207 ファーストダンス(後)
「似合うな。さすがに」
「畏れ入ります」
少し、考えた。
かれの用意した衣装を選ばなかったことかな、と当たりをつけて答える。舞踏はまだ始まったばかり。
軽やかに、けれどゆったりと運ばれる足さばきに脱帽する。うまい。
ついつい、純粋にエウルナリアは楽しくなってしまった。背筋を伸ばし、上背の高い青年王を、ふふっと笑みほころんで見つめる。
「――?!」
すると、笑いかけたこちらがドキリ、と心臓を掴まれるように笑み返された。
(……う)
しばらく考えごとができず、緊張とは違う高鳴りで真っ白になる。心音は変わらず落ち着かない。が、心地よくもある。
弧を描き、緩急をつけては流れる色鮮やかな視界に、辛うじて目を逸らせた。
見つめ合ったままでは、よくない気がした。ディレイは、時々反応に困るほどやさしく、甘い。
「……不思議だな。喋らずともいいかな、と思える。お前となら」
「それは、『王として』話すべきことがあったと。今なら盗み聞きもありませんし……そういうことですか?」
「半々だ」
「?」
曲が転調し、くるり、と見せ場になるターンのステップと振り付け。
が、なぜかホールドが緩み、ハッとする。右腕がディレイの肩口から滑り落ちそうになり、あわてて若干――みずから、かれに身を寄せるようにすがり付いてしまった。有り体に言うと、恋人に甘えるような。
(!!!)
かぁっ、と目許が熱くなる。驚きと、大半は羞恥。
「ディレイ、わざと……?」
曲は途切れず、ダンスも止まらない。
愉しげな忍び笑いが頭上にこぼれ落ち、「もちろん」と返された。
遠慮なく、キッ! と睨みあげる。心臓の爆走、再び。
「このあと」
「………………はい?」
何事もなかったように、涼しい顔で踊るパートナーに声が低くなる。それすら興に乗ったようで、ディレイは機嫌が良さそうだった。
「俺は、ゼノサーラ殿とも踊る。国を通した正式な打診と見ているから」
「……お気づきでしたか」
「普通わかるだろう。皆、そのつもりであの皇女に接している。『王はエウルナリア殿を愛妾に、レガートの姫を娶ることもあるのでは』と。勝手なものだ。国益には違いないが」
「……」
サーラ自身も。
おそらくは察している。誰も、何も言わないが皇族の姫がここまで婚約者無しなど、一般的な婚期が二十歳前であることを考えればおかしなことだった。
ただ、彼女の気持ちが薄れ、収まるのを、皇王夫妻はお望みだったのかもしれない。彼女の想いは父に向かってあまりに真っ直ぐで、眩しかったので。
(――何かしらの機会を。きっかけを、と思われたのかもしれない)
年の頃は釣り合う。
外交的な意味も。
ゼノサーラがウィズルに輿入れすれば、自ずとウィズルも平和的にひらかれる。
何しろ彼女は、北の大国白夜の頑健なる老王の外孫だ。たびたび私的に招かれるほど、溺愛の。
黙りこくるエウルナリアの耳に、ヴァイオリンの奏でる旋律がするり、と入った。曲の終盤だ。
「それでも」
「え?」
いつになく、情を滲ませた声だった。
反射でかれの瞳に見入る。見て、悔やんだ。見なければ良かった。
――――切なげなまなざしも、声も、受け止めるには。エウルナリアは。
* * *
つつがなく曲が終わる。
拍手とともに一礼。向かい合い、捧げ持たれた左手を引き寄せられ、衆目のなか、堂々と指先に唇を落とされた。会場に好奇のざわつきが走る。
デザイン上、そこは布地に覆われていない。
じかに触れる温もり。逸らしてはくれない視線に、止めのように気持ちを波立たせられて。
「皇女、いかがかな」
「――喜んで。陛下」
ちょうど、踊り終わりがアルユシッド達の目の前だった。ごく自然な流れで王が異国の姫を誘う。
ディレイとゼノサーラの定句。曲調を変えて奏でられるワルツ。
そっと、誰かの手が背の下、腰の辺りに添えられた。
グランではなかった。幼馴染みどのよりも、なお紳士的な触れ方。
「ユシッド様」
「嬉しいね。こういう時は、名を呼んでくれるんだ?」
「……それは」
「いいよ。ディレイ殿とは何か、話せた?」
「いえ、特には」
ぼんやりと話しつつ、アルユシッドの手袋越しの守護を感じながら。
「むしろ……話さなくともよかった、というか」
複雑な思いで、エウルナリアは王族による最初の舞踏に目を奪われていた。




