210 王を想うもの
夜の庭園はセレドナの言う通り、不思議と心奪われるものだった。目線の高さには適度な距離をあけて篝火が。足元に近い場所や、めぼしい花の咲く場所には灯籠がある。
彩色された硝子越し。やさしい色あいの光がいくつも、かすかな風にあわせて揺れていた。
「綺麗ですね……」
斜め後ろにグランの頼もしい気配を感じながら、前をゆく小柄な令嬢に声をかける。
そもそもが吐息混じりの囁き声。独り言に近かったが。
「でしょう?」
セレドナは得意気に、ふふっと笑う。
幼さの残るいたずらな蟲惑さ。彼女独自の笑い方のようだった。
エウルナリアは、歌い始めのように意識して息を吸う。(今かな)と、機を読み先んじた。
「リュミナーク家は。此度のレガートからの接近をいかがお考えで?」
「…………驚いた。直球? 搦め手も前振りも、何もないのね。外交国レガートの歌姫なのに」
およそ数拍分の空隙。
つんのめるように立ち止まったセレドナは、“信じられない”と顔に書いて振り返った。
エウルナリアは、ただ柔らかく瞳を細める。
「性分なので」
「はぁ……」
セレドナは呆れたように嘆息した。
やがて、やれやれと頭を振り、諦めたように会話の糸口を受け入れたが、質問には答えなかった。
「だからこその、ご寵愛なのかしら。エウルナリア様。陛下の求愛にはお応えになりませんの?」
「どこまで、貴族の方々に周知されたか存じ上げないのですが……。そもそも、ディレイ陛下にアルトナへの挙兵の気があったからこその、我々の派遣です。
民のための戦を。富を欲していたのだと今は理解していますが、頷けるものではありますまい」
「そうね。わかるわ。うちの父も協定を破ってまでの侵攻は、乗り気ではなかったもの」
(あらあら)
すっかり話題に夢中になってしまったのか、敬語が疎かになり始めた少女に笑んでしまう。
――確か、昔は私もそうだった。
“今もですよ”と、彼女をよく知る従者の少年がいれば、即座に指摘したろうけど。
「反戦派……が、リュミナーク家の。大多数の貴族の総意とみて差し支えありません?」
セレドナは、こくり、と年相応の仕草で頷いた。
「えぇ。西は。東は……どうかしら。すぐ隣の河向こうに穀倉地帯があって。先日、陛下が『地下の大掃除』をなさったでしょう? 同じ穴の狢なんて、そこかしこよ。イタチごっこと言うべきかしら。……とにかく」
こほん、と咳払い。
セレドナは脱線を恥じらうように、上目遣いにエウルナリアを見上げた。
「我がリュミナーク家は、穏健派の代表と見ていただいて構いません。けれど、東の一派は未だに狢やらイタチとの癒着が甚だしいわ。一部の奴らは私腹を肥やすのにも長けていて、一筋縄では参りません。
――サングリード聖教会の正式な導入。レガートの接近に此度の粛清。この上さらに、ゼノサーラ皇女との婚姻話まで持ち上がれば、かれらに要らぬ警戒心を抱かせてしまいます。また暗殺の憂き目に遭われれば、どうすれば良いのか。今、我らは陛下を失うわけにはいかないのに……!」
内乱はもう懲り懲りだと、少女はこぼした。その、しょんぼりとした様子に。
「……陛下のこと、本当に大切にお想いなのですね。民のことも」
「あ! いえ、そのぅ……」
ついつい、熱く語ってしまったと悟った少女は、篝火の明かりだけでもわかるほど真っ赤になった。目が泳ぎ、口をぱくぱくとさせている。可愛い。
(わかりやすいな)
エウルナリアは目許を和らげた。思いがけずに得られた安堵で、自然と口の端が上がる。
――――よかった。
ディレイには、ちゃんと味方がいる。
面倒な貴族の手綱取りも筆頭家臣のリュミナーク卿が。また、その盟友が。次代の芽となる後継者らが、なにくれとなく気を配るだろう。
今この時、セレドナが体当たりで自分を捕まえ、かき口説いたように。
ふわり、と、心からの笑顔を。
駆け引きでも何でもなく、エウルナリアは浮かべた。
歌わずとも、“豊かさの象徴“とまでディレイに言わしめた微笑み。
あの時は、皮肉にも歌声を奪われたけれど。
「――!」
セレドナは再び息を飲んだ。
ただただ、目の前の美姫の深い、湖を思わせる瞳に見とれてのことだった。オレンジの篝火。あかあかと踊る炎の光を受けてなお。
「私も。立場は違えど貴女がたの王を支えたいと思っています。事情があって、妃にはなれないと陛下には申し上げたばかりですが――友として。生涯、あのかたのお幸せを」
つきん。
なぜだろう。心が痛んだ。でも、振りきった。
――祈っています。この国の安寧も。
そのための助力は惜しまない、と。
エウルナリアは最後まで、みずからの声で、語るべき言葉を搾りとり、紡ぎきった。




