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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 錯綜する思惑

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212/244

212 紺色の瞳の守り手

 ほっそりとした繊手()が長身の騎士の頬を打つ音は、さほど大きいものではなかった。曲の区切りにもたらされた、場内に満ちる拍手のさざめきに紛れたことも大きい。


 が、見る者はチラチラと見ていたわけで。


 好奇の視線が集まる。

 むくむくと苦い悔恨が湧く。


 ――落ち着け。落ち着いて。

 今のは、私が悪い。


 眉をひそめ、目を瞑ったエウルナリアは、さ迷う右手を胸元に寄せて握りしめた。


「……ごめんなさい。やっぱり、疲れてるみたいです。一度、化粧室に下がります」


「こちらこそ。出すぎたことを申し上げました。お許しを」


 互いに謝罪し、ホールを囲む円柱回廊(づた)いに目立たぬよう歩く。


 何かを察したのか。

 ウィラークお抱えの楽団はあえて明るい曲を賑やかに奏で始め、人びとは再び美酒に舞踏、それぞれの享楽や社交へと舞い戻っていった。




   *   *   *




 コツ、コツと二人分の足音が廊下に響く。

 同じ城内であっても主会場から離れると、ずいぶん静かに思えた。

 冴えざえとした月光が足元を照らすなか、歩調を姫君に合わせた騎士は、実に軽い調子で切り出した。


「エルゥ。このまま、ばっくれちまえば? あと小一時間で深夜だし。レインとこか、アルム様のとこにでも行っとけよ。一人より、誰かといたほうがいい。“体調を崩した”とかなんとか、上手(うま)いこと言っとくからさ」


 ぶっきらぼうな口ぶりのまま、今は“紳士”ではなく、いつものグラン。エスコートもされていない。

 エウルナリアはグランより遅れ、やや斜め後ろを歩く。

 視線は落ちている。ふるふると(かぶり)を振った。


「だめ。仮にも主賓よ? さっきのだって充分あり得ないことで…………、あぁもう、本当にごめん。痛い?」


「いや全然」


 ほんのりと赤い頬を晒したまま、けろり、とグランは答えた。


(……)

 (まなじり)が下がる。泣き笑い。こういう時、かれには敵わない。

 グラン(かれ)は乱暴に見えて、すごく優しい。誰よりも繊細に周囲を。自分を見ていてくれる。

 だからこそ。


 エウルナリアは歩みを止めず、(うつむ)いた。なるべく普通の声に聞こえるよう、問いを。問いの形をとる、ずっと漏らせなかった、幾つかの告白をかさねる。

 

「グランから見て、私は……(みにく)いかな。あなたに訊く自分もどうかと思う。けど、胸がざわざわするの。ウィズルに来てから考えるべきことと、考えないようにしてること。二つあって、…………時々つらい。とるべき道も、大切にしたいものも、ずっとずっと、変わらないのに」


「んー。まぁ、そうだろうな。見ててもわかる。わかり易すぎるくらい」


「そんなに?」


 顔を上げ、聞き返した拍子に、ぽろり、と零れるものがあったけど無視した。

 今の最大関心事は()()じゃない。今さら自分の状態など、果てしなくどうでもいい。


 すがるような面持(おもも)ちの幼馴染みに、ちら、と紺色の視線が流される。まなざしに少し、痛みの影が宿った。


「――『醜い』とかは、天地がひっくり返っても思わねぇけど。見方によっちゃひどいかもな。俺は時々、エルゥのこと、頭の天辺から爪先までめっっっちゃくちゃにしたくなる」


「…………それ、嫌いってこと?」


「ばーか。ほら、着いたぞ、直してこいよ、ひでぇ顔」


「……うん」


 否定せず、エウルナリアは目許を拭いもせず、化粧室へと入っていった。

 ぱたん、と目の前で扉が閉まる。


 グランは思わしげに、壁を背にもたれた。

 両腕を組み、回廊の向こう側――きらきらしい光こぼれるホールの辺りをぼんやりと眺める。


「これ…………。『俺が泣かした』ってことに、なるんだろうなぁ……」





 ――――――――


 互いに小さかったころ。

 十歳の春に出会った。夏に再会して、バード卿の許しを得て仲良くなった。


 見た目によらず、強情なところのある少女だった。こと、自分のなかで譲れぬ一線に関しては。


 普段はおっとり、うっかりしているくせに、肝心な場面では有言実行を課している。『言葉』に慎重になる。

 だからこそ、本当に大切なことは滅多に言わない。容易くひとの心に飛び込むくせに、自分のなかには立ち入らせないのだ。その、一線が。


 ――――変わらぬ指針でもあった『それ』が、今は彼女をじりじりと追い詰めているというのに。


(どっかで爆発させないと。あいつ、また気づかねぇふりで頑なになっちまうんだ。余計な回り道なんか。むだなのに)


「卒業の時、とか……関係ねぇだろ、もう。気づけよアホ」



 彼女が誰を選ぼうと。

 自分は騎士として側にいる。

 その選択が、今は揺るがぬ(おのれ)の指針。


 悔いは、ない。




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