213 放ってはもらえない
「エルゥは?」
すぅ、と会場の音が遠のく錯覚。涼やかな気配をまとい、大階段を上がったアルユシッドは妹姫に声をかけた。
「んんん……? 知らない。どっか、引っ込んだんじゃないかしら。断りも伝言もないから多分、すぐ戻ると――あ、ありがとう」
「どういたしまして」
コトン。
ぼんやりと座るゼノサーラの目の前。
爽やかな香りが漂う、華奢なグラスを置かれた。
* * *
宴の間をざっと見渡せるバルコニー仕様の中二階には、純白のクロスを掛けたテーブル席が三つある。
手前の二つは円形。揃いの椅子が三脚ずつで、奥の一つは楕円形。緩く弧を描く五~六人がけの長椅子が一脚設えてあり、どちらも先客はいなかった。
ゼノサーラは迷わずふかふかの長椅子に腰を下ろした。
とにかく、喋るよりは踊りまくった。
ダンスの誘いは花の如くにこやかに。それ以外は、いかにもとっつきにくそうな皇女を演じてきたところだ。(※『演じずとも、地で大丈夫ですよ』とは随伴の外交官に言われたが、それはそれ。全力で取り組んだつもりはある)
――下手な質問攻めや腹の探り合いに、巻き込まれたくはなかった。心当たりのない派閥の旗頭など、問題外だ。
おかげで物理で疲れたが、兄妹間で取り決めた“役割分担”はつつがなく担えたはず。実質的な戦果は兄待ちとなる。
(エルゥは……、グランがいるから平気かしら。変な奴に絡まれてなきゃいいけど)
ふと、掠めるように姿の見えない親友を慮った。
背筋を伸ばし、居住まいは凛と。膝を揃え、両手は腿の上。わずかに顎を引く。
二つ名である“銀の皇女”以外の印象を残さぬよう、ことさら意識する。
内心はどうあれ、ここは王と国賓のみが座せる場所なので。
「ふぅぅ……」
とはいえ、炙られるような衆目から逃れた安堵に、つい、息が漏れた。
母の出身地――白夜国――以外の夜会は久しぶりとあって、気力の消耗も激しい。
再びの吐息。軽く遥か上方、吹き抜けとなっているアーチ型の天井を仰ぐ。
兄が飲み物を運んで来てくれたのは、そんな時だった。
* * *
「へぇ……、李酒? いい匂い」
「うん。わりと浅い仕上がりで、すっきりしてる。悪くないよ。アルトナ産で、最近品質向上に力が入っているらしい。うまく生産数が安定すれば、セフュラの港から外国にも輸出したいんだとか。大使が熱弁をふるってたよ。近く、流通するんじゃないかな」
「ふうん」
グラスを手にとり、目を閉じる。そっと顔を寄せた。
イメージとしては、赤く熟したつやつやの皮。薄黄色のみずみずしい果肉を思わせる、馥郁とした香りが一段と強まる。
口に含むと、ごくごく弱めの酒精と、染み入るほどの甘みが広がった。
つめたく冷えており、踊り疲れた身体には非常にありがたい。思わず目許がほころぶ。
「美味しい……! これ、好きかも。紳士よねぇ、兄様って。まさに、女の子にはぴったりな口当たりだわ」
「……“紳士”ね。よく言われる。たまには『殿下ひどい。騙されました。なんて悪いひと……!』くらい、可愛らしい罵詈雑言つきで言われてみたいんだけど」
「!」
滑らかに返された誰かさんの口真似に、ゼノサーラはあやうく李酒を吹きそうになった。次いで、声を上げて笑う。
「ふっ……、あははは……! やだそれ、エルゥね? むだに上手いんだから! おまけに言いそう~。でも、兄様には絶ッッッ対、言わなさそう。うふふふっ……!」
遠慮なく抱腹する妹に、アルユシッドは苦虫を噛んだような顔をした。
「サーラ。放っといてくれないか? 自分でもわかって――」
「楽しそうだな。同席しても?」
「!! 陛下」
「ディレイ殿。勿論です」
「すまんな。ゼノサーラ殿も。兄君とのせっかくの歓談中、失礼する」
「あ、はい。――いえ、どうぞ」
カッ……、と、くぐもった長靴の音が鳴り、テーブル越しに黒衣のディレイが過ぎた。
その、悠々とした動きに無条件に目を奪われる。
真っ直ぐに解きおろした砂色の髪。精悍な横顔。引き結ばれた唇には愛想の「あ」の字もない。
なのに。
(何て言うか……。わかるな、エルゥがペースを崩されるの)
はっきり言って、ただの美形なら見慣れている。
しかし、この男――自国の一部では『将軍あがり』とまで揶揄されるディレイが、実は抜きん出た存在感の持ち主なのだと、会うたびに気づかされる。まるで、心臓を鷲掴みにされるように。
結局、右側にアルユシッド。左側にディレイ王。
両手にくせのつよい男性状態になったゼノサーラは忽ち居心地が悪くなり、さりげなく兄側へと身を寄せた。




