180 天翔る二羽の鷹
晴天。大きなアーチ型の城門の影が差す閲兵場に、一人の少女が走り寄る。
たたっ……、と乾いた石畳を軽やかに駆けた少女は、真っ直ぐに兵を率いる王の元に向かった。
「陛下」
走りやすいよう、裾の長い衣装を少しだけ手で持ち上げている。馬上のかれが自分を認めたことを確認し、ぴたりと停止。
ぱっと裾を下ろし、それまでのお転婆をかき消すように優雅な淑女の礼をとった。
ほぅ……と、どこからともなく複数のため息が聞こえる。
王――ディレイだけではない。整列する兵は百名を下らないだろう。その眼前でもあるのだ。
が、エウルナリアは憶さなかった。
青いまなざしが。白い花の顔が朝日のなかでいっそう輝くのを、ディレイは目を細めて眺めている。
「何だ。見送りか? そんなこともあるまいが」
泰然自若。余裕の笑み。
どんな想定外の出来事にも相手の言動にも、このひと、対応できるのでは……と、ちらりと考えさせられる。
(よく、戦を回避できたわよね。私達)
改めてかれの底知れなさを実感し、エウルナリアは口をひらいた。
――――お願いがあるのですが、と。
* * *
「……鷹を?」
「はい。早急に飛ばしていただけませんか? レガートとアマリナに。それから専属の鷹使いを皇宮まで派遣してください。もう、とっくにレガティアに居るんでしょう? 理想としては常時、マルセル皇王陛下や歌長の父と連絡を取れるのが望ましいです」
「大きく出たな」
ブルルッ……と、駿馬が嘶く。乗り手に似て、気性の荒そうな青毛の馬だった。側に立つエウルナリアを警戒するように蹄を鳴らし、距離を取ろうとしている。
周囲に整列するのは、昨日の“後処理”に向かうための兵達だ。
およそ二十名で一列をなす小隊が、合わせて五列。かれらを束ねる中背の騎士がディレイよりやや離れて待機しており、騎乗はしていない。
ウィラーク城前。
緩やかに坂を下る石畳の向こう、空堀があり、橋がある。それを背景に突如現れた薬師装束の少女に、一同の視線は集中していた。
物怖じせず、黒馬の王と対等に渡り合うエウルナリアのうつくしさも、ほっそりとした肢体も、波打つ豊かな黒髪も青い瞳も、全てが鮮烈な印象を残し、幾人かの騎士を含む男達を魅了している。
ディレイ一人、「高くつくぞ」と声に凄味を乗せて言い放った。言葉のわりに、茶褐色の瞳には面白がるような光が宿っている。
少女は、む、と眉をひそめた。
「……あまりな無茶には応じられませんが」
胸の前に手を組んだ姿勢のまま、睨んでいる。
両者の放つ存在感は妙な艶があり、どことなく甘い。この時点でうぶな若い兵は頬を赤らめていた。
「よかろう。……エリオット、鷹の匠に伝達を。彼女の言うように」
「は」
上背はさほどでもないが、頑健そうな体躯、誠実そうな顔立ちの穏やかな騎士が目礼し、側付きの若い騎士に耳打ちした。
こくり、と頷いた青年がすぐさま踵を返し、城内へと戻る。それを見つめ、少女は安堵の息をもらした。
「ありがとうございます、陛下」
「構わん。いわゆる“平和的な活用”とやらで結構なことだ。あれは元々、戦向きにしか用いんのだが」
「これからは、こういった用向きが増えますわ」
「たとえば恋文にも……か?」
「は?」
にやり、と。
どうしても悪そうな笑みで王が問う。驚いたエウルナリアは素で訊き返した。
「どなたか、お送りしたいお相手が?」
「阿呆か、お前」
はぁぁ、と心底重々しいため息をつき、王が馬から降りる。背を覆うマントがするりと追いかけ、束の間、二人をふわりと隠した。
流れるような仕草で少女を引き寄せると、ちょっとだけ考えたあと小さな頤に手を添えて、上向かせる。
堂々と。
たっぷり見つめること十数秒。
「あ、あの……?」
滅茶苦茶、見られてるんですけど――? との問いはかぼそく上擦り、頬が徐々に火照ってゆく。口許はわななき、目が泳いできた。
そこで。
「……用が済めば、さっさと帰国する腹づもりのお前しか居らんだろう馬鹿め。今度そんなことを言ってみろ。誓いも反古にして閉じ込めて、たっぷり噛みついてやる」
「!!!」
ぼそり、と、物騒な呟きを落とされた。
――――――
わずか一時間後。
伝書を携えた二羽の鷹がウィラークの空を発ち、はるか東方へと天がけた。




