198 花選び。たそがれるまで(5)
意外だった。
彼女は、食べ歩きの場ではすんなりと街に溶け込める才覚(?)の持ち主らしい。
認識を改めたディレイは、ふっとまなざしを緩める。
「祭りの寿ぎの件だが。昔から十代半ばほどの娘になら『愛し子』と呼びかける傾向はあった。俺がいたから、あそこの売り子も堂々と『女神』とは呼べなかったんだろう。
安心しろ。断じて子どもじゃない」
「……ディレイ。そこは、歴とした子ども扱いで私を安心させていただきたかったです……」
一体、どんな根拠を思い出されているのか。やたらとキッパリ言い切られ、少女は力なく反論した。
青年は飄々と肩をすくめて見せる。軽い。
「できん相談だな。偽るつもりもない。こんな場で言うのは何だが」
「言わなくても結構ですよ?」
ぴしゃりと遮る。
酔ったエウルナリアは、実は辛辣でもある。
このことを知るのは、レガートのごくごく近しい一部のみ。
もっと言うならば、甘える相手は幼いときから側にいてくれた従者だけ。それは、当事者のみが胸に秘める事実だった。
四六時中、ともに居られるわけではない。
こうして今、側にいられずとも変わらない。
かれは揺るがない。
が、ディレイもまた、動じなかった。
ふわりと笑む。泰然と構えて食事のペースを遅らせると、目の前の少女の鶏肉が減るのをゆっくりと待った。
二人、ほぼ同時に完食。
串以外を腹に収めた王は、残りの麦酒をぐっと飲み干す。
次いで、同じく空に近かった少女のカップを奪うと、底にあった多めの一口分を含んでしまった。
「あ」
取られたワインを追いかける形になったエウルナリアが、切なそうに眉をひそめる。
飲みたかったのに。
非難めいたまなざしに、青年はしれっと「なるほど、甘いな」と唇を歪め、煽ってみせた。
* * *
カチャ、と二つのカップを重ねて購入した屋台へ。返却口、と書かれた木箱にそれらを放り込むと、ぱりん、と割れた音がした。
エウルナリアは首を傾げる。串は定められた場所に捨てている。
「割れてしまいました。宜しかったんですか?」
「構わん。祭り用に大量生産された脆い器だ。洗って使うのは間に合わんほど出ているし、そもそもの水が貴重なんだ。かと言って、器の使い回しなどもっての外だろう」
「…………ですね」
ぼんやりと、思索に耽りがちな青い瞳はいつも以上に光を湛えて揺らぐ、湖めいている。
(酔わせても、な)
ディレイは苦笑した。
もっと飲ませても良かった。千載一遇の機会ではあったが、善からぬ考えを実行に移すには、立てた誓いが邪魔をした。
『無理に奪うこと』に、もはや大した意味はない。そこまで入れ込んでいる自覚もある。
――――『女神』。
伝承の存在に準えて何ら遜色のない容貌。類稀な知性に、時おり見せる鋭さ。大抵は日だまりのような、春の湖沼のごとき麗かさ。
――……けれど、欲しいのは見てくれでも、希少価値の高い宝石のような、こいつの出自でも能力でもなかった。
生身のこいつだからこそ欲しいのだ。
それは、心ごと。
今は他の男にしか明け渡されていない、柔い場所も。深奥に隠されている、だれも見たことのない彼女自身も。
名前をつけて分類する必要など、どこにもない。
何もかも、すべてを。
* * *
「……さて、そろそろ行くか。とりあえず石細工の個人工房と刺繍職人の大店、どっちがいい? 土産も選べるぞ。大昔の地下水路跡なんかもあるが」
「えっ! 水路跡……!? 入れるんですか? 選ばないといけませんか??? 可能なら是非。あっ……、どれも見たいです!」
俄然、きらきらと輝きだした瞳。喜色にあふれんばかりの彼女は、陽光を弾く、さざめく川の水面と見紛うほど眩しい。
空を仰ぐ。
日は、まだ中天を過ぎたばかり。
よもやまさか。『街歩きの供』は、俺のほうだなと、青年は晴れやかに笑った。
「……何とかは、なるだろう。辻馬車も駆使すれば。ただし、疲れたらちゃんと言え。宿で介抱してやる」
「意地でも言いませんし、平気です」
ほろ酔いで笑う美姫は、すでに臨戦体勢。それすら愛おしい。
彼女のためだけに手段を講ずる。
然るに、手を伸ばす。刻限の訪れはきっと、おそろしく速いので。
からめた指をそっと引き寄せた。
降り初めた淡雪のような、ただただうつくしい存在を腕に抱き、たおやかさを味わう。小言は聞き流す。
……なに、髪が乱れる? 阿呆だな。乱すために結わせたのに、と、殊更甘くほほ笑んで。
その一連に喜びを感じつつ驚き、心踊らせてしまう。
――――およそ、らしからぬ自制と衝動のさなかに、王位の安泰でも国の明るい未来でもない。叶うならば、心底酔わせて『俺』だけを望ませたい女がいる。
かみしめる。本当は手放したくなどない。
羽衣があると言うなら伝説のとおり、天に帰れぬよう切り裂いて、奪ってしまいたかった。
体を奪って、心が得られるなら。
(…………)
ほんの一時、目を閉じて渇望する。
“ずっと欲しかったもの”が、ここにある。




