211 胸裡のくるしさを
「しんどそうだな」
「――グラン」
再び、ホールの明かり。
階段を上がった場所で、粛々と令嬢らしい顔色に戻ったセレドナと別れた。『リュミナーク卿にお礼を』『こちらこそ。お時間をいただき感謝します』と、既ににこやかな礼を交わしている。
その、小さな背を見送ったあとのこと。
そこかしこで(セレドナ嬢と友誼を)(後見はリュミナーク侯爵で決定か)などと漏れ聞こえるが、知らんぷりだ。
――あのかたのお幸せを。
自分で告げた言葉の比重を、心のなかで感じる。噛みしめるように反芻する。
偽りではなかった。正真正銘の本心だと自信を持って言える。なのに。
「そう……かな。ちょっと、疲れちゃったのかも。そんなにひどい?」
たいした化粧は施していない。元々、身支度を手伝ってくれた侍女曰く、『なんて塗りがいのない肌……!』と、嘆かれる(?)ほど弄りようのない顔だ。
結局、眉を切り整えて形を補整し、自然な赤みを頬紅で足して少々の白粉をはたいた程度。瞼や目じりも塗られた気はするが、何色かは覚えていない。(※目を閉じていたので)
口紅も普段よりは濃い桜貝色なだけで、全体的にふわっとしている。
けれど、それでは誤魔化せないくらいに血色がよくない――あるいは、何かしらの波が疲れとして滲み出ているのなら。
化粧室で直した方がいい? と、真面目くさって尋ねる少女に、グランは目を細めた。
「いいや? どっちかってぇと……『無理してる』って感じかな。浮かない顔ってやつ。そこまでひどくねぇから気にすんな。それより」
「?」
す、と白手袋に包まれた右手を差し出された。左手は胸に当てて畏まった会釈。
ダンスを乞う仕草だ。
エウルナリアはきょとん、と数度、瞳を瞬いた。
作法だけは“誓句の騎士”にふさわしい所作で、グランはニッと口の端を上げる。
「踊っていただけますか、我が姫。こんなときじゃなきゃ、あんたを独り占めできない」
「あら!」
一部、不穏な単語も聞こえたがエウルナリアはくすくすと笑った。
鈴を振るう声音に、誘ったグランの胸が温かくなる。――やっぱり。
曲の途中からだったが、騎士と歌姫はホールの端近で慎ましく踊り始めた。
* * *
見つめあい、楽しげにステップを踏む調和のとれた一対に、周囲の視線もそれとなく集まる。
グランのリードは意外に優しく、信頼感もあってか非常に心地よかった。身長差のバランスがいいようだ。
あまり、内輪の者とばかり踊るのは褒められたことではないが、たしかにグランと踊るのは学院のダンスの実技以外では初めてだった。そのことに、胸裡の底がくすぐったくなる。
「ふふっ」
「何だよ」
「なんでも?」
にこにこと、変わらず笑顔のエウルナリアにグランもつられる。――ただし、苦笑という意味で。
「……やっぱりエルゥ、踊ってると楽しそうだよな」
「そう?」
――――『楽しそう』。
実際に楽しいので、仕方がないのでは?
一転、小難しい表情になった少女を、グランは明るく笑い飛ばした。「怒んなって。貶してるわけじゃないから」と、快活に諭しながら。
それも、やがてふと潜める。内緒話のように若干腰を折り、少女の耳許に顔を寄せた。
「俺さ、エルゥが好きだって言った気持ちは変わらない。けど、エルゥが俺を好きじゃなくても、笑っててほしい」
「――……っ」
甘やかにとろける、きつい面差し。一段低められて囁く、言い含めるような声。
きちんとホールドされているから、ぴくり、と緊張が背を走ったのはばれてしまったろう。不意打ちだった。
エウルナリアから、今度こそ表情が抜け落ちた。ひらいたままの唇は吐息ももらせない。息が止まる。
「さっきさ、リュミナークのご息女にきっちり宣言したろ。あれ、想像以上にきつかったんじゃねぇの?」
「どうしてわかるの」
「わかるよ」
ワアァァ……
パチパチパチ……
ほろ酔いの人びとの歓声。さざ波のような拍手。感覚としては数分だった。あっさりと曲が終わる。
習慣でホールドを解いたあとも左手を預けたまま。二人は向かい合って一礼した。
グランは完璧な角度と凛々しさで。
つられて、エウルナリアも優雅に膝を折る。
互いに姿勢を戻した――直後、くんっと手指を引かれる。耳打ちされた。
「『こんなときじゃなきゃ』って、俺、言ったろ? 本心だよ。本当は独り占めしたい。でもお前は? エルゥは一体、どいつを独り占めしたいんだ…………?」
「!!!」
――パァン!
真っ青な瞳がほぼ限界までみひらかれるのと、赤髪の騎士が左頬を張られたのは、ほぼ同時だった。




