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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 選ぶのは

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205/244

205 戦の裏、表の宴

「や。ここ、いいかな」


「え……?! アルム様!!」


 コンコン、と行儀のよいノックのあと、なぜか軽装の歌長(うたおさ)が現れた。

 レインは慌てて寝台から起き上がろうとし、ご多分にもれず、「(いっつ)ぅぅ!」と叫ぶ。


 おやおや、と眉をひそめてから、アルムは思い出したように扉側を振り返った。「では、私はこれで」「あぁ、案内ありがとう」と短い応酬が聞こえる。


 どうやら、城の侍女に連れられてここまで来たらしい。またしても枕に突っ伏す羽目になった少年は痛みを堪え、ぐっと声を振り絞った。


「どうして……。宴は? 出られないんですか?」


「うん。元々、私がここで歌うこと自体、予定になかったわけだし。エルゥの機転とディレイ王の采配のおかげで、思いがけず共演ができた。

 ……満足だよ。こちらの陛下は、もちろん快く宴に招いてくれたけどね。尋ね聞く限り、今回の客層で私が立ち回るべき案件はなさそうだった。予定も詰まってたし。疲れを理由に丁重に辞退したんだ。明日、朝一番にトランペット奏者二人を連れて発つよ」


 だから、さすがに寝なきゃね、と、軽い調子で言い放つ。そうこうする間に寝台まで歩みより、側にあった椅子に浅く腰かけた。


 ちら、と瞬間、痛ましそうに視線を向ける。


「具合は」


「かなりいいです。賊の武器は、この辺りでは珍しい幅広の湾刀でした。状況からして、切るべきかどうか迷いがあったようで。……――いちばんの幸いは、それでしたね。出血のわりに傷はさほど深くなくて。

 思いの(ほか)さっくりやられましたが、『綺麗に切られてるから治りは早いよ』と、ユシッド様が仰っていました。

 指は動くんですが、ピアノは体全体を使いますし……。今年は、演奏は無理ですね。殿下からは、冬季休暇の終わる年明けから学院に戻るよう、ご指示をいただいています」


「そうか……。ありがとう。すまない」


 飄々としたアルムの、いつになく殊勝な態度と思わしげな顔色だった。

 腹の底から。

 柔らかなテノールに実直な(いたわ)りと感謝を乗せて囁かれると、同性のレインであってもどぎまぎする。


 それでなくとも、アルム・バード楽士伯はあらゆる意味で雲上のひと。名実ともにレガートを牽引する、得がたい旗頭(はたがしら)の一人なのだ。


 痛みを忘れ、あわわ、と少年は首を横に振った。


「いえ……! 当然のことをしたまでです。第一、あの方を(さら)わせるべきではありませんでした。僕の、完全なる力不足です。申し訳ありませんアルム様」


 ――あげく、この有り様ですから、と付け加えて笑う。



「う~ん……」


 アルムもつられて、困ったように(まなじり)を下げる。


 自分に。愛娘にまっすぐ向けられる灰色の瞳。澄んだまなざし。

 どこまでも、幼い頃から変わらない凛とした(つよ)さを滲ませて。


「何か……お話があるのでしょう? どうぞ」



 しん、と、周囲の音がかき消えた気がした。

 長年仕える(あるじ)の父と、寝台に伏せてはいるものの差し向かい。レインは淡く、しずかに微笑んだ。




   *   *   *




 同時刻。

 きらびやかなホールに王の来場が告げられ、集まった貴族らはざわめきを収め、中二階席に佇むディレイを見上げていた。

 かれの姿は、ゆるく弧を描く大階段の上にある。左手を腰に当て、悠々としたものだった。


 仮にも舞踏会。

 楽団は、城付きの者達がそれなりにいる。

 が、音楽の化身のような客分には、さぞ物足りなかろうな――と、若き王は無意識に苦笑を浮かべた。


 それが、本人が思う以上に傍目には甘く写り。


 さわ、と、一部の年頃の令嬢がたや、娘を持つ親世代が過敏に反応する。

 ディレイはお構いなしに口をひらいた。


「皆、息災に今年も、我らが国を建てた祖の偉業を崇め、ともに祝うために、よく集まってくれた。()()()()()()いざこざはあったものの、無事に乗り越えられたことを喜ばしく思う。先の王権は」


 いったん、言上を止めた。

 息を吸い、息を吐く。


 ――長かった争乱に、いたずらに散らされた命の多さに。因習めいた悪習に、良いように道を歪められた者達に。


 あらためて、弔いを。

 あらためて謝意を。


(もっと。早くに()てば)


 変わらない回顧。悔いに似た苦み。

 きゅ、と厳しい(おもて)にみずからを律する思いを込め、知らず、瞑目していた瞼を上げた。

 覗きこめば、存外にやさしい大地の色の瞳を左から右へと流す。

 ゆっくり。

 静まり返った貴族達の視線を、絡めとるように。


「多くの犠牲の上に、いま我らが立つことを、生涯。――……少なくとも、俺は忘れん。貴殿らも出来ればそうあってほしい。せっかくの祝いの席だ。これ以上は言わんがな」


 ふっと、薄く笑みを浮かべる。

 最初の苦笑とは明らかに異なる、すでに『個』としての(おのれ)など見限ったつめたさ。為政者としての凄みを滲ませるものだった。


(…………!)

 後ろ暗いところのある面々は、それだけでじわり、と圧を受ける。刃を突きつけられた錯覚に陥る。


 が、それも一瞬。

 王は、再び華やかに微笑(わら)った。


「ともあれ、今宵は大いに楽しむといい。貴殿らの健勝あってこそのウィズル。民の健やかさあっての我らだ。また、中々(なかなか)ない機会でもある。冬将軍に閉じ込められる前に、互いに実り多き時であるように。

 ――楽の音を。この日のために訪れてくれた客人(まろうど)らに道を開けよ。

 儀典官、奏上を。かれらを此処(ここ)案内(あない)せよ」





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