表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 石の都の花祭り

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

187/244

187 花よりも(前)

 お祭りの朝は特別。

 大人も子どももみんな晴れ着に身を包み、大神官様の「ことほぎ」のあと、思い思いに用意しておいた花を飾る。


 広場や道々に敷き詰められた花びらの絨毯は、とっても柔らかい。けど、できるだけ踏まないように。避けなさい、と教わった。

 あちこちの露店を覗いてはひやかし、友達と一緒に練り歩く。それでもお店の人は「よい祝日を! 神々の(めぐ)()」と、にっこり笑ってお菓子をくれた。


 日が暮れても、ほうぼうで灯りを(とも)して街は眠らない。

 次から次に花がかさねられ、香も焚かれて良い匂い。ずっと、ずぅっと天高くにお住まいの神様がたへの捧げ物なんだって。


 ――でも、誰がこんなにたくさん道にまいたの? まさか、街を飾るために王様がお買い上げに? 


 昔、手を繋いだ母に訊ねたら、フフッと笑われた。


 ――あれはね、王様じゃなくて、お金持ちの仕業(しわざ)なの。天の神々の目に留まるように、広く功徳(くどく)を示すことで来世への(ごう)を軽くするんですって。“施し”……に、近いのかしら。

 花売りさんには、かきいれ時ね。お花はね、この日のためにお山の広い野原で、丹念に育てられてるんですって。



 母は物知りだった。必要なことは大抵教えてもらえた。

 母は、もとは裕福な商家の娘だったという。

 けど、おじい様やおばあ様はもういなくて。


 神殿で下男として働く父と、針仕事で家計を助ける母。そうしてささやかな糧を得ていた暮らしは、貧しくとも笑顔を絶やさなかった母が突然『消えた』ことで終わりを告げた。

 あまり評判のよくなかった貴族のお邸に、針を刺し終えた品を届けてそれっきり、帰らなかったのだ。


 父は人が変わったように荒れて、家に帰らなくなった。ウィラークの街の片隅にあった、小さな借家からも追い出されて。


「親父さん、だめだね、ありゃ。博打なんかに逃げて……ごめんよ」と、申し訳なさそうに大家さんに謝られた。


 気がつくと、知らない誰かの手に引かれ、地下貧民窟(スラム)の奥へ。いつの間にか身柄を()()()()()()いた。

 代金を手にしたのは父? それとも大家さんだったんだろうか。


 ――わからない。


 ぼうっと、急ごしらえの救護院にはめられた透明な窓硝子(ガラス)越しに外を眺めていると、背に声をかけられた。


「アーリャさん」


「……?」


「今日は建国のお祭りだそうよ。貴女方には自由がある。出かけたっていいのよ? どうかな、気晴らしに」


「…………」


 片眼鏡の薬師の女性は、気遣わしげに小首を傾げた。

 (あなぐら)から助け出された夜のうちに、てきぱきと()()を診察してくれた。何くれとなく面倒を見てくれる、優しい人だ。


 それでも力ない微笑みしか浮かべられず、私は(うつむ)いて首を横に振った。行きたい気もする。でも怖い。

 ――いつの頃からか、声を失ってしまった。話せないし。


「そう。ううん……じゃあ、こうしましょう。あのね、動けない人もいるでしょう? 衰弱が激しくて。けど、彼女達にも今日が何の日かは教えてあげたいわ。私と一緒に広場まで来てくれる? 花を、買いましょう」


「?」


 ――はな? 開催のことほぎのあと、市場にあふれる花のこと? でも、神殿は(たお)れたと聞いたわ。私が、子どもから大人になるまでの間に。


 戸惑う私を包み込むように、異国の装束をまとった女性はまた一歩こちらに近寄り、話してくれた。窓からの朝日を弾いて、銀糸の縫いとりをした青い飾り帯の星が、ちかりと瞬いた。


「たくさん、たくさん買いたいの。私だけじゃ持てないわ。運ぶの、手伝ってくれるでしょう? アーリャさん」


「……」


 なるほど、と合点が行く。

 取るに足らない自分だが、それなら優しいこの人を助けられるかもしれない。


 アーリャは是非もなく頷いた。









「あ。始まった」


(…………音?)


 はぐれぬよう、そっと手を繋いで歩く低い木立の整えられた敷地内。面影はあまりないが、過日の主神殿跡地だという。現王は、将軍の養い子だったそうで……とにかく、即位後初めて執り行われる建国の式典なのだとか。


 耳を注意深く澄ませた。


 すると風に乗り、風よりも鮮やかに、一条の光に似た晴れやかな音が体を突き抜け、心に飛び込んだ。

 喇叭(ラッパ)だ。


「……!」


 足が止まる。思わず目をみはる。

 前方の斜め向こうに人垣が見えた。皆、精一杯の晴れ着だ。記憶どおりの景色に、少し安堵する。


「行く? ちょっと聴いて行こうか。外側に近い場所なら空いてるかも」


 こくん、と首を縦に振る私に、片眼鏡のひとはニコッと微笑んだ。「おいで」と導かれ、近づいたのは大理石の白亜のドーム。

 円柱がぐるりと囲む外側に――四名。喇叭を持つ見目よい楽士。うち、一人の音色だった。


(きれい)


 軍の行進時など、出兵の際の猛々しい印象が強かった音色は、かれが奏でると全然違って聴こえた。本当に同じ楽器なんだろうか? もっと柔らかい。空気までキラキラして見える。


 もっと心まで。もっと伸びやかに。果てない、空の彼方まで。

 花よりも香よりもなお、かれの奏でる音のほうが神々に届く気がした。



 やがてかさなる音色。和音。華やかに重厚に。威圧、ではない。ただただ圧倒される。

 いつしか聞き惚れ、どきん、どきんと胸が脈打ちはじめた束の間の余韻。空白のあとで。



 ――――――ァァアアアーーー……


 ドームのなかから、ちがう音が繊細に場を塗り替えていった。豊かな抑揚をつけて瑞々しく響く『それ』が人の声だと、なかなか認識できなかった。……歌?


 同じように、食い入るように見つめる人びとの視線の先。すり鉢状の階段客席に囲まれたはるか下で、凛と立つ少女がいる。傍らに男性。


 目を瞑り、朗々と歌い上げる彼女こそが、この声の主なのだと。

 アーリャはその時、ようやくわかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ