208 突撃の姫※
「ね、エウルナリア様。今宵は、歌ってはいただけませんの?」
「え、と……」
どちら様? と問いそうになり、エウルナリアは慌てて口をつぐんだ。
重たげでつややかな、ベルベットの深緑のドレス。結い上げた亜麻色の髪にはケイトウの一種だろうか。ちいさな槍の穂先に似た花と細い茎が釵のようにあしらわれている。瞳と同じ、赤みを帯びた紫。一見してとてもチャーミングな少女だと感じた。
「あ、申し遅れました。わたくし、ウィラークに居を構える家の娘ですの。セレドナとお呼びください」
「――大変、申し訳ありません。セレドナ嬢」
「! グラン」
にこにこと、断りなく手を握られそうになったエウルナリアの目前が、ふっと翳った。
白のハーフマントをあえて左肩だけに垂らし、長い腕を両者の間に差し入れる幼馴染みの騎士殿がいる。
「きゃっ」
セレドナが反応し、ぴくっと歩を止めた隙を見計らい、グランは身体ごと移動して明確な盾となった。
落ち着いた紺色のまなざし。きつい面差しを和らげるために、できるだけにこやかさを失わぬよう続ける。
「わが皇国楽士団の規律に、『長の許可なく、みだりに楽を披露してはならない』と定められているのです。我らが歌姫の声を所望していただけたのは、誠にありがたいのですが」
「まぁ」
ケイトウのような、ふわふわと毛羽立つ扇子を口許に、セレドナはぱちり、と目を瞬かせた。「存じませんでしたわ。失礼を」と口早に囁く。
その愛らしさに、無意識に張っていた警戒心が綻び、エウルナリアは、ふわっと笑んだ。
「いえ、特に周知していることでもありませんから。ウィラークにお住まいということは……古くからのお家なのですね。リュミナーク家?」
「! よくお分かりになりましたね」
「よかった。確か、前王朝の治世でディレイ様がウィズル南部に遠ざけられたとき、いち早く馳せて後援を申し出られた名家と。――お目にかかれて幸いです、セレドナ・リュミナーク嬢。レガートのバード楽士伯が娘、エウルナリアですわ」
「ご丁寧に」
――どうやら、穏便に済みそうだとホッとしたグランが脇に退く。
二人の令嬢は向かい合い、改めて礼を交わした。
セレドナは初見こそ猪突猛進な印象だったが、こうした振る舞いは貴族然としている。
おまけに彼女の出現に併せてぱたり、と、他の貴族が近寄らなくなった。
(言ってることは本当っぽいな。周りが『様子見』に転じた)
赤髪に黒衣。凛とした装いのグランが胸に手を当て、きびきびとエウルナリアに提言する。
「……エウルナリア嬢。場所を移されては? セレドナ嬢、よろしければ飲み物などご用意を」
「いいのよ。そんなにお時間をいただいては、あちらでご歓談中の陛下と父に睨まれてしまいますわ。今、街きっての『時のひと』を独り占めするとは何事かと」
「……そんなことは、ないかと存じますよ? 式典では私の父も歌いましたし。楽士も」
「いえいえ、歌はもちろん、そうなのですが」
こそっと声を潜め、セレドナは最初の時のように悪戯な笑みを浮かべた。
扇子で口許を隠したまま、「失礼」とエウルナリアに近寄る。
着飾った少女二人が、きらびやかなホールの片隅でないしょ話。絵面はとても可愛らしいものだったが。
次の瞬間、大人びた色あいの紅を差した唇からは、なかなか切羽詰まった心情が吐露された。
「んもう、鈍いかた。お分かりにならない? 皆、興味津々なのよ。わたくし、父から派遣されましたの。貴女をお守りしろと」
「リュミナーク卿から?」
エウルナリアより、拳一つは小柄な姫だった。扇子の内側からぱちん! と片目を瞑られ、呆気にとられる。その人懐こさも、言葉の中身も。
(古株の、ディレイにとっては信用できる大貴族。偽りも無さそうだし。……そうね、乗ってみようか。おそらく、お互い探りたい情報はあるはず)
もの柔らかに決意したエウルナリアは、ちらりと視線を遠く、人垣の向こうに佇むディレイへと滑らせた。目は合わない。が、あえて見ないように――と、自分も漠然と考えていた。
唐突に。
ずっと、口許に指を添えていた。それが先ほど、かれから唇を落とされた箇所だとハッと気づいて。
「あっ」
「? エウルナリア様?」
きょとん、と素の表情を晒すセレドナは、ひょっとしたら年下なのかもしれない。
エウルナリアは極力、彼女から不審に思われぬよう反対の手で指を包みつつ、ちょっぴり提案をした。
「あの……。よろしければ、色々お伺いしたいですわ。私、こちらのこと、よく知らなくて」
――――お時間をいただけます? と、控えめに首を傾げた。




