181 娘より、父へ
しっとりと、細かな雨が銀糸のように光を弾いている。
わずかに晴れ間も見える空模様。アマリナの盟主コルドラは、その報せを政務館の二階、自室の窓辺で聞いた。
「ウィズルの。確かか?」
「はい。足にしるしのある鷹でした。こちらが伝書になります」
「ふむ……、まだ庭に?」
「えぇ。いつもの枝に。今、使用人が干し肉を与えております」
「そうか」
手渡された薄い真鍮の筒から、几帳面に丸められた紙片をそっと引き抜く。伸ばせば手のひらに収まるほどの無機質な紙に、用件は簡潔に述べられていた。
“ウィズルの鷹”は、時おり飛来した。
野生ではない。昔から、彼の国の便りを一方的に届ける不思議な存在だ。
内容は概ね後ろ暗い薬品の発注であったり、外交上の見返りを含む特秘事項であったり。読み終えた伝書は燃やすのが礼儀とされている。
――つまりそれだけ、両国の間には積み重ねられた歴史が正史に残らず横たわっている。
直近では一ヶ月ほど前、大陸情勢を一変させるキナ臭さとともに、巨額の金が動く依頼と打診を寄せられたばかりだ。閥閣やその筋の問屋連合にとっては、かなり大きな関心事となっていた。
「ふーぅん……」
微妙な顔で文字を追う主に、伝書筒を渡した部下が怪訝そうに問いかける。
「閣下? なにか不都合でも」
「あ、いや。依頼書には変わらないんだが。お求めが薬ではなく、人でね」
「?」
謎なぞについて考えるように、なおも首をひねる部下に、コルドラは微苦笑で答えた。
「ちょっと前まで、レガートのアルム殿が滞在していたろう? どうしたことか、その所在を訊かれてしまって」
――あとは、いつも通りの発注書かな? と、ぴらりと紙面を見せた。
* * *
それより数日前。
清らかな水を湛えるレガート湖に浮かぶ都レガティアに、一羽の鷹が舞い降りる。
「お。よしよし、指令か? なになに……」
観光街の一角、ひらかれた窓枠に停まった鷹は翔ぶのに邪魔とならぬよう、身に沿った革紐で伝書の筒を括り付けられていた。
宿に長逗留する男は慣れた様子で鷹に餌を与えると、筒からスルッと出した書面に目を通した。
(…………)
顔色が曇り始める。
紙片は二枚。一枚は自分宛てだったのだが。
鷹はさらにご褒美を乞うように、可愛らしく小首を傾げて目の前の人間の腕を突っついた。
「あ、うん」と、男は慌てて追加の餌を携帯ポーチから取り出す。
やがて、心ここにあらずに呟いた。
「……嘘だろ。オレみたいなのがレガート皇宮にって。……入れる、もんなのか……?」
物心ついた時からこの仕事をしている。
それこそ、今の相棒とは兄弟さながらに世話をしつつ共に育った。
――――“鷹使い”。
すなわちウィズルにおける秘された連絡係。表舞台に立つことはまずない職業であり、他国では隠密を兼ねる。鷹の匠を長と仰ぐ、かつては山で暮らした一族の末裔なのだが。
「参ったなぁ……この格好じゃ、怪しまれる気がする」
着の身着のままとまでは言わないが、あまりにも普段着すぎる。
とりあえず市場で小綺麗な服を調達すべきだろうか――と、まだ若い男は律儀に頭を悩ませた。
* * *
「おつかれアルム」
「ただ今帰りました、陛下。お留守番どうも」
レガート皇宮の主たる皇王マルセルに対し、アルム・バード楽士伯は脱力した笑みを浮かべた。
耳をくすぐる最上のテノール。すっきりとして優雅な立ち居振舞い。それだけで、年齢を経ても見るものを惹き付ける華がある。
相変わらず人たらしな空気をまとう積年の友人に、白銀の髪を肩まで垂らした皇王は、にやりと唇を歪めた。
「わざわざ予定を早めての帰国、ご苦労だったな。そんなに心配か? 娘が」
「当たり前でしょう……! 商売っ気が強すぎるアマリナ盟主には正妻殿からきっちり釘を刺してもらいましたし。性質の悪い“毒”専門の業者も、ようやく洗い出せました。表だった干渉はまだ出来ませんが、かれらの元に出入りする品物と金の動きから、要注意国の貴族やらは割り出しやすくなるはずです」
うん、うん……と満足そうに頷き、マルセルは宣った。
「ご苦労。さすがは、我らが『歌長』」
「はぁ……」
――実際、かれはレガートにおける至尊の君ではあるものの、こういったところは昔から変わらない。とても不遜で偉そうだ。
(何しに来たのかな、このひとは。へとへとの側近を捕まえて嫌がらせするほど、暇でもないだろうに)
アルムはそっと嘆息した。
かれが、公ではもっと柔和に慈悲深く、名君然と振る舞えるのを熟知している。
よって、慇懃に礼をとり、そのまま頭も上げずにすらすらと問うた。
「労いのお言葉、骨身に染みてありがたく。ですが陛下……、なぜここに?」
ここはバード邸。
ひょっとすると滞在時間は“外”で過ごすよりも短いかもしれない我が家の自室。執務室ですらない、プライヴェートルームだ。
アマリナでの滞在期間を大幅に繰り上げての帰路は、早馬を駆使した強行軍だった。都入りは後続の楽士団よりも数日早いはず。一体、なぜばれたのか。
(……?)
返答がなかったので、アルムは早々に諦めて顔を上げた。
脱いだ上着を軽くたたみ、ソファーの背にばさりと掛ける。すっかり部屋の主のように寛ぐ皇王に向かい合い、自身も対面の席へと身を沈めた。
マルセルはフフッと笑い、見計らったように一枚の紙片を卓上に置く。
「ん」
「…………え、……ええぇっ!?」
背凭れから億劫そうに身を起こし、文面を確認したアルムは盛大に驚き、娘とよく似た目許をみひらいた。
瞳は真夏の葉陰色。湖の青を湛える娘・エウルナリアとは明らかに異なるが。
マルセルは、悪戯が成功した子どものようにほほえんだ。
「帰宅したばかりで悪いんだけどさ、もちろん行くだろう? 見てのとおり正式な出演要請だ。お前の跡を継ぐべき、大事な、我が国きっての歌姫からのね」




