200 アルユシッドの告白
「お帰りエルゥ。無事で何より。花飾り、綺麗だね。こっちに来て、よく見せて?」
「はい」
お小言を貰うかのような緊張感から解放され、ほっと一息。エウルナリアは「失礼します」と断り、皇女の前を素通り。皇子の元へと歩んだ。
「手にとってご覧になります? 街で……花市で結っていただきました。すごく上手なひとで」
「だろうね」
アルユシッドの長く、器用そうな指が黒髪に触れる。ソファーに腰掛ける皇子に対し、エウルナリアはやや中腰の姿勢だ。
髪の編み目まで見えやすいよう、前傾となっている。万が一倒れ込んだりせぬよう、自前の筋力のみで頑張っているらしい。
その構図に。
(エルゥ、毒……。それ、すっごい目の毒。ひょっとしてこの子、わかってないの? 自分の体型でウィズル風の衣装は、大概やばいってこと)
多分に呆れを含んだ半眼となり、皇女ゼノサーラは深々とため息をついた。
兄が紳士なのは鉄板で、もはや一ミリも動かぬ事実。ゆえに、女性の胸元がどれほど魅惑的でも視線を固定したりなどしない。たとえ、それがすぐ目の前にあろうとも。
――――が。くどいようだが、その構図は。
(……この気楽さで、よく無事に帰って来れたわね。ディレイ王から……)
妹のまなざしを他所に、アルユシッドとエウルナリアは至極大真面目な顔で、えんえん植物談義に興じていた。
二人のそういう温度感は似通っている。
ちなみに、自分がすすんでアルムの胸に飛び込むことについては棚上げしている。
* * *
「えっ! じゃあこれ、花ではないんですか?」
「そう。実際の花は、この丸いもの――鱗の集合体みたいな苞の一枚一枚の内側に、埋もれるように咲く。見たことないかな、黄色いの」
「あぁぁ……、あります。きちんと眺めたことはありませんでしたが、なるほど。花びらではなく『苞』というんですね? 本当の花の保護のためにあるんでしょうか。不思議ですが、納得です」
うん、うん――と、感心しきりに頷く少女に、アルユシッドは柘榴色の瞳を細めた。「じゃ、本題ね」と呟くと、珍しく悪戯じみた行為に及ぶ。
「きゃっ?」
「! あらら……」
黒髪の花房を引かれ、姿勢を保てなくなった小柄な体がぐらりと傾いだ。
体勢としては、大胆にもエウルナリアが皇子の膝の間に入り、身を委ねているように見える。
小さな悲鳴はエウルナリアの。
暢気な感嘆の声はゼノサーラのものだった。
「殿下……ッ、お戯れですか? らしくないです。おやめください」
「『らしい』? 私が? おかしいな。きみはそこまで断じられるほど、『私』を知っていたっけ」
「あ、…………う」
身を捩り、立とうとするエウルナリアをやんわりと押し留める腕は確かに知らない力強さで、思わず声ならぬ声がもれる。
妹姫は、しらり、と真顔で述べた。
「兄様。わたし、席を外しましょうか? 忘れてたけど、エルゥが義姉になったっていいんだわ。むしろ、そっちのが大歓迎」
「サーラっ!」
「いいや? そこに居ていいよ。特に何をするわけでもないから」
――――何って、なに?
なんてこと。
非難の呼びかけも虚しく、今まさに両者から弄られる自分をそっちのけに、銀の兄妹の会話は成立していた。
いやいやいやいや、と、全力で突っ込みたい。エウルナリアは慌てて面をあげた。互いの鼻先が触れそうなほどの至近距離から、妙に真摯なアルユシッドの顔を覗き込む。
「殿下、私は」
「きみが好きだよ。エウルナリア」
「!!」
ぴたり、と腕のなかの抵抗が止まった。アルユシッドも余分な力を抜く。
ほろり、と、甘くほどけるような微笑を湛えてがんじがらめに。捕らえるように、ただ見つめて。
「よくよく考えたら、言ってなかったでしょう? ……好きだよ、エルゥ。きみを妻にしたい。アルムの思惑通り、将来的にはバード家の婿養子になってもいい。きっと、歌うきみの枷にはならない。より高らかに、今以上にのびのびと歌わせられるだろう。私なら」
「あ」
花房の、いちばん下の留め具に指を差し込まれた。
音もなく紐が落ちる。
するり、と三つ編みが解けて黒髪が広がった。右肩から胸元に、ゆるやかな扇状に。
豊かに波打つそれらを幸せそうに眺めながら、アルユシッドは『らしくない』と姫君に評された悪戯の手を緩めなかった。
――それはもう、悪戯でも何でもなくなっていたのだけど。
左手で彼女の腰を。右手の指で彼女の自由になった髪をひとすじ、絡めながら。
エウルナリアは、自身に口づけされるような錯覚でそれを眺めていた。
“有無を云わさぬ優美さ”というものがこの世にあるのを初めて知った。
長い、銀色にけぶる睫毛がわずかに上げられる。
容赦なく見つめられ、不覚にも震えた。
「花言葉。千日紅は『色褪せぬ愛』だけど。どうかな。私ならきみに、真っ白な薔薇や香り高い百合を贈りたい」
「…………殿下」
さらり、と指から髪が逃れた。
もとい、かれの唇から離された。
「それね。『殿下』呼び、本当はずっと、好きじゃなかった。でも、いいよ。もういい、許そう。きみは、素のときはつい、私をそう呼んでしまうみたいだから」
ふふっ、と小さく笑われた。
そのまま耳許に唇を寄せられる。
「……呼び方は何だっていい。気がついたんだ。その声で。そのときの気持ちに応じて、素直に求めてくれるなら。私はいつも、全身全霊できみを求めてる。
愛してるよエルゥ。私は、きみを選ぶ」




