191 五人目の求婚者
「わたしも、行きたいわ……」
一見、しおらしげに銀の髪の少女は呟いた。もの言いたげな半眼となったゼノサーラは、ちらちらと窓際を窺っている。
物思いに耽るかれは微動だにせず、振り向かない。
開け放した窓から、そよ、と風が入る。
眼下の庭はひとの行き来が多い。夜から始まる建国の祝宴のため、城のなかはフル稼働。大わらわだった。
アルユシッドは姿勢を変えず、たいそう穏やかな口ぶりで背後の妹を諭す。
「もちろんだめだよ、サーラ。わかってると思うけど。エルゥの場合は既に言質をとられた特殊なケースだった。目下、次の臨時大陸会議の焦点となるだろうウィズルの“鷹便”を、二羽も飛ばさせたんだからね。何の算段もなく」
「わかってるわよ」
つん、と拗ねたようにそっぽを向く。
顔を向けた先では、件の鷹によって奇跡の合流を果たしたレガートの歌長、アルムが椅子に掛けていた。
すっかり平服に着替えている。神話めいた時代の古謡のためにまとっていた裾の長い衣装は、円形劇場の控えの館で脱いでしまったらしい。ここ一番の本番を終えてしまったこともあり、本人は気楽で、とても寛いで見えた。
「それについては、ちょっと……エルゥも迂闊だったよね。相手が心底、自分を欲しがってることを甘く見ている節がある」
「教育不足よ」
「まこと、遺憾な限りです殿下」
「ふざけないで……!」
ばん、といささか乱暴にゼノサーラは卓を打った。
おや、と流石にアルユシッドも後ろを振り返る。
「サーラ」と窘められても苛立ちが納まる様子はない。紅色の瞳を爛々とさせ、たっぷりじろり、と三秒ずつ、二人の男性を見下すように睨み上げた。
「遺憾どころか。不甲斐ないにも程があるわ、歌長。兄様も。エルゥが昼日中からどっかの宿に連れ込まれて、あのディレイ殿に手籠めにされちゃってもいいの? 既成事実を作られないって保証が、一体どこにあるのよ」
「既成…………事実……」
「いや、それはないと思う」
「はっ? なぜ、そう言い切れるの。護衛がいたとしてもこればっかりは安全とは言い切れないわ。おまけに王の意向とやらで正真正銘、二人っきりだと言うじゃないの。馬鹿みたい。向こうの言い分をそのまま聞いちゃって……!」
妹姫の相次ぐ過激な発言に、つい口ごもるアルユシッド。(教育が行き届いてないのはこっちじゃないかな)という呟きは華麗に聞き流され、反論したアルムにさらにゼノサーラは噛みついた。
――親友>想い人。
ずいぶんはっきりとした優先順位に、皇女の心配を欲しいままにする愛娘の存在をかみしめる。
幼いころから、社交よりも音楽とともにあった。交友関係が極度に狭い娘にとって、彼女は得難い存在だ。人生の宝に等しい。そのことを嬉しく思う。
にこにこと目を細める歌長に、皇女は怪訝顔となった。
「……アルム?」
「大丈夫。確かにあの若造陛下はエルゥに首ったけみたいだけど、そこまで見境のない男じゃない。春の時とは違う。ちゃんと、エルゥ自身を“視て”尊重してる」
「どうしてわかるの」
「わかるよ。ね? ユシッド。きみもそう思うだろう?」
「……」
話題を振られ、珍しく渋い表情をしたアルユシッドが、見た目通りの苦々しさで答える。
「そうですね。ここに来て『五人目』だなんて。大番狂わせもいいところだ」
「五人?」
「エルゥの婚約者候補の数だよ」
「あぁぁ……、なるほど。ふんふん?」
ころり、と態度を軟化させた皇女はひどく納得した様子で頷いた。
ぱち、と悪戯な光を宿した双眸に、怒りの影はどこにもない。
やがて心からの同情を込めて、しみじみと兄を見つめる。
「それは憂鬱ね、兄様」
「黙ってなさいサーラ」
ぴしゃり、と、今度こそ白銀の司祭の異名をとる皇子が話題を終わらせた。
刻限。
日没。
まだ日は高く、正午前。いまは、どの辺りを歩いているのか――不穏で、不確定要素に満ち溢れたかれと。
具体的に考えると、やきもきと胸を灼かれる。その苦さとくるしさを柔和な美貌の下に押しとどめ、若き司祭は、飄々と座する歌長に視線を流した。
「男親にあるまじき余裕だと思いませんか、アルム。もっと、粘れば宜しかったのに」
――――従者でも騎士でも、仲間でもなく。
ひょっとしたら、彼女の婿となり得るのは、目の前に佇むアルユシッドではなかったのか。そう考えた日もある。
そんな内心はおくびにも出さず、アルムは微笑んだ。
「選ぶのはエルゥだよ。歌うたいとしての本分も、バード楽士伯家に生まれた意味もかなぐり捨てて、身を投じたい恋があるのなら突き進めばいい。そういう意味で、あの子が決断すべき時は『学院の卒業』と定めてある。
あと、一年と少しですよ殿下。結果は、まだわからないのでは?」
「…………貴方は、レインを彼女の夫にあてがうつもりで……、将来の片腕とするために育てたのかと。違うのですか?」
らしくなく動揺を見せたアルユシッドに、アルムはちょっとだけ考える仕草をした。
ふむ、と一呼吸置き、改めて答える。
「極論……。私は、エルゥが幸せになれる相手を選べば、それでいいと思っています。確かにこれからも歌姫として、外交を潤滑に進めるためにあらゆる舞台に立ってほしい。輝いてほしい。ですが、それはあの子の魂が“歓び”に満ちてこそ、初めて意味を為すものだから。
国は、絶対に傾けさせません。それだけの尽力はしてきたし、これからも。私を含む居並ぶ臣が、生涯、怠ることはありません」
何なら、と付け加えた。
「エルゥが嫁に出てしまうなら、あなたを『養子にください』と、陛下にお願いしてみましょうか」
「……それが最善で、国の礎となるならば吝かではありませんが。私だって、それなら余計にエルゥを妻としたい。いまは頷けません。司祭としての務めもありますし」
「でしょうね」
「~~……んんん、っもう! 恵まれてんだか、可哀想なんだか、だんだん分からなくなってきたわ。気の毒なエルゥ!!!」
しかも、ほんと呆れた。この男ども――と。
口を尖らせてぶつぶつと呟くゼノサーラは可愛らしく、妙にほっこりと場を和ませた。




