20 荒野、二騎
今からおよそ、千二百余年前。
この大陸は、西の一小国に過ぎなかったレガートが輩出した一人の王によって、悪夢のように呆気なく、瞬く間に統一された。画期的な軍事面における改革を成さしめたためだという。
“火薬”と称されるものは―――もとは、かの小国の善良な研究者が開発したものだった。
曰く、皆の目を楽しませる“花火”なるものを作り出すため。曰く、国土を埋め尽くす荒れ地での開墾の一助になればと。……だが、時の王はそれを見逃さなかった。
『我が国は、土地そのものがひどく貧しい。…早急に富を得ねば、飢え死ぬ民は助けられぬ』と。
数少ない大レガート帝国初代皇帝にまつわる逸話である。むろん、それらをすべて鵜呑みにしているわけではないが――…
砂色の長い髪を背に束ねた青年は、どこか憂えた視線を地平の彼方に投げ掛けながら呟いた。
「…いささか、同意したくもなるな。我が国の惨状を見るにつけ」
「王? 何か仰いましたか」
「なにも。…戯言だ。で? アルトナから学者を招いて土壌を調べさせたろう。どうだった」
「はっ…!」
参謀らしき五十代後半ほどの男性が手元の紙束をパララ…と、めくる。
やがてぴた、と止めて「――これですね。要約いたします」と、報告書らしきものに目を通し、時に無駄な箇所を省いて読み上げ始めた。
青年王は馬上にて、黙ってそれを聞く。
乾いた空気。照りつける日差し。ただ熱いだけの風に砂塵が舞う。
日はまだ高く、見はるかす限りの荒野。ひび割れる大地を蹄が駆ける振動は常に身体を揺らし、身に付けた武具や簡易鎧をガチャガチャと鳴らした。
やや速めの並足。さして速いとも思えない――ゆえに、参謀の男性が馬上で平然と書類を読み上げることには何の感慨も起こらない。
その頻度が少し減ったことから、内戦中より少しはましになったか、という程度だった。
―――ここは、安穏と茶など飲める王宮の執務室ではない。二人は旧西ウィズル領の砦の一つを視察し、今また次の砦へと向かうところ。……砦を預かる小領主の思惑をよそに、周囲の民の様子をつぶさに観察しながら。
青年王――ディレイは、愛馬の手綱を握りつつふっと息を漏らした。並走する部下に向けて軽く左手を挙げる。
「ご苦労。もういい」
「……畏まりました。如何なさいますか」
「どうもこうも。件の学者には、けちらず報奨を与えよ。……役には立たなかったがな」
「はっ」
かしづく部下に、青年はちらりと茶褐色の視線を流し、唇を歪めて微笑った。
ウィズルは貧しい。まず天候と国土が徹底的に農耕に適していない。
ゆえなく東のアルトナを長く属国にしていたわけではない。国土ばかりがだだっ広く、潤いの欠片もない大地は、とかく実入りが少ない。
それでも何とかやって来れたのは、金や鉄鉱石、石炭などの資源が豊富だったためだ。だがそれも――枯渇し始めている。
(そもそもの計画性がなさすぎだ。国家の運営に行き当たりばったりも良いところ。挙げ句の果てには財の私有化……まったく、前の王族どもには反吐が出る。軒並み、討っちまったが)
それこそ、その妻子或いは係累まで。
自分は昨年、機を得て躊躇わず処断した。
それが最適でありながら、今まで誰も成し得なかったからだ。―――養い親だった、前将軍ですら。
養父は、理不尽な命に従わなかったからと前王に、不当に処断された。
今は既に、この手で刺し貫いた狂った王。
本当に、もっとまともな“代わり”がいれば……
「…何もわざわざ、俺が王に立つ必要もなかったのにな」
ごく小さな呟きだったが、傍らの男は耳聡く反応した。
「………王! まだ言ってらっしゃるんですか? 妙なところで謙虚なんですから…諦めてこのまま“ウィズル王”としてその身を納めてください。貴方の代わりは何処にもいない――――
…そうそう。お妃も選ばないと。臣も民も納得しませんよ、救国の英雄で見目よい若き王である貴方が、何時までも独り身など……? 王…ディレイ、様?」
男は、ふと怪訝な顔で揺れる馬上から隣を窺った。―――ディレイが、満面の笑みを浮かべている。
実に珍しい光景につい、絶句する。そして、はたと気づいた。
「……どなたか、意中の方でも?」
「まぁな。あれなら、お前たちも民もこぞって熱愛するだろう。うら若き、やんごとない天使のような令嬢だ。声もいいし、おまけに気が強い。……うん、あれを手に入れるためなら、多少の人の道は外してもいいな」
「…何やら…物騒な物言いをされましたが、そうですか。それほどの……どちらの令嬢か、お伺いしても?」
こわごわと男が訪ねる。かれにとっては、主が嬉々と目的を定めたときこそ恐ろしい。
その心を知ってか知らずか、ウィズルの青年王ディレイは、実に良い笑顔で―――たった一人の、外つ国のうるわしい少女の名を口にした。
「レガートの歌姫、エウルナリア・バード……そうだな。あれが傍らにいれば、俺も少しは気が晴れるか。…よし、さっさと視察を終わらせよう。帰城次第、動く―――来い。置いて行くぞ」
「えっ?!! は、……はい。直ちに!」
並走する二騎は、速めの並足から正しく速度を上げ、以後口をひらくことなく次の目的地へと荒野を駆けた。




