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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 石の都の花祭り

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185/244

185 神出鬼没の歌長

「やぁエルゥ。呼ばれた気がしたからね。来ちゃったよ」


「お父様……、えっ!? 本当に?」


 半開きだった扉を“入っても良い”の意味で受け取った侍女は、アルムをすみやかに寝室の中まで導いた。


 何となく、まだ寝ぼけているエウルナリアは寝台で半身を起こし、無意識に額を押さえている。

 少し乱れた黒髪や、衣装の裾。履いたままの靴からざっと状況を確認したアルムは、にこりと娘の傍らに立つ長身の青年にほほえみかけた。


「やぁグラン。久しぶり。ありがとうね、()()()()と」


「……とんでもありません。アルム様。至らぬことばかりで」


 ざっくばらんな赤髪の商男爵子息の青年が、ことアルムに対しては昔からこの態度を崩せない。ぴしりと背を正し、直立から騎士の礼をとる。

 すなわち、生真面目。

 それもまたグランが備え持つ一面だな、と理解するアルムは笑みを深めた。スッと暗緑色の瞳を娘に向ける。


「かれは、こう言ってるけど。どう? エルゥ」


「意地悪なお父様ね。グランはいつも、私や周りの困った人を支えてくれる得がたい人よ。今回のことだって。……グランがいなきゃ、私、もっとみっともなく泣きわめいてたわ。地下で」


「!」


 少女の何気ない反論の一つ一つに、グランは打たれたように目をみひらいた。

 数度、信じられないものを前にした者特有のまなざしで瞬くと、はっと気づいて手の甲で頬を隠す。そのまま顔を逸らし、赤面を誤魔化そうとした。


「――だ、そうだよ?」


「……光栄です」


 いつもふてぶてしい不遜さを装うかれにしては、実にしおらしく、素直な声だった。




   *   *   *




「で? なぜいらっしゃるの。アマリナは、レガートのさらに南東。セフュラとオルトリハスを挟んだ向こう側ですよ?」


「もっと喜んでくれるかと」


「ちゃんと、とっても喜んでます! はぐらかさないで!?」


「はいはい」


 気を利かせた侍女により、いくつかの灯りを(とも)された続きの間は、窓辺の朝日とはまた別のあたたかさに彩られた。

 ちょうど外交官のセバスが戻り、サンドイッチや紅茶、ミルクなどが運ばれたこともあり、卓上はほのぼのと朝食の様相を呈している。


 ――『ごゆっくりお過ごしくださいバード卿。ただ今、殿下がたにお知らせして参りますので』と、再び退室したセバスを見送り、父娘と騎士は和やかにテーブルを囲む。


 エウルナリアはハムとチーズのサンドイッチを口許に運ぶ途中だった。

 憤慨する娘に、クスクスとアルムが笑う。二人の会話やテンポはそれ自体が耳に心地よく、容姿も含めて聞く者をぼうっとさせる。


 “音楽の化身”。――なんとなく、そんな浮世離れしたイメージすら浮かぶ。

 グランは大人しく、普段よりは数段行儀よく、黙々と食事に徹した。


 (いわ)く、鷹がアマリナに到着したとき、すでにアルムはレガートまであと一夜の場所まで移動していたらしい。


 卿の不在を知ったアマリナの鷹使いが急遽、丸ごと返送されたエウルナリアの文をレガートの鷹使いに宛てて送った機転により、現在に至ると。


 それでも、少女は不審そうに目をしばたかせた。


「わからないわ。どんな手品をお使いになったの?」


「うーん。種明かしは単純な、私の機動力の高さなんだけどな」


 年齢不詳な美貌の歌長が、ひょい、と肩をすくめる。『おいおい』と、さすがのグランも内心突っ込んだ。つまり。

 エウルナリアも唖然とした。あり得ない可能性に気づいたようで、わずかに声を落として囁く。


「ひょっとして……供もつけずに単騎で移動してらっしゃるの? いつも」


「いつもってわけじゃないよ」


「お 父 様 …………!!」



 それから。しばらく娘による、久方ぶりの父への説教が始まった。

 まるで天上の調べのように甘い顔でお小言に耳を傾けるアルムは、実に幸せそうに相槌(あいづち)を打ちながら、にこにこと頬杖をついている。


 やがて、ばたばたと騒がしい足音が近づき――



「エルゥっ、アルムが来たって本当…………!!!! きゃあ! やだ、本物ぉっ!!?」


 ――と。


 大変おざなりなノックのあと、部屋を急襲したゼノサーラ皇女のあられもない叫びで、場はいっそう混沌(カオス)と化した。




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