206 ファーストダンス(前)
――あれがレガートの……
――なんと、うつくしい。
――わたくし昼間、聴いたわ! 歌を……
などなど。
かなり聞き取りやすい囀りの波が、さぁぁっと左右に別れた。通路もホールも明るさに大差はない。
とにかく人が多い。埋められている。
通常時はウィラーク城の中央棟手前、一・二階部分の大半を占める巨大な空間だった。そこが、重厚感あふれる貴族の面々で、ちょうど良い広間と化している。
レガートと違い、男性は燕尾服ではなかった。それぞれの勲章を胸に飾る、古式ゆかしい騎士装束が基調らしい。
女性のドレスはその点自由で、形はさまざまだった。
ただし胸元は半分から四分の三、強調するように直に見えている。――この場合は見せている、と述べたほうが正しいのだろう。ウィズル女性の永遠の定番と言えた。
唯一、男女に共通するドレスコードは“花を飾る”ことのみ。
男性は胸に一輪。女性は主に髪飾りとして。
見渡す限りの豪奢な花園だった。絢爛たる宮廷びとの、年に一夜の気圧されるような華やぎがある。
向かう先、花蔦に飾られた大階段を、黒づくめのディレイが降り来ていた。
かれの声は特徴があり、よく通る。移動中の通路でも耳が勝手に拾ってしまった。
――――あのひとは。
(多分、大局的には私のことも口実に過ぎなかった。闇雲に戦を起こしたいわけでもなかった。……守りたかったんだわ。この国のひと達を。死なせないために早急に、他国の富を)
どうせなら覇道を、と。
ほんの少し、手にしてしまった王位に対し、自棄も混じっていたかもしれない。
それも、度重なる『出来事』や会話、協議で収められたと信じたい。
……僅かなりとも尽力ができたろうか。どうしようもない孤独を抱える『かれ』に。この国の民のために、と。思わず眉がひそむ。
(おそらくは焼き出されるように居場所を追われてしまった、あのひと達にも。どうか届きますように。なるべく、早く)
国境で出会った、アルトナに雪崩れ込もうとしていた人びと。「難民」と一括りにされた、かれらに。
気がつくと、両手を胸の前で組んでいた。
「――エルゥ、手」
「ん」
なかなか動かない少女に焦れて、グランが左手を差し出した。やや半身を傾け、囁く。
互いに唇だけの動き。まなざし。それだけで通じる。
信頼する騎士どのに右手を預け、ほほえみを携えて。エウルナリアは、まずは一歩。
ホールを満たす光と、貴族らの視線の前へと進み出た。
* * *
エウルナリアの元に、王その人が歩み寄った。ホールの奥側。アルユシッドとゼノサーラも並び立っている。
儀典官の奏上は続いている。次々に訪れる賓客らを係の者が誘導し、順次、上座へと移動していった。
ふと、緩やかな四拍子が三拍子へと転じる。その瞬間。
「そう言えば、踊るのは初めてか。一曲、お相手願えるか。エウルナリア?」
すでに何度も触れた、将軍を務めあげた大きな手。躊躇いはなかった。
「喜んで」
放される、グランの手。見送る三対の瞳に見守られ、エウルナリアはディレイの腕に委ねられた。




