表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 石の都の花祭り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

188/244

188 花よりも(中)

 トランペットの残した華やかな和音の吹き伸ばし。その名残が消えぬ間に、エウルナリアはゆっくりと息を吸った。

 拍数を数えたりなどしない。すべて感覚だ。


 歌い始めるといつも、“己”が消え去る瞬間がある。

 と、同時にとても醒めた自分がいて、たえず耳を澄ませ、“場”を確認している。


 おかげで細かな強弱(ディナミックス)や音程、動作による演出は即座に判断できた。その緊張感も快いと感じてしまうのは、困った音楽家の(やまい)だよね、と、父はこぼしていた。


 若干呆れたように。(おおむ)ね、幸せそうに。





 リハーサルでも試した『旅の伴に。(はなむけ)に』は、家を巣だった子を思う母の歌だ。染み入るような旋律はエウルナリアの好むところで、歌い上げると純粋に気持ちがいい。


 幼い頃、南国セフュラの港湾都市で見た、本物の海。

 砂浜を寄せては返す、ゆったりとしたテンポ。息継ぎ(ブレス)を感じさせない独特の節回しと言葉のリズムにも、この曲の魅力はある。


 弧を描く、高い天井。

 反響し、循環する声を冷静に聴きながら、エウルナリアは『母』に関する記憶を探り――ちく、と針で刺したような痛みを感じた。

 今も首から下げている、胸元を飾るロケットペンダント。その絵姿のみを残して亡くなった母、ユナを思い浮かべて。


(想っててくださったのかしら。……お母様も。この歌みたいに)






 やがて、リハーサルの時よりもあっさりと最後のフレーズを終えたエウルナリアは、そぅっと瞳を開けた。


 ――居並ぶ人、ひと。皆、こちらを見ている。

 全方位ぐるりと聴客の壁であること。

 ざっと、かれら全員と視線で繋がれたことを確認し、改めてにこりと笑む。


 ほほ笑みを。

 歌を。

 私には、これしかないから。


(いまこの一時(ひととき)、あなた方に届けられるのはこの声だけ。せめて、それを残したい。明日へと繋げてほしいの)




   *   *   *




(……っ、……)

 歌の終わりを悟り、あわてた誰かが拍手をしようとした。

 そのぎりぎりの間合い。間隙を突いてアルムが一歩前へと進み出る。


 エウルナリアの隣に並び立つと、それまで抑えていた気配が霧散し、雄々しく華やいだものへと変わった。――三十路後半を越えてからと言うもの、歌うときの歌長はいつも()()


 黒髪の歌長は(さや)かに(こうべ)を上げると、左手を掲げた。おごそかに、神意を受けた王のように。


 柔らかな笑みを刻む口許からは、とある古謡(バラッド)に乗せたメロディーが流れ始めた。本来と少し違う。即興の歌詞だ。


“――かつて かれもまた 幼子であったろう

 名は知れず されど偉業を残せり”


”――かれもまた 時に故郷を思ったろう

 進む道筋 覇道のさなかで“


 エウルナリアが、すかさず応じる。

 やはり即興詞。同じ韻で。



(!)

 人びとは、一斉に夢から醒めたような面持ちになった。

 今の今まで歌姫(エウルナリア)の姿と声に絡めとられ、恍惚としていたものから“我”を取り戻し、ハッと打たれたような表情へと。


 ――現実味を帯びた故事になぞらえた、それに。



 歌長と歌姫の掛け合いは、しばし続く。

 男声と女声パートの配分も、本来の古謡からは幾分か変えていた。

 打ち合わせは昨晩、寝る前のわずか小一時間ほどだったが、流石(さすが)と言うべきか。


(息、ぴったりだな……)


 円柱の外側で、楽士服をまとったグランが内心、舌を巻いた。

 歌声もさることながら、二人の、聴客の心の掴みかたが絶妙だ。

 『これ』が皇国楽士団を率いる当代団長アルムではなく、ほぼ娘のエウルナリアの発案というのだから。


 ――初めての独奏(ソロ)を終えた高揚もあり、グランの心はこの上ない歓びに満たされていた。


 惚れている。

 惚れた欲目? 甘んじよう。このままずっと、彼女の歌に酔いしれたい。


(生きてる間中、結局は死ぬまで。俺は変わらない。やっぱり、エルゥ(こいつ)が好きだ)


 ――――たとえ、触れられなくても。


 想うことと、相手を守ることは両立できると(はら)の奥底で知覚した。たぶん、間違ってない。


 旋律が終わりに近づいてきた。

 トランペット隊は各々、目配せしあう。

(せぇ、の……!)

 年長者のベルの、わずかな上下動作。

 それだけで楽士らは、同じタイミングで相棒(ラッパ)を唇にあてがい、円形劇場の中央に向けて終幕のメロディーを添えた。


 グランのフリューゲル。トランペットのファーストからサードまで。計四名の、完璧なアンサンブルが後背からも人びとを包む。


 魔法のように。


 うっかり、今日が何の日だったかも忘れるほど魅了された聴客の脳裡に、まざまざと古レガートと称される時代の英雄が描かれた。


 音がきらきらと、光を振りまいて消える感覚。

 惜しむように、少しずつ。

 やがて唐突に、ドッ…………!! と、地鳴りと聞きちがうほどの拍手が鳴り渡る。止まらない。熱狂を含む、民の歓喜の嵐だった。


「……!」


 奔流のようなそれに身を委ね、未だ頬を紅潮させ、うっすらと汗ばむエウルナリアは、とても幸せそうな笑みを浮かべた。

 呼応するように熱烈な歓声が。口笛までが彼女に降り注ぐ。


 『……おつかれさま?』と、(ねぎら)うような微笑でアルムが娘の手をとった。

 心地よい疲労感。たしかな手応えを胸に視線を交わし、似通った容貌の二人は前を向く。


 それから四方に向けて深々と、父娘はありったけの感謝を込めて、奏者の礼を送った。





 ――――――

 演目を終えて、(こうべ)を垂れる二人には見いだせなかったけれど。


 円柱の隙間から光差す人垣の上辺。

 地上に近い端近(はしぢか)の席に、肩を震わせ、嗚咽をこらえる一人の女性と、彼女に寄り添う片眼鏡の薬師の姿があった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりの感想書きでちょっと勘を失っています。 前編と後編の関連がよくわからなかったんですが。 アーリャさんはどこにいったの? >ほほ笑みを。  歌を。  私には、これしかないから。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ