197 花選び。たそがれるまで(4)
「ディレイ。『神々の愛し子』というのは、お祭りの期間ならではの呼称ですか?」
「? あぁ、さっきのか」
黒髪に花を飾った少女が、真っ直ぐな視線で問いかける。すとん、と傍らに腰を落とし、見上げる瞳は星を宿す青。
青年の答えは中途半端なところで止まった。
* * *
昼食をとるため、花市から離れてしばらく。
夫妻に見送られた二人は数件の屋台を廻り、各々好みの串焼きと飲み物を確保していた。
さほど酒に強くないエウルナリアは、葡萄酒の果汁割りを売り子の男性から勧められた。
その際、言われたのだ。『よい祝い日を。神々の愛し子!』と。
問われたディレイは広場の石の階段に腰掛け、同様に大きな串焼き肉と麦酒を抱えている。素焼きのカップには芳醇な泡が立ち、独特の苦味を感じさせる香気が漂っていた。とりあえず。
ごく、ごくんと、まるで水のように飲み、喉を潤わせる。
人心地ついたディレイは、再び口をひらいた。
「そうだな。一般的には子どもに対して使う。察しのとおり、祭り期間中だけの呼び方だ。寿ぎの一種だから」
「子ども」
エウルナリアは、精霊じみた美貌に似合わぬ驚愕の表情を浮かべた。
ワインの果汁割りを口許に運ぼうとした繊手が、ぴたりと止まる。
「子ども……に、見えたんでしょうか」
肩を落として呟くと、遠慮なく吹き出された。
思わず、ムッと顔をしかめる。
それすら何らかの衝動を催させたらしい。青年は麦酒をこぼさぬよう、呆れるほど強靭な精神力を発揮して体の震えを抑えていた。
結果、大変上手に笑いを噛み殺している。
エウルナリアは静かに切れた。
「……もう。いいです、子どもで。貴方もそのように扱ってくださいね。むしろ、そのほうがずっと安全だわ」
言うや否や、かぷ、と串焼きにかぶりついた。自棄だ。
もぐ、もぐと無心に咀嚼していると、表情の読めない御仁と目が合う。喋れない。
こくん、と嚥下し、斜め下から流し見た。
それでも、なかなか話しかけられない。
気まずさに耐えかねたエウルナリアは、渋々口をひらいた。
「何か?」
「『女神』」
「……………………は?」
充分すぎるほどたっぷりと空けられた間を気にも留めず、ディレイは左手の重たげな串焼きを頬張った。
角切りにした牛肉を炭火で焼き、ハーブを効かせた調味料を絡めてある。言うなれば“本格ステーキ串”は、見るからに美味しそうだった。仕上げに爽やかな匂いの柑橘類も絞られている。
ほどよく熟成された肉。甘く香ばしい、絶妙な焼き加減。エウルナリアの鶏肉もそうだが、燻された煙をふんだんにまとう、屋外調理ならではの味わいは堪らないものがあった。
(あ、それも食べちゃうんだ)
添え付けだろうか。ディレイの串には何か、赤っぽい実も刺してある。それも小気味よく平らげてゆく。
――――このひとの、素の食べ方はグランと似ている。
エウルナリアは城に置いてきた健啖家の幼馴染みを思い出し、口許をほころばせた。
連れの不機嫌が直ったことに気づいたディレイは、改めてじっと彼女を見つめた。
ふと、頬に口づけするような気軽さで肩を寄せ、ついでとばかりに耳許で囁く。
「……女神、と。一晩でも一生でも、“お相手願いたい”ほどの美人と出会えたら、男ならまず、そう呼びかける。伝承で、戯れに地上に降りて来て、そのまま時の王の妻にされてしまった女神がいたから。羽衣を盗られて」
「羽衣の妃……。あ、知っています。ウィズル建国王朝にまつわる伝説の一つですね? 諸説あって、隣国アルトナの大地女神とも同一視されていますが。御名はたしか、シェールラーン妃」
すらすらと知識の総さらいを始めた少女に、ディレイは何とも言えない笑みを浮かべた。
「そのようだな。しかし、そろそろ飲んだらどうだ? 旨いぞ。ワインの果汁割り」
「あ、はい」
そうそう。そうだった――と、手元に視線を戻す。
器を傾け、こくん、こくんと喉を鳴らすと口のなかに甘みが。鼻先に酒精が香り、身体の芯に熱をともした。胃がぽかぽかとする。
シナモンだろうか。少し、香辛料の味がした。葡萄らしい酸味と蜂蜜の風味も相まり、ついつい進んでしまう。
飲んでから気がついた。
間違いない。これは、あっという間に酔える。すこぶる危険な飲み物だと一瞬で判断する。
が、時すでに遅し。
勢い余って半分ほど飲み干してしまった少女は、見るからに目許をとろん、とさせていた。
さすがのディレイも思案げに覗き込む。
「大丈夫か? そこまで酔いやすいとは……、すまん。気がつかなかった」
「いえ……。つい、美味しくて。急に飲んだ私がいけませんでした。
でも、受け答えはできますし。移動も。こちらを食べ終える頃には、きっと大丈夫。歩けますよ」
にっこり。
どこかおっとりと、まだ焼き鳥が三分の二ほど残った串を顔の高さまで掲げて見せる。
お茶目な仕草に反して、表情は品のある笑顔。
酔っているせいか、全体的にのんびりとした決意に満ちており、箱詰めで育てられた深窓の令嬢というよりは、本当に市井の娘のようだった。
――ただ、ちょっとばかり育ちの良い。




