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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 錯綜する思惑

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215/244

215 白き星、月に祈る

 リー……、リー……、と、虫の音が聴こえる。

 すっかり静かになったな、と思った頃、扉がカチャッとひらいた。


「ごめんね、かなり待った?」


「いや。大丈夫。零時まではまだ、三十分ちょいあるし。行く?」


「行きます」


 きっぱり。

 涙のあとも、きれいに直してある。

 冷やしたのか、拭いたのか、塗ったのか。はたまた……――?

 化粧については永遠の謎で、秘技とまで感じるグランは、宴が始まったときと同様の(かんばせ)に戻った奇跡のエウルナリアに、ただただ感嘆するしかない。


「やだなぁ、じろじろ見すぎ。……まだ変?」


「ううん。綺麗だ」


「!!」


 変か、と問われたので直球で返したまでなのだが、エウルナリアは途端に青い瞳を丸くし、忙しなく瞬いた。弱ったように視線が泳ぎだす。


(……え。また泣く? うそっ?)


 戸惑い、ハラハラと眺めたが、幸い泣かれなかった。頬を染めて俯き、一生懸命そっぽを向いている。

 ははぁ……と。そこで(ようや)く、ピンと来た。


「なに。今さら。照れてんの?」


「~~……『今さら』とか、そういうの関係ないから! はい、騎士どの。行きましょう。宴が終わっちゃうわ」


 きっ、と潤んだ目で睨みあげた少女は、そのままグランを追い越して、来た廊下を正確に戻り始めた。すたすたと、あっという間に背が遠くなる。


「! あー、はいはい。悪かったって、エウルナリア嬢…………ん?」


 回廊なので角に突き当たると、すぐに右。折れた先、意外にも立ち尽くすエウルナリアがいた。


「エルゥ。どうし――」

「……ディレイ。なぜ」


 ぽつり、と呟く声が、やけに淡く。差し込む月の光に溶け入るようだった。

 回廊の向こう。

 柱に寄りかかって、豪奢ではあるが黒づくめの装いのディレイが、気配を消して待っていた。




   *   *   *




 ――三十分、姫を借りられるか。

 そう出会い頭に告げられた。


(借りるも何も。決定事項だろうが、それ)


 むすっと顔に“不機嫌”と記し、グランはディレイとエウルナリアが連れだって降りた、小さな庭の手前で不動の姿勢をとった。


 虫の音が、先程よりもよく聴こえる。

 セレドナ嬢に連れられた時のように、ハーフマントを貸そうとしたが断られた。


 ――お前が風邪を引くぞ。

 と。


 そう、先に言われてしまえば受けとるエウルナリアでもないと、見越したかのような物言いだった。


「くそったれ……。あー、むかつく」


 鍛練不足。もう不動ではなくなってしまった。

 つい、悪態をついては腕を組み、いらいらと背後の足音や微かな話し声に耳を傾けてしまう。

 もう、ほとんど聞こえないほどの距離なのに。


 照明の(たぐ)いはさほどない箱庭だ。

 だからこそ、人目を忍んで逢うにはちょうど良いんだろうか――とまで、勘繰ってしまう。そんな愚かしさに、我ながら呆れつつ。


「もー……。知らねぇぞー? レイン。ほんと、あとはエルゥ次第だかんな……???」


 ――自分は打たれ慣れている。おそらく、何があろうと大丈夫。(※多分)


 だが、今。

 怪我を負って自由に動けない、もう一人の幼馴染みは。

 あの、何より誰よりエウルナリアを慈しんできただろうレイン(あいつ)は。


「……生きろよ。頼むから、死ぬんじゃねぇぞ」


 最悪の事態すら想定して、月を仰いで祈ってしまった。



 蒼い闇夜。

 風は上空のほうが、(はや)いのか。


 星が白く瞬いている。




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