201 戦支度(前)
「兄様の本気を見たわ……」
「そりゃ、お疲れ」
ぱたん、と扉が閉められるのと同時に、唸るように声をかけられた。
とりあえず労ってみたものの綺麗にスルーされてしまう。『銀の皇女』と誉れの高いうちの姫殿下は、さらりと長い髪を靡かせて目の前を通り過ぎて行った。
ちなみにノックは聞こえなかった。
(何だろーな。流行ってんのかな、ノック省略型入室)
自分も、相手次第ではあるが率先して礼節は省くほうだ。
ーーこと、現在絶賛個室療養中の幼馴染どのに対しては。
ちら、と壁際の飾り棚に乗った、彫刻が施された時計の文字盤を眺める。午後六時過ぎ。窓からの斜陽はすでに勢いを弱め、宵闇の気配が近い。それらすべての要素を合わせ、ぴん、と来た。
「エルゥ帰った?」
「正解。ね、あんたも出るんでしょ? 宴。その恰好でいいの?」
「恰好……? あぁ、これね。いーんだよ、俺はエルゥの専属騎士だから」
「へぇ」
腰に手を当て、じろじろとひとを眺め見る皇女殿下には、グランの装いは今一つ面白みに欠けたかもしれない。白いハーフマント、白い手袋。控えめな金の縁取りがなされた黒の騎士服にはマント留め以外に大ぶりな装飾がなく、仕立てと生地の良質さのみで見映えを主張するもの。
それに、剣帯。
どれも正騎士の叙勲を受けたとき、レガートの国章入りの剣とともに授けられた、式典用の一揃いだった。「似合うだろ?」と肩をすくめると、「まぁね」と流される。
「で? 何なんだよ兄殿下の本気って。エルゥ絡み? やーらしーいねぇ」
「うっさいわね。……って、言い返せないのがつらいとこよね我ながら。凄まじかったわ。赤面しちゃうくらい。興味深かったからガン見してたけど、やめとけばよかったかも……」
「…………えっ」
あれだけ威勢の良かった小気味のよいアルトボイスが徐々に小さくなってゆく。どうも、本心らしい。
――そんなに? と、まなざしで問うと力強く頷かれた。ほんのりと頬が赤い。
(まじか)
意外……でもないか、と秒で考えを改め、ふっと吐息した。ちょっと瞬きして考えた後、すたすたと皇女に歩み寄る。
「何よ」
じり、と、やや腰の引けたゼノサーラが上目遣いに睨んできた。
特に圧はないが、傍らに立つとそれなりにでかい。いつも、ちょこん、としたエウルナリアの旋毛を見下ろしているので違和感が半端ないが、普通に女だな、と思う。ちゃんと美人だし。
――――ほんと、何でアルム様なんだ?
とは流石に言えず、脱力して苦笑いした。他人のことは言えない。
「何でも? ほら、座れよここ」
カタン、と、ちょうど近くにあった手頃な椅子を引き、正騎士に相応しい所作で指し示す。爽やかな業務用笑顔を浮かべてまでの、渾身の紳士対応だ。
「…………」
今度はゼノサーラが黙り込む番だった。
鼻の付け根にしわを寄せ、思い切り口角を下げる。
とびきり声を低めると、地を這うように呟いた。
「うっっっ、さんくさぁぁ……!!」
入室後の一声に、ほぼほぼ近い音程だった。
* * *
――何だろう。むずむずする。
「風邪かな……」
ぶるり、と肌を震わせて黒髪の少女が呟くと、周囲の侍女が色めき立った。
「大変! もう少し湯浴みなさいますか」
「あっ……、いいえ。大丈夫」
時間もないことですし、と微笑めばなぜか、ぼうっと顔を赤らめられた。
「どうしよ……同性とは思えない」
「あたしなんか、同じ人間とも」
「……」
早口で、色々と聞こえたが全力で聞き流した。
一階の浴室なので外の景色は窺えない。しかし、とっぷりと日が暮れれば、そこからが城の宴という。王が私的に招いた客人として、これから大いに人目に触れねばならない。
面倒、ということはない。むしろ歌うこと以外で立ち向かうべき、大切な戦場だと思っている。
なので、装い一つとっても鎧となり、武器となりうる。エウルナリアは静かに気合いを入れ直した。
「風邪ではありませんわ。ご心配には及びません。貴女がたに、たくさん手伝っていただいて申し訳ないのですが……。
次はどうします? 衣装は、一応私が用意したものもありますが」
にっこりと笑い、率先して身支度に臨んだ。




