたと、あっという間に背が遠くなる。
「! あー、はいはい。悪かったって、エウルナリア嬢…………ん?」
回廊なので角に突き当たると、すぐに右。折れた先、意外にも立ち尽くすエウルナリアがいた。
「エルゥ。どうし――」
「……ディレイ。なぜ」
ぽつり、と呟く声が、やけに淡く。差し込む月の光に溶け入るようだった。
回廊の向こう。
柱に寄りかかって、豪奢ではあるが黒づくめの装いのディレイが、気配を消して待っていた。
* * *
――三十分、姫を借りられるか。
そう出会い頭に告げられた。
(借りるも何も。決定事項だろうが、それ)
むすっと顔に“不機嫌”と記し、グランはディレイとエウルナリアが連れだって降りた、小さな庭の手前で不動の姿勢をとった。
虫の音が、先程よりもよく聴こえる。
セレドナ嬢に連れられた時のように、ハーフマントを貸そうとしたが断られた。
――お前が風邪を引くぞ。
と。
そう、先に言われてしまえば受けとるエウルナリアでもないと、見越したかのような物言いだった。
「くそったれ……。あー、むかつく」
鍛練不足。もう不動ではなくなってしまった。
つい、悪態をついては腕を組み、いらいらと背後の足音や微かな話し声に耳を傾けてしまう。
もう、ほとんど聞こえないほどの距離なのに。
照明の類いはさほどない箱庭だ。
だからこそ、人目を忍んで逢うにはちょうど良いんだろうか――とまで、勘繰ってしまう。そんな愚かしさに、我ながら呆れつつ。
「もー……。知らねぇぞー? レイン。ほんと、あとはエルゥ次第だかんな……???」
――自分は打たれ慣れている。おそらく、何があろうと大丈夫。(※多分)
だが、今。
怪我を負って自由に動けない、もう一人の幼馴染みは。
あの、何より誰よりエウルナリアを慈しんできただろうレインは。
「……生きろよ。頼むから、死ぬんじゃねぇぞ」
最悪の事態すら想定して、月を仰いで祈ってしまった。
蒼い闇夜。
風は上空のほうが、疾いのか。
星が白く瞬いている。




