194 花選び。たそがれるまで(1)
どうして屋台が昼前にもかかわらず、準備中だったのか。エウルナリアはようやく合点が行った。
「花が、大量に降って来るからだったんですね……」
ぽつり、と呟く。声は雑踏に紛れた。
* * *
二人は再び通りを歩く。
今度は隣同士、並んでいる。
今や、街は華やいで壮観の一言に尽きた。遺跡じみた地形に建つ古の石の都は、瞬く間に『花祭り』の二つ名にふさわしい姿へと変貌を遂げている。
元々、冬季以外は極端に雨量の少ない地域と聞く。にわか雨に打たれて花が痛ましい事態になる心配もないのだろう。
かなりの力業だったが、通りも屋台の屋根も、目に優しい、うつくしい色合いの花びらで埋め尽くされている。
頭上を飾っていた色布はそのまま片側の屋上から垂れ下がり、灰と白の景観を祝祭らしく、あざやかに彩っていた。
さっきまでと違う点は、あと一つ。
金のエンブレムに縁取られた、交差する剣の意匠があちこちに飾られている。
下方に泉。天に伸びて剣を絡めとる蔦。――上方は鷹だろうか。
エウルナリアは、手を繋がれたままのディレイにそっと訊ねた。
「あれは貴方の……、新王家の?」
くんっ、と手を引かれた青年は、さして興味を惹かれた様子もなく彼女の指し示す方向を確認した。高架に垂れた橙色の布に重なり、はたはたと王旗が靡いている。
吐息する。
心底、どうでもよさそうに話し出した。
「だな。俺個人には、あまり意味がない。内乱時は元からあった将軍家の家紋を使っていたし。あれは、前の王家を倒した時に『新たな象徴を』と声が上がったから容認したまでだ。
信じられるか? 各貴族家の名前と由来、家紋を完璧に諳じる奴らがいて。即以後も、やれ仕来たりがどうのと、煩いことこの上ないぞ」
「……あのぅ……。主だった王家と自国の貴族、大国の主要貴族までなら私も、成り立ちを含めて暗誦できます。儀礼一般。紋章もだいたい……」
声が、だんだん小さくなる。
ウィズルの新たな王旗は、ウィラークの城門以外では初めてお目にかかりましたが――と。
申し訳なさそうな語り口で、エウルナリアは緩やかに微笑んだ。
ディレイは街娘に扮する美姫を、まじまじと凝視する。
「……物好きだな。趣味か?」
「『趣味』。んんん……、そうかもしれませんね。幼いときに学んだ家庭教師の先生が、各国の歴史や政治体系に、たいそう詳しいかただったので」
こてん、と首を傾げる様子には、気負いも偽りも何もない。
確かに、年頃の娘の好むものとは言えないかも……と、ふんわり笑み深める。
ディレイは呆れたように嘆息した。
「なるほど、奇特だな。まぁ、今となっては役に立つ知識で羨ましいと言うべきか」
「あら。国を治めるためには、こういったことも必要でしたか?」
おっとりと笑うエウルナリアに、ディレイは軽く肩をすくめる。
「あれば、な。面倒だが、体裁を整えることも必要なんだろう」
――――――――
通りに満ちた賑やかな喧騒。そこかしこで人が行き交い、見知らぬ者同士でも笑み交わしている。
『花ふるまい』の効果もあってか、かれらは一様に明るく、のびのびとしていた。
皆、思い思いに今日の祝祭を楽しもうとしている。
“王とよく似た青年が、恋人を伴って街歩きをしている”、と。
並び立つ二人は幸い、建国祭のめずらしい景色の一部として周囲に溶け込みつつあった。
関心の高さはそのままに。好奇よりも、あくまで好意的に。
その変化はやさしく、心地よく。緊張の一線を抱えたままだったエウルナリアの心を、徐々に解きほぐした。
* * *
「お嬢さん、別嬪だねぇ……!!」
「すまんな店主。水揚げのよい、今夜いっぱいは色褪せん花飾りはあるか?」
「へぇ、もちろんです!! へい……か、じゃないっ。旦那!」
「…………」
ぎりぎりアウト。今、このおじさん『陛下』って言いましたよね……?
微妙な顔色のエウルナリアを置き去りに、あくまでも商家を営む青年を装うらしいディレイが店頭で花を選んでいる。
店主の男性は、脇をご内儀らしい女性から肘打ちされ、痛そうに呻いていた。
(あらら)
心配で眉をひそめる少女に、どうやら肘鉄の名手らしき女性がきらり、と目を光らせる。すこぶる笑顔だ。
「さぁさぁ、お嬢さん。いくつでも選びなよ。好きな色はある? 好きな種類とか。うちはね、山間部を牛耳ってる業者の花なんか仕入れちゃいない。裾野の、自分家で丹精込めて育ててんだ。ほら」
気っ風のいい女性が、板を渡しただけの即席カウンターから、さっと身をずらした。
どっしりとした安定感のある体躯の向こう側に、まだ髪留めやブローチなどに細工されていない生花がたくさん咲いている。木桶に張られた清水に浸けられ、蕾が多い。虫食いもなく、良い状態だ。
他、数本の鉢植えもある。
「あの……『細工』というのは? 扱いやすい長さに切って、蝋で固めたりするんですか?」
一を見せれば十理解したらしい少女に、花屋の奥方も満足そうに頷く。「そうそう」と早口で述べると、彼女の左側で脇を抑え、なお踞る主人の背をバァン! と叩いた。
「うっ」
「この人がね、こんな形してるけど器用でさぁ。ご覧? ここに並べてあるのは全部、この人の手技だよ」
「すごいですね……、とても綺麗。こっちの竜胆も秋薔薇も。でも……うぅぅ…………うん?」
ちらり、とカウンターの奥と隣を順に窺った。
当たり前のように、砂色の髪の御仁と目が合った。




