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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 選ぶのは

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203/244

203 ちょっとだけ

 コンコン、と扉が叩かれた。

 ――はい、と(いら)え、ドアノブを回しひらく。隙間から顔を覗かせたのは黒髪の美姫だった。


 ひゅうっ、と、無意識に口笛がもれた。見慣れた旋毛(つむじ)は複雑な編み込みに隠されて見当たらない。

 ちいさな、整った(おもて)を両側から彼女自身の髪が飾っている。夜色の髪は側頭部でゆるやかに編まれ、こめかみから顎のラインで一度たゆみ、うなじへと続いていった。


 耳の下から――おそらく真後ろまでは、薔薇の生花が挿されている。

 花弁のやわらかな白と、露に潤む瑞々しさ。漂う香気は楚々としたレガート風の衣装と相まり、少女をおそろしく引き立たせた。


 しかも。

 後頭部からふわりと肩にかかり、垂れるのは。


「…………やべ。エルゥ、もう誰かと結婚すんのかと思った。目が潰れる」


「!? まだしないよ? と、言うより潰れちゃだめでしょ。入れて?」


「あぁ、はいはい」


 驚きと呆れ。若干の憤慨に青い目を煌めかせた少女は、いつまで通路に立たせる気かと言外に騎士を責めた。

 彼女のなかにある、『自分だけの騎士』という甘えが心地よく、くすぐったい。同時に容易(たやす)く胸まで潰される。

(こいつ、俺とだけは絶対結婚しないだろうからなー)



  ぱたん。



「グラン?」


「ん?」


 彼女を室内に入れてやってから、やや身を寄せてカチャリ、と施錠する。きょとん、と呆けた表情を真顔で見下ろし、扉に押し当てるように再度後退させた。


「……なんで鍵しめちゃったの?」


「さぁ」


 エウルナリアは、やっぱり小さい。右手でドアノブ。正面に彼女。左手で扉に手をつくと、簡単に包囲網が完成した。

 一見のっぴきならない事態のはずが、どんな信頼の延長線上にあるのか、少女は小揺るぎもしない。

 さらに、落ち着き払って回想まで始めた。


「こういうの、昔もあった気がする……」


 ぱち、と、純粋に過去をさらうまなざしに、グランは吹いた。

 そのことにこそ、エウルナリアは慌てる。


「ちょっ……、あったよね? たしか、バード邸(うち)で」


「あぁ、あったあった。そういうこと」


 俯き、こつん、と額を落とした。俺だって甘えたい。

 残念ながら身長差がありすぎるので、額同士は合わせられなかった。彼女の見えない旋毛の辺りに容赦なく打ち付ける。


 よって、それは図らずも色っぽい絵にはならず、拳骨(げんこつ)めいた衝撃をもたらした。ついでに体重をかける。


「痛い。重い。退()いてっ」


「えー? いやだ。もうちょっと」


 ――もうちょっとだけ。できればもっと。


 そんな気持ちが、彼女の自由な右手首を捕らえさせる。うっとりするほどの熱。甘やかな匂いについ、顔を寄せそうになった。――ところで、後ろ頭を(はた)かれた。


  バシッ


「いってぇ」


()()()()()()、痛いですグラン。歩いて片手を上げて貴方をどつくのが、こんなにも苦労を要するとは思いませんでした腹立たしい」


「あー、歩けるようになったんだ?」


「歩かざるを得ないでしょう……!! エルゥ様、大丈夫ですか」


「平気。グランが“触りたがり”なのは、十歳の頃から慣れてる……」


「騎士の風上にも置けませんよね」


「うっせぇ。怪我人。引っ込め」



「「貴方が、歩かせたんでしょうが……!!」」


「……ぶっ」


 ぴったり同時。異口同音。

 揃いすぎるほど息の合った主従に、赤髪の青年は今度こそ破顔し、体を二つに折って腹を抱えた。

 存分に笑う声も似つかわしいほど、何となく城中、華やかな祝いの空気に満ちている。

 それもあり、最初にエウルナリアを花嫁と見違えた。


 体の下から、淡い光輝がこぼれるような錯覚を残して白いヴェールが揺れる。逃れる。

 あとを引いて波打つ黒髪が、「レイン」と呟く彼女を追いかけた。


 抱き合ったりはしない。

 触れることもない。

 それでも、視線を繋げて微笑みあう二人は紛うことなき恋人同士。



 ふー……と、とっくに笑いを収めて腕組みした騎士は、扉に背を預けて(しゃ)に構えた。


「いちゃつきたいかもだけどさ。時間だぜエルゥ。宴の間、エスコートは俺に任されてる。いい子で寝てろよ、レイン」


「……口惜しいやら、何やら……。じゃあ聞きますがね、グラン。貴方が僕の立場だったらどうです。寝てられますか?」


 ぎっ、と。

 睨みあげる灰色の瞳に機嫌を良くしたグランは、にこにこと答えた。


「ばーか。寝てるかよ。間違いなく起きてるね。で、帰ってきたエルゥに何しよう、とか。さんざん困らせたり弄ったり、泣かせたりで妄想を――」


「!! はいぃっ、そこまで! 冗談お終い! ね、二人とも。仲良くしとこう? 行くよグラン。ごめんねレイン。無理して動いちゃだめよ。深夜までは戻れないみたいだけど、絶対すぐ、戻るから!」


 逆エスコートよろしく、幼馴染みの騎士を引っ張ると、かちん! と解錠する。

 扉を開けたところで「あ」と、何か思い出し、たたっ……と戻った。


「これ」


「?」


 ずっと、左手に持っていた白木の小箱を渡す。


 軽い。

 レインがそっとひらくと、中には白い絹地になめらかな光沢。みごとな細工の刺繍紐が几帳面に納められていた。

 色合いは青と灰色(グレー)。アクセントに銀の幾何学模様。その色は。


 姫君は、名残惜しそうにほのかな笑みを浮かべた。


「街の、刺繍工房に行ったの。注文したらあっという間に仕上げてくれて。職人さん、すごかった。

 あの……また来たいな。ここ。色々ありすぎたけど。今度は貴方と歩きたいです。怪我が治ったら」


「…………はい。ええと……、ありがとうございます」


 束の間、ほのぼのと空気が緩む。

 口達者な従者が何も言えなくなったあたりで、通路からグランがエウルナリアを呼ぶ。それに、応えて。


 背伸びした姫君はほんの少しの逡巡のあと、目を閉じ、「行ってきます」と、少年に口づけた。




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