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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 選ぶのは

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190/244

190 わがままの代償

 ひんやりと乾いた空気に石畳からの反響。シャンシャンシャン……と遠く、鈴の音が聴こえる。

 わぁっ! と短い歓声のあと、五、六名の子どもらが脇を通り過ぎて行った。


「……あっ」


「危ないぞ」


 ふいに上腕を引かれた。

 たらん、と垂れた色とりどりの布が向かい合う建物の屋根を伝い、何枚も頭上に渡されている。

 風に揺れ、抜けるような空に彩りを添えるそれらを(ほう)けたように見上げていたときのことだった。


 とっさにバランスを崩してしまい、気がつくと、腕を引っ張った張本人にしがみつくように寄りかかっている。

(だめだめ。良くない)

 急いで体勢を立て直し、身体をしゃんとさせると、思いのほか真面目な顔のディレイに覗き込まれた。


「油断するな。あいつら、あぁ見えてスリだ」


「えっ」


 七、八歳くらいの子も混じっていた。上は十歳ほどか。小さな背の一団は、あっという間に人波の向こう側へ。

 みるみるうちに坂を下った先の小路を曲がってしまい、いまや影も形もない。


 さぁあ……っと青ざめたエウルナリアは、慎ましやかな街娘らしい刺繍付きワンピースに斜め掛けした革製のポシェットを確認した。――大丈夫。(ふた)はこじ開けられていない。


 ほっと安堵の息を吐きつつ顔を上げる。

 今度は、じぃっと茶褐色の瞳を見つめた。


「……何も、されてませんよ?」


「当たり前だ。()()()()前に俺が引っ張った」


「なるほど」


 神妙な表情(かお)で頷いた少女は、ちいさく礼を述べて身を離した。

 青年も「あぁ」と鷹揚に応じ、どこまでも泰然とした態度を崩さない。


 ひと目を引く砂色の長い髪は背に流したまま。濃い色合いの長衣の前(ボタン)は全て外し、粋に羽織って腰の長剣を目立たなくさせている。

 『ちょっとばかり羽振りのよい商会の、若旦那風を目指してみました』というよくわからない主旨(コンセプト)のもと、ほくほくとしたヨシュアが選んだ衣服の一揃(ひとそろ)いは以下の通りだった。


 藍色がかった、(ふち)に蔦模様の刺繍をほどこされた濃い墨色の長衣。

 同色のシャツ。

 灰銀のサッシュベルトにグレーのズボン。いつもの皮の剣帯。

 ブーツはなめらかな濃いグレー。

 なんということはない取り合わせだが、長身で手足の長いかれには、とてもよく似合った。


 筆頭内侍官どの会心の出来映えなのだろう。

 結果、着替えを終えたディレイは、本人も意図せぬ微妙な変装感まで醸していた。――つまり、かれを知る者も知らぬ者も、会えば必ず振り返り、凝視せざるを得ないような。


(全体的に“違和感”っていうか……もの珍しさではお祭りの景観を上回るのよね。格好いいんだけど。ちょっとチャラい………………気がする。遊び人風? ヨシュアさんって、意外にお茶目だわ……)


 それに素直に袖を通すあたり、とてもディレイらしい。『丸腰でなければ何でもいい』とまで言っていた。



 当たり前だが街中だ。身分を隠してのお忍びなので、王侯貴族然としたエスコートはない。

 城下で暮らす一介の民らしく、のびのびと振る舞うディレイは呼吸そのものが楽そうだった。普段、刃のように張りつめた硬質な空気が別人のように和らいでいる。(それでも、スリの気配にはあっさりと気付けるわけだが)



「――行くか。無制限に時間があるわけでもなし」


「あ、はい。そうですね」


 与えられた――あるいは()()()刻限は日没。そのあとは城で、レガート以外からも招かれた他国の賓客や、主だった貴族を交えての公式の宴となる。


 再度、広場に向けて歩き出した二人は、ものの見事に周囲からの強い関心と視線の嵐に(さら)された。

 面白いのは誰も『そのこと』に言及しないことだ。小声ですら呟かない。見ているのに、見ないふり。


 自国の王が、どこぞの少女を伴ってあからさまに“お忍び散策”を決行中だというのに。

 ――いや、()()()だろうか。


(また、いっぱい背びれ尾びれを生やした噂が本国(レガート)まで届くんだろうな……)

 こっそり苦笑いを浮かべると、めざとくディレイに見咎(みとが)められた。


「どうした」


「いえ何も」


 つん、と澄まして答えると、高い位置にある横顔がひどく穏やかに笑みを刻む。

 いとおしげに。



(……ずるいなぁ……)

 結局は、かれの思惑通り手のひらで転がされている気がする。

 こうして隣を歩くと、まるで本当に国もつとめも関係のない、一組の男女のようで。


 ひそやかに吐息をもらした少女は、今度こそ見つからぬよう、柔らかな黒髪を頬の横で揺らして(かぶり)を振った。




   *   *   *




「えっ……、エルゥ様が?」


「あぁ。うまいこと持ってかれちまった」


 城の南棟。

 窓からの日差しが角度を変え、光がやさしく目に染み入る室内で、レインが大きく目をみはった。


 寝台で、背にいくつもクッションを当てて体を起こしている。膝の上には小ぶりな花束と焼き菓子が入った水色の袋。


 グランからのノックや、入室の声かけは無かったと思う。

 開口一番、「よ。これ、手土産な」と、ぞんざいに渡された二品だ。

 袋には薄様(うすよう)の紙を折り畳んだ手紙が添えられており、筆跡からして差出人は主の少女と察せられた。(いわ)く。


「……“レガート・アマリナ両国への鷹便の代価として、陛下から街歩きの供をせよと命ぜられました。

 式典後、控えの館でえんえん対決しておいでだった父からは『(きず)のないお帰りを。勿論(もちろん)双方ね』と念押されていましたから”……」



 ――――たぶん大丈夫。行ってきます。



 締めくくられた文言(もんごん)には、残念ながら問題しかない。

 わなわなと手が震える。ついでに読み上げる声も、おそろしく低められた。


「『たぶん』って。……無理でしょ、絶対『大丈夫』じゃないでしょう…………?!」


 ぐしゃ、と手紙を丸めるわけにもゆかず、レインは寝台の上に勢いよく突っ伏した。背中の傷に(さわ)ったようで、「いつっ!! て、(いて)て……!」と盛大に呻く。


「完全同意だわー」


 赤髪の幼馴染みは、何とも言えない笑みを浮かべ、窓から外へと視線を投げかけている。




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