183 騎士の迷い(前)
ぱたん。
そろそろ歩き慣れたウィラーク城の北の棟。時代に応じて建て増しされたらしいこの城の特色として、ここは木材と石材を用いた古い一角。一階から三階まで、ほぼ城づとめの者達の居住棟だ。
目当ての薬室は一階にあった。
“ご苦労様。大変だね、騎士どの”
入室の際にかけられた言葉は、サングリード聖教会から派遣された治療師の、労りに満ちた笑みと深さを含んでいた。
『騎士どの』――そぐわないな、と思う。
(このままじゃ所詮はままごとだろ。俺は、ちっともエルゥを守れていない)
悲観も卑下もなく、さりとて完全なる自己肯定は難しい。
それなりに役には立っているが、果たして支えられているだろうか。肝心なときに、側には居られなかったし。
地下においてはディレイ王の配慮もあり、剣を振るう機会すら与えられなかった。
学院を休学して。
死に物狂いで手にした『歌姫の専任騎士』という立場は、捨てられなかった己の気持ちを貫くための指標だ。
単なる婚約者候補では得られない、彼女との信頼関係を築くために。居場所を得るために最善を尽くすと決めた。なのに。
(トランペット……吹いてねぇなぁ、そう言えば)
今、腰に下げているのはエウルナリアに捧げた誓いの剣。蓋を付けたゴブレットの中身は、あいつへの薬湯。
――――嫉妬? なくなるわけがない。
あいつの無事を、心から願った。生きてて良かった。それでも。
「たまには……って、思っちまうんだよな。くそっ」
こういう時、無性に彼女に触れて、めちゃくちゃに自分の痕を刻みたくなったり。任務中に楽器を恋しく思うのは、まだまだ思い切れてない証なんだろうか――と。
だから。
わざと大きめに踵を鳴らし、間を空けてからノックした。
かちゃっ。
「おーい。入るぞー」
無遠慮に声をかけると、はた、と気がついたらしい少女がうるわしい顔をこちらに向けて、花が綻ぶように笑う。
「グラン」
つい、と身を離した相手は、まだ寝台に腰掛けたまま。
彼女に思うまま触れていたのだろう手が、行き場を失って宙を滑り落ちる。灰色のまなざしが、名残惜しそうに彼女を追っていた。
――――まじ勘弁。明らかに漂う『二人』で過ごした甘い余韻に当てられる。
(これで、全くバレてないと思ってるエルゥが凄ぇわ……)
ほとほと感心し、歩み寄ってきた彼女に手つきだけは優しく、薬湯の杯を渡した。
「ほら。たんと飲ませろ。あとさ、裸見んのも触んのもいいけど、服は着せてやれよ」
「えっ……、あ?! ごめん、忘れてた! ちょ、ちょっと待っててね。すぐに着せるから」
――――はいはい。
相手が半裸でも関係ないくらい、いったい何に夢中だったんだか。
冷静を装いたい突っ込みは、自分のためにも慎んでおいた。
* * *
「……だからってなぁ?」
頭を抱え込む。
信頼……? されてるってことでいいんだろうか。頼む、この期に及んで俺の気持ちを忘れてたなんて言わないでくれ。その、花びらみたいな唇で。
長椅子で、エウルナリアが寝入ってしまった。
レインの看病のあと、与えられた客室に戻った彼女が眠そうなことには気付いてた。ゆえに、朝食の時間まではあえて続きの間で二人、どうでもいいことを話していたのだが。
――複数のこじんまりとした寝室が、一つの応接間に繋がっている。ちなみに、三つある寝室の一つはレガートの随行員である外交官が使用していた。
「参ったな……」
すると、隣接する扉がひらいて清潔感のある外交官が顔を出した。グランと目が合い、互いに朝の挨拶を交わす。そのあと。
「お喋り中に寝入られましたか」
ちょっぴり苦笑の男性外交官。深窓の令嬢にあるまじき無邪気さなので、少し戸惑いもあるらしい。
「はい。すみません。朝からうるさくしてて。寝させるつもりはなかったんですけど」
「いいや? 大丈夫。どうせ起きる時間だったし。でも」
ちらっとエウルナリアを眺める視線には、グラン同様『困ったね』が溢れていた。
が、そこは場数を踏んだ大人の男。ぽん、と手を打ち、にこにこと紳士らしく提案する。
「そうだ。僕は、これから食堂に行くけど。良かったら二人分、軽食を包んでもらうよ。ちょっと待っててもらうけど、いい?」
「え? いいんですか?」
「いいよ。連日大変だろ? きみも、ちょっとは休みなさい。お目付け役が大変ってことは、わかるから」
ぱちん、と片目を瞑られたのは、ゼノサーラ皇女の道中でのお転婆を指すんだろうか――と、微笑みを誘われた。
確かに、紛いなりにもレガートを発ってからこっち、警護として気は抜けなかった。
ふと肩が降りる。無自覚に常時、気を張っていたのかも。
「じゃあ……お言葉に甘えます。セバスさんも、ゆっくり食べてきてくださいよ」
「了解」
斯くして。騎士は、姫君と留守番の運びとなった。




